本当は…
本当はもっとできるはずなのに
本当はもっと考えなきゃいけないのに
本当はもっと分かってほしいのに
本当は傷つきやすいのに
本当は根はネガティブなのに…
私はよく能天気だと言われる。自分でもその自覚がないわけでもないのだが、ふとした時にもう1人の私はいつも、私のことをけなす。例えば、大したミスでなくとも、ミスをした時にもう1人の私はなんでこんなのもろくに出来ないのと言い、心のどこかで本当はもっとできるはずなのに、と思う。上司から仕事を頼まれた時。きっと自分でもなんとかできたかもしれないものを、不安なところは書き込まず何も分からないんですって先輩に聞いてしまう。本当はどこが不安なのか分かってもらうために、書き込むべきなのに。そんな時、やっぱり甘えてんじゃねぇよ、やれるだけやらなきゃダメなのにってもう1人の私から言われる。
社会人になって、良くも悪くももう1人の私の声がよく聞こえる。良い時だってたまにはある。大して体調悪くなくとも、何かミスをする気がするとなった時、体調悪いからねって本来の自分は言い訳をしてる。そんな時は、(だからなに!そんなこと周りの人は知ったこっちゃないよ!)ってちゃんと言ってくれる。
もう1人の声が聞こえたことで、私は自分が思ってるよりちっぽけで弱い存在なんだと思った。もう1人の私が突っ込んでくれなかったら、ひたすら、本当はやればできるのに、本当はもっと考えられるのにって言い訳をすぐ考えてしまう。そんな自覚あまりなかったけど、無意識に一生懸命言い訳を考えてる。ほんとに馬鹿げてるって思うけど、その思ったことをちゃんと客観的に断罪してくれる。
でも、時にそのもう1人の自分に苦しめられることもある。今はそうかもしれない。いつもなら、うん、そうだよねって軽く流せる毒舌も、今は真に受けてしまい、どんどん自信喪失。こんなことも、多分私の意思が弱いからなんだろうな、もっと強い人間だと思ってたけど、本当は違うんだろうなと思う。
ただ、本当ってなんだろう。いつもいつも「ほんとはさ、」って言ってしまいがちだけど、私の場合その時の感情と環境でその「本当は」が変わってる気がする。本当は強い人間だと思っている 時もあれば、本当は弱い人間だと思っている 時もある。時と場合によって「本当は」の意味合いが真反対になってるんだもの。
本当の自分なんて自分でも分からない。本当は自分のことくらい1から10まで知りたい。今は。
時に、この「本当は」のあとに続く言葉が願望なら夢を与え、勇気をくれ、行動に移す気力を与えてくれる。この言葉とは上手く付き合っていきたいな〜とふと思った。
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