顔がカワイイ私の苦痛を聞いてほしい
顔が好き、美人だよね、スタイル良い、まつげ長っ、目おっきいね、肌きれー
今まで私がかけられてきた、たくさんの言葉たちだ。もちろんお世辞や社交辞令もあるのは分かっているが、それにしたって私はカワイイんだと思う。ちょっと前まで、私はこうして見た目を褒められるのが大大大大大好きだった。でも最近そうでもなくなってきた、まだ少し喜んでしまうけど。
なんで大好きなのか、なんでそうでもなくなったのか、たっぷり自分語りしたくなってnoteに投稿してみた。140字じゃ足りないからね。
思春期
昔から私は、空気が読めなくて浮いてしまうことばかりだった。それでもなんとか輪に入ろうと、中学生になった私はあえて自虐や、下品で突飛な行動で笑いをとりに走った。
キモい、ウザい、バカ、頭おかしいんじゃないの。所謂いじられキャラだったので、冗談半分にそう言われることが多かった。それはそれで楽しい毎日だったが、私の自尊心や自己肯定感は削れるところまで削れてしまった(これは家庭環境のせいもあるので、一概にいじられてたから、ではないけれど)。私はとことん人を妬んでばかりになった。
その時期に私が色んな人から言われたのが、黙ってればカワイイのに、である。自分なんて、と卑屈になっていた私は、この言葉に縋りついた。そう、私は本当はカワイイんだ、だから生きてていいんだ、と。
高校生くらいになるにつれ、環境が変わってきた。あの子はカワイイ、あの子はブス、と苛烈なルッキズムを口にする人が増えたのである。私も右に同じく、聞くに耐えない陰口を言い始めた。
ブスのくせに、デブは甘え、ニキビ汚すぎ、足太っ!、目ちっちゃい、あんな顔に生まれたら生きていけない、ブス、ブス、ブス、ブス
自分に投げつけられてきた否定の言葉を撃ち返すように、私はルッキズムの銃を構えたのだ。仲の良い子たちと寄ってたかって、乱射してまわった。この銃には銃口が反対向きに2つあるので、当然私もボロボロになった。あいつはブスだと罵りながら、私もみんなから罵られているに違いないと辛くなった。
そんなこんなで醜悪な虎を飼いながら、私は大学へ進学した。そこで私は、大変身したのだ。
私、垢抜ける
入学して、自分が芋くさいことに気が付いた。井の中で他の蛙の陰口ばっかり言ってたから当然だけど。
不器用ながらメイクをして、髪も巻いて、服も買った。試行錯誤しながらだが、垢抜けていった。
カワイイね!と言われた、初対面の先輩に、顔めっちゃタイプ!と言われた、色んな人に容姿を褒められた。着飾れば着飾るほど周りの態度が明らかに変わっていって、生まれて初めて異性にチヤホヤされた。恋人までできた。
驚いた。腫れ物に触るようでもなく、バカにしてかかるのでもない。女の子として扱われていた。こんなの、経験したことがなかった。
漫画やドラマで見た世界のようだった。バカにされていた女の子が綺麗に着飾って、周囲は明らかに態度を変えていく。そして、恋人と結ばれ最高のハッピーエンド。幸せな女の子!幸せな人生!
私の足りなかった自己肯定感が満たされていく、かと思った。
満たされない
私はカワイイんだな、と実感して、堂々とするようになった。恋人には、自虐や下品な行動で笑われようとするのをやめろと諭された。そんなことしなくても、私の居場所があると気が付いた。
私はいじられキャラから、カワイイ女の子へと変貌したのだ。
しかし依然としてルッキズムに囚われていた。むしろ酷くなっていった。人目も憚らずに他人をブスと罵るようになり、それも私はカワイイから許されると思った。SNSに自撮りをあげて、褒めてもらうのが癖になった。自分以外の女の子が容姿を褒められていると耐えられなかった。常に人と自分を比べた。私が1番カワイイ女の子じゃないと、満足できない。
こうなってくると、もはや自分も醜く見えてくるのだ。確かにその辺の女と比べれば可愛いが、まだまだ足りない。醜く太い足、醜く開いた毛穴、醜いパサパサの髪、醜い鼻、輪郭。醜い部分ばかりが目についた。気付けばまた、自分なんてと口にしていた。でも、もっとカワイクなれば、自信を持てるようになると信じていた。
そんな時にコロナがやってきて、外に出れなくなったのだ。
私は躍起になった、カワイクなるために。必死にダイエットして、PC診断や骨格診断を調べまくって、メイクを研究して、髪質改善のためにヘアケア用品を買い漁って、山ほど美容垢をフォローした。この時間を美容に使えるか、怠惰な豚のように過ごすかで致命的な差が開く。私は、私は、カワイクなりたいんだ。
整形したい
恋人にそう告げた。2021年、私には成人式が待っている。同窓会もある。それまでに誰よりずっとカワイクなって、私をバカにしていた奴ら全員を見返したい。その日会った女全員に、劣等感を植え付けないと気が済まない。
文にしてみると何とも悪辣で自分でも引くが、実際にこう言った。当然、反対された。
整形そのものはいいが、その動機がダメだ。見た目より先に性格をどうにかしろ。
そんな風に言われて、私は聞く耳を持たなかった。あなたにこの気持ちは分からないだろうと、塞ぎ込んだ。でも、何かがしこりのように残った。
どうして自分は、こんなに容姿に拘るんだろう。どうしてこんなに痩せたいんだろう。どうしてカワイクなりたいんだろう。
疑ったことなんてなかったが、初めて不思議に思った。なんでこんなに、頑張ってるんだ?
朝焼け
ある夜中だった、Twitterを漁っていて、脱コルセット運動を描いた漫画に出会った。夢中で読んだ、読んでしまった。
晴天の霹靂とは、まさにことことだったんだろう。
涙が止まらなかった、泣いて泣いて、日が昇るまで大声で泣いた。わんわん泣いた。私が今まで信じてきた理想も、憧れも、幸せも、努力も。全て崩れ落ちたように感じた。呆然としながら、泣き腫らした目で朝日を眺めた。
漫画の中に、私と全く同じ女性がいた。これは私が自ら望んでいることなんだと言いながら、社会が勝手に決めた美の規範に従ってコルセットを身につける。美しく強い女性!私は幸せ!でも、気付くのだ。女性として生まれてからずっとずっと、美しく着飾ることを押し付けられていた。美しくなり素敵な男性に認められるのが女の幸せだと、刷り込まれ続けていた。それなのに、自ら望んでいる?そんな馬鹿な。彼女たちは傷付きながらも、コルセットを脱ぎ捨てていった。
私は強烈なフェミニズムに横っ面を引っ叩かれ、怒鳴られた。自分の足で立て、お前のことはお前の力で幸せにするんだ、そのために生きろ、と。
私の脱コル
髪をツーブロックにして、メイクをやめた。女の子らしい服は着なくなったし、その日のうちに脱毛サロンに解約の電話をかけた。
私も脱・コルセットだ!と清々しい気持ちだった。だいたい1週間くらいは。
カワイイカワイイと褒めそやされていた時の優越感が、忘れられない。着飾りたい。化粧品を壊す勇気は無かった。
またすぐに着飾った。メイクをして、スカートを履いた。鏡に映る私は最高にカワイイから、醜悪な感情が鎌首をもたげてこちらをじっと見てきた。
ほら、やっぱりカワイイ。誰もが私を求めて、私に嫉妬する。またみんなに褒められる。またみんなを蔑める。
そんな自分が嫌になってすぐやめた。でも、またしばらくするとカワイイ私を求めてしまう。着飾って、後悔する。
その上、私は着飾らなくてもまぁまぁカワイイ。顔立ちはハッキリしているし、背が高いので多少太っても痩せて見える。肌も荒れにくい体質だ。すっぴんに適当な格好で人に会っても、カワイイと褒められることがある。やっぱり嬉しい、でも、それに喜ぶ自分は嫌いだ。
すぐに手が届くところに、あるいはもう手の中に、カワイイ女の子がいる。ちょっとの努力で、私はカワイイの権力を振りかざすことができる。だって、恵まれた容姿に生まれたんだ。あぁ、目が眩んで眩んでしかたがない。でも、元には絶対に戻りたくない。
毎日
毎日そんな葛藤を抱えている。カワイクなりたい、なりたくない、の繰り返し。
長年かけてじっくりゆっくり私の魂と癒着したコルセットは、今はなりを潜めていても確かに存在して、常に私を見ている。ちょっとでも私がグラつけば、ここぞとばかりに絡み付こうとする。
この前「美人なのに反ルッキズムを訴える奴は、自分よりカワイイ子が出てきて欲しくないからだ」みたいなトンチキツイートを見かけて、思わずこんな長文を書いてしまった。他の美人がどうか知らんが、私は結構苦しんで悩みながら、ルッキズムと戦ってたりする。
これを読んだ知り合いが、お前言うほど美人じゃないぞって叱責してくれないかな。そしたら私も躊躇わずに脱コルできるかもしれない。