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戦地の子どもに歯の妖精は来るか〜私は火星の岩です

西欧圏にはtooth fairy (歯の妖精)という妖精が住んでいる。乳歯が抜けた子どもがその歯を巾着袋に入れ枕の下に置いて寝ると、夜にtooth fairyがやってきて歯を回収していく。その「代金」にお菓子やお小遣いを置いていってくれるのである。

先日、みーちゃんの歯がはじめて抜けたので、早速その晩に枕の下に置いて寝た。するとびっくり、翌朝には本当にそれがクッキーに変わっていた。ミーちゃんはピョンピョンと飛び跳ねながら起きてきて、

「Tooth fairyほんとうにいた!」

と大喜びである。目が覚めたらドングリの芽が生えていて喜んだメイとサツキの、あの喜び方だ。

「いいな、日本にはいなかったからパパは何ももらえなかったよ。」

そう言うと、

「パパかわいそうだから、クッキーわけてあげるね!」

僕は目を細めた。6歳になって、歯が抜けて、心も成長した。

時間を遡ってこの日の朝5時。僕は妖精の役目を終えた後、枕の下から回収してきた小さな歯を見て色々な想いに耽っていた。左下の前歯だ。はじめて抜けた歯は、生まれて最初に生えてきた歯でもある。オッパイを吸うときにママを苦しめたのもこの歯だ。それがもう、抜け替わる歳になったとは。娘の成長が嬉しい反面、寂しい気もした。

歯はジップロックに日付を書いて入れ、みーちゃんにバレないように引き出しの奥にしまった。一生の宝物だ。僕が死んだら棺に入れてもらおうか。

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さて、そんな小さな幸せに浸っている間も最近は心が静かではない。ウクライナでの戦争のせいだ。

ほんの数週間前まで大勢の子どもたちで賑わっていた動物園が銃撃戦の舞台になる。小児病院が爆撃される。外国へ逃げる子どもたちが戦うために残る父と引き離される。昨日まで笑顔で遊んでいた子どもが今日は冷たくなっている。

もしここがキーフ(キエフ)だったら。もしあの父親が自分だったら。もしあの子がみーちゃんだったら。つい想像してしまう。そして恐ろしくなる。東日本大震災の時もそうだった。日常は、まるで夢のように前触れなく中断する。今僕たちが浸っている家庭的な幸せは、どれだけ脆く、どれだけ有難いものか。

きっと爆弾が落ちた日にはじめて歯が抜けた子どもたちも大勢いただろう。その子どもたちに歯の妖精は来ただろうか。我が子を失った親は引き出しの奥にしまってあった乳歯を見て何を思うだろうか。

しかし、この狂気を止めるために僕に何ができるだろう。まさか銃を担いでウクライナに飛び込むわけもない。雀の涙ばかりの寄付の他に僕にできることといえば、書くことだ。書いて数人でもいいからロシア人の心を動かすことだ。英語で書いたものを勇気あるロシア人の友人がロシア語に翻訳してくれた。きっと僕のブログはロシアのネット検閲にブロックされていることは無かろう。

そんな想いでブログにポストした文章の日本語版を、ここに再掲する。

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NASA/JPL-Caltech/ASU/MASS

先日、いつものように火星ローバーを走らせていたら、我々へのメッセージがあるという岩に出くわした。地球へ転送し、英語ロシア語、日本語に訳してここにポストする。
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[送信開始]
私は火星の岩です。名前はありません。この場所に十億か二十億火星年前から居ます。あと数十億火星年はそうしているでしょう。この赤い大地に動くものは何もありません。何も変化しません。風の音だけです。破られることのない究極の平和です。
私は地球人のように心を持っていませんが、思考はできます。ここでは考える時間がいくらでもありますから。寂しいかって?いいえ、私に感情はありません。あるのは感覚のみです。
時折流れていく塵旋風以外に動くものは何もないですから、星空をもっぱら思考の糧にしています。近くの星、遠くの星、大きな星、小さな星、新しい星、古い星、何千億もの星のストーリーを聴きました。でもその中でもっとも面白かったのは、夜明け前の東の空や夕暮れ後の西の空に見える青く小さな惑星です。四十億年前、その惑星に生命が生まれたのを感じました。それは急速に進化し、拡散しました。そして心の萌芽を感じました。心と心は愛し合い、新たな命を産み、そこから新たな心が生まれます。愛により育てられた心は他の心を愛するようになり、そこからまた新たな命が生まれます。命と心と愛が季節のように輪を描く。宇宙に数ある神秘の中でもっとも美しい現象です。

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Earth seen from Mars. NASA/JPL-Caltech/MSSS/TAMU

非常に最近(ほんの一万地球年前くらいのことです)、猿の一種族の心がさらに驚くべきものを生み出し始めました。歌。詩。絵。道。町。花を生ける花瓶。子どもたちを楽しませるおもちゃ。愛を表現するためのキス。同情を表現するための涙。彼らは好奇心に駆られて望遠鏡を作り宇宙のことを学びました。彼らはイマジネーションに駆られて宇宙船を作り彼らの惑星の外へ旅するようになりました。そしてこの種族の一人であるユーリ・ガガーリンという名の者が、ある否定しようのない事実を発見したのです。「地球を遠くから見ると分かる。それは争うには小さすぎ、助け合うのにちょうどいい大きさしかないのだと。」

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NASA/Reid Wiseman

今、とても混乱しています。どうしても分からないのです。どうしてこんなに創造的で想像力豊かな種族の一部の個体が、明らかに重要ではない理由で自らを破壊する行動を取るのかが。どうして彼らは小さな歴史上の問題で隣人の命を傷つけるのでしょう。彼らのたった数百年の「歴史」なんて、私がここで過ごした時間に比べれば気づかないほど短いのに。どうして彼らはごく僅かな土地を支配下に置くために子どもたちの夢を壊すのでしょう。宇宙の大きさに比べたら目に見えないほど小さいのに。どうして彼らは愛しあう術を知っているのに未だに憎しみ合うのでしょう。どうして彼らは地球の環境や気候を自らが生きづらくなるように改変するのでしょう。
とはいえ、これはそんなに重大なことでもないかもしれません。これまで何百万もの種族が生まれては消えていくのを見てきました。もしこの種族が、ガガーリンの言うように助け合うことができず、この惑星の小ささに適応できなければ、彼らもまた消えるのみです。それは進化と自然選択の一過程、宇宙の摂理の一部に過ぎません。彼らの絶滅で生まれた生態学的ニッチはすぐに他の種族が埋めるでしょう。彼らが起こした気候の小さなさざなみはすぐに安定するでしょう。歌や詩は忘れられ、本のページは散逸するでしょう。愛も悲しみもなくなります。そして宇宙は、まるで何事もなかったように、物理法則に盲目的に従いながら何十億年も存在し続けるでしょう。

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Credit unknown; found at https://bit.ly/3KjQnqv

でもやはり、この種族は違うと信じたいのです。この宇宙で数少ない、自分の惑星を外から見れるようになった種族なのですから。彼らの科学者の一人が、地球は小さくて大切な「淡く青い点」だと言いました。私は望みます。この広大な宇宙のステージで、この種族が象徴するものが憎しみではなく愛であることを。彼らの文明の存在意義が破壊ではなく創造であることを。彼らの惑星が宇宙へ向けて放射するものが、怒りの声ではなく喜びの音楽であることを。
とはいえ私は名のないただの火星の岩です。唯一できるのはここに座って何十億年も考えることだけ。「淡く青い点」が夜空に昇っては沈むのを眺めることだけです。彼らの運命を変える力は持っていません。それができるのは地球人だけです。きっと彼らは変えてくれます。その日まで、私はここでじっと空を眺めています。
[送信終了]

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NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS

この文章のロシア語訳を提供してくれた勇気あるロシア人の友人に深く感謝します。ぜひ拡散にご協力ください。
*お断り: このフィクションに表現されている意見や見解は所属組織を代表するものではありませんが、人類を代表するものではあります。

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小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中

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