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星空に投げかけた問い

Twinkle Twinkle Annecdote 29

10月末に本の原稿を出版社に引き渡し、ようやく忙しさもひと段落したので、11月の頭にキャンピングカーを借りて旅をしてきた。

1週間をかけて2200 kmを走り、紅葉の盛りのザイオン国立公園、グランドキャニオンと、レイクパウエル、バーミリオン国定公園を巡った。アメリカではコロナの新規感染者が毎日10万人を記録する状態だが、キャンピングカーならほとんど人と接触しないので安全だ。

生活空間が狭い分、密な家族の時間を過ごせる。絶景の路肩に車を停めてランチを食べたり、雄大な景色の只中で寝起きしたりもできる。

そして何よりも、星空。人里離れた場所を見つけて夜を過ごせば、文明が始まる前と変わらない、息をのむほど美しい星空に出会える。

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ミーちゃんにとって旅のハイライトはキノコの形の岩だったらしいが、僕のハイライトはミーちゃんに生まれてはじめて天の川を見せてあげられたことだった。

以前からミーちゃんに夜空を流れる美しい川の話をしていた。いつか、自分の目で見せてあげたいと思っていた。

それはグランドキャニオンの公園内の駐車場に宿を取った日のことだった。ミーちゃんを抱っこしてキャンピングカーのドアを出る。

そこは明かりひとつない闇だ。懐中電灯を消す。暗闇に目が慣れてくる。そして天を仰ぐ。大空を横切る光の大河が浮かび上がる。

「見てごらん・・・あっちから始まって・・・あの十字が鳥さん座で・・・Wの星を通って・・・向こうへ流れているんだよ。」

普段は暗いところに連れていくと怖がってギャーギャーピーピー暴れるミーちゃんも、この時は珍しく静かに星空を見ていた。

そういえばミーちゃんが妻のお腹にいる頃、アワビを食べると目の綺麗な子が生まれるなんていう話を聞いて、アワビが美味しい伊勢に一泊の旅行をした。その綺麗な二つの目にこの時、天の川がはっきりと映っていただろう。

僕は続けた。
「お空の川は、小さな星がいーーーっぱい集まってできているんだよ。」
「へー。なんこ?」
「うーん、百が百個の百個の百個くらいかなあ。」

とはいえ4歳だから飽きるのが早い。2分もするとキャンピングカーに戻ると言った。

ミーちゃんを妻に託した後、僕はカメラを持って再び外に出て、一人きりで星空を見ていた。天の川の右手には秋の四辺形がはっきりと見える。あの星とあの星をつないで・・・・。あった。それはいとも簡単に見つかった。

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アンドロメダ銀河だ。

見つけるコツは、あえて視線を少しずらして視野の周辺で見ることだ。暗いものに対する感度は網膜の中心よりも周辺部の方が高いためで、こうすると彗星や星雲のようにボヤッとした天体を見つけやすくなる。

あの250万光年先のぼんやりとした光の雲は、実は我々のいる天の川銀河よりも大きく、およそ1兆の星があると考えられている。

あの1兆の星屑のどこかに、僕とみーちゃんのように夜空を見上げる親子はいるのだろうか。彼らにとってはアンドロメダ銀河が天の川だ。もしかしたら今、その子が生まれてはじめて見る天の川に心を奪われているかもしれない。

そして彼らの惑星の夜空では、我々の銀河は遠くぼんやりとした光の雲である。その淡い霞の中にある、巨大な望遠鏡を使っても見ることのできないような小さな星屑の惑星の上に、僕は立っているのだ。

どうして僕はここに生まれたのだろう、と思う。

僕は生まれて気付いたら天の川銀河のオリオン腕の太陽系の第三惑星にいた。どうしてアンドロメダ銀河のどこかではなかったのだろう?どうしておとめ座銀河団の何某かの銀河の名の知らぬ惑星ではなかったのだろう?

しかし、いくら夜空に問いを投げかけても答えは返ってこない。星々は100億年の沈黙を続けている。きっと、僕が答えを見つけることはないだろう。

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翌日はグランドキャニオンの山道を歩いた。この地球最大の谷は、数億年かけて堆積した大地をコロラド川が切り裂いてできたものだそうだ。ミルフィーユのように積み重なった堆積岩の地層が綺麗に見え、触れることもできる。

おそらく、80年の人の人生は、この地層の1センチ分の厚さにも満たない。人生の短さは、深さ1 kmを超えるこの谷の壮大さと比した僕の小ささと同じだ。

僕は旅に出る時にいつも、この旅はいつか終わってしまうという感慨に駆られる。グランドキャニオンの山道を歩いていた時が、ちょうど旅の中間地点だった。

1泊2日の旅も数ヶ月に及ぶ大旅行も、いつか終わりが来るという点で何も変わらない。そして終わりはすぐに来る。なぜなら時間は止まらないから。

人生も同じだ、と旅に出る度に思う。僕は38歳になった。もし平均寿命まで生きさせてもらえる幸運にあずかれるならば、だいたい中間地点、グランドキャニオンだ。この旅にも、すぐに終わりが来るのだろう。

子供の頃、大人になったら死が怖くなくなると思っていた。まだ、死ぬのが怖い。きっと死ぬまで死ぬのが怖いんだろう。

ミーちゃんや妻と過ごした楽しい時間は、僕の人生に地層のように積もっていく。人生とは、そのような楽しい時間や、嬉しい時間、辛い時間、悲しい時間を一枚ずつ重ねていくことだ。そして死を迎えた時、積み重ねた記憶は空へ散逸して消える。

やがて太陽が地球を飲み込んで燃え尽きた時、かつて僕を構成していた分子はまた宇宙へと還っていく。

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なぜ僕は本を書くのだろう。理由の一つは、この儚い運命へのささやかな抵抗かもしれない。

いつかは消えてしまうこの命が燃えている間に、グランドキャニオンに堆積した地層のように消えない何かを残したい。そんな衝動に駆られることが、誰しも人生に何度かはあるのではなかろうか。

とはいえ、本が乱造される大量消費の時代にあっては、作者よりも長生きする本の方が稀だ。毎年出版される本の99%は、その作者がまだ生きているうちに世から忘れられるだろう。

だから僕は本を書く時にいつも、売れる本よりも残る本を書きたいと思っている。今回の本に関していえば、この本を読んでくれた子どもたちが何十年かして大人になった時、自分の子供に読み聞かせてあげるような本になってほしいと思っている。

果たして僕の願いは、叶うだろうか。

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小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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