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宇宙飛行士選抜試験 ~12年間 語ることのできなかったファイナリストの記憶~

ぼくが今、書籍化に向けて絶賛準備中の本だ。処女作にして最後の作品となるだろう。それくらい自分を追い込み、追い込まれている。

このものがたりは、スペースシャトルにあこがれて宇宙エンジニアになったぼくが、小さいころからの夢「宇宙飛行士」になるために全身全霊を傾けて挑んだ10か月におよぶ『宇宙飛行士選抜試験』への挑戦と、そして、その後の12年の葛藤を描いたものだ。今年の6月16日から、宇宙兄弟Official Websiteで連載中でもある。

2020-10月号-特集記事-内山崇さん-宇宙飛行士選抜試験集合写真

第5期宇宙飛行士選抜試験 最終選抜「閉鎖環境試験」を終えて

VOYAGE初投稿の今回は、まず前編として、この本が生まれたきっかけについて書いてみようと思う。最初のきっかけは今から2年前、2018年の年末までさかのぼる。

宇宙飛行士選抜試験を一緒に戦い、その後の10年を共に歩んできた新世代宇宙飛行士の3人全員が宇宙ミッションを終えた。油井さんが2015年、大西が2016年、そして金井さんが2018年6月に帰還。そして、ぼくがリードフライトディレクタを務めた「こうのとり」7号機が、初の物資回収ミッション含め、史上最高のパーフェクトミッションとして締めくくられたのが2018年11月。

ぼくの人生史上最大の挑戦からちょうど10年の節目に、3人がISS長期滞在ミッションを完ぺきにこなし、大きな区切りがついたと感じていたところに、ぼく自身も「こうのとり」ミッションという大仕事を終え、ぼくの心の中にぽっかりと隙間ができた。

このときぼくは、夢であった宇宙飛行士に対する想いをもやもやとしたまま持ち続けていた。いや、捨てきれずにいた。気持ちの整理をしきれないままに、10年という月日が経ってしまっていた。

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「こうのとり」7号機キャプチャ後の会見(油井飛行士と)

ぼくは思い立った。
ぼくは抱えているこのもやもやした夢の塊と決別し、新たな夢に堂々と向き合いたいと思った。引きずってきた宇宙飛行士への想いに、区切りをつけたかった。

この10年を振り返ってみると、ぼくの夢への向き合い方は少しずつ変化していた。同期ともいえる選ばれた3人が、候補から宇宙飛行士になり、ミッションアサイン(任命)され、宇宙に旅立った。その3人から刺激を受けながら、選ばれなかったぼくたち同志でも切磋琢磨し刺激し合いながら、それぞれのフィールドで成長してきた。そして、ぼくの生活にも大きな変化があった。結婚し、子供が2人生まれた。

ただ、何がどう作用して、ぼくの気持ちがどう変わってきたのか、ぼくの中でもはっきりとは認識できていなかった。あまりにもたくさんのことがあったので、そのひとつひとつを紐解いていけば、客観的に分析し、整理できるかもしれない。そのために、この楽しくも辛かった10年を、真正面から振り返る決意をした。

この決意は、ぼくの中では大きなものだった。
正直に言うと、初めてメディアの密着を受けた2008年の宇宙飛行士選抜試験以降、テレビや書籍、取材など、かなりの選抜関連のものが世に出ていたが、まともに見る気が起きなかった。受験者ではない、“試験を周りで見ていた人たち”からとやかく評されるのを受け入れたくない気持ちがあった。プロ野球選手が、とやかく言う解説者に対して抱く感情に近いかもしれない。

もしまともに振り返るときが来るとしたら、それは次のチャレンジが決まったとき、つまり次の募集が出されたときだと思っていた。それならば、振り返る理由とモチベーションが十二分にある。次のチャレンジのためだ。

しかし、次のチャレンジはぼくに訪れることはなかった。ないままに、10年という月日が流れてしまった。

宙ぶらりんのぼくの夢は行き場を失い、ぼくは挑戦に飢えていた。

それを本という形にすれば、中途半端で終えることはできない、本気で過去に立ち向かえるに違いない。

本を書こうなんて考えたこともなかった。誰かにちゃんと伝えたいとも思ったこともなかった。

それがなぜこういう気持ちになったんだろう?自分でも不思議だ。この変化がどうして起きたのか知りたかった。この10年の自分と向き合い、ぼくの1つの歴史として堂々と振り返ってみよう。そして、それを次の世代の人たちに伝えたい。受験仲間にも届けたい。そして将来は、ぼくの2人のこどもにも読んでもらいたい。

これはぼくの挑戦だ。
ぼくのぽっかりと空いた隙間が、埋まった。

2019年2月、ぼくは企画書として構想をまとめ、まずは知り合いに連絡を取ってみることにした。

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一番初めに書いた企画書の一部

すべてが初めての体験なので、どこから何をしたら良いか、さっぱり分からなかった。こういうときは、先人たちやプロに頼るのが定石だ。宇宙飛行士選抜試験密着で今でも交流のある小原さん、宇宙ライターの林さん、そしてコルク代表の佐渡島さんと相談することとした。

佐渡島さんとは、佐渡島さんがまだ講談社時代に、『宇宙兄弟』絡みでやり取りをしていて、小山宙哉さんを囲んで食事会をしたこともあった。打診をしたときからポジティブな反応をしてくれた。久しぶりに会って、ぼくの企画を説明した。佐渡島さんから以下の鋭い質問が飛んできた。

「どうして今書こうと思ったのか?」
「誰に届けたいのか?」

こういった編集目線のやり取りは、ぼくの心の中を整理するのにすごく役立つ。そして、ぼくからは、選抜試験での経験は、『宇宙兄弟』のストーリーと親和性が高いので、うまくコラボできないか?というオファーをした。

即決だった。
「やりましょう。書き始めましょう。興味を持ってくれる出版社を当たってみましょう。」
サイは投げられた。
2019年4月1日のことだった。




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内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト(10名)。宇宙船「こうのとり」フライトディレクタ。2009年初号機〜2020年最終9号機までフライトディレクタとして、9機連続成功に導く。(全号機フライトディレクタは唯一) 現在は、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)、ラーメン。宇宙船よりコントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

宇宙兄弟Official Webにて『宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜』2020.6.16より連載中。2020.12.5書籍(SB新書)発売予定。
宇宙兄弟Official Web連載:https://koyamachuya.com/column/column_category/uchiyama/
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/481560522X/

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