歴史的偉人との遭遇 -バズ・オルドリン-
宇宙開発だなんて言ったって、日々の仕事はそんな地味な作業の連続である。しかし、この日は特別だった。2015年1月、フロリダ・ケネディ宇宙センターへと向かった。そこで出会った人物は、今からおよそ46年前に月面に着陸した僕のヒーローだったーー。
人類が誕生してから25万年の間に、何百億もの人が、この地球という星で生を享けた。その殆どは地球以外の星の土を一度も踏むことなく、地球の土へと還っていった。
しかし、たった12人だけ、例外がいる。アポロ計画の宇宙飛行士たちである。そしてその中でも最初に月に足跡を残した二人が、アポロ11号のニール・アームストロングとバズ・オルドリンだ。アームストロングが天に還った今、オルドリンだけが、この人類の輝かしい栄光を現在に伝える生き証人である。野球少年にとってのベーブ・ルースやサッカー少年にとってのマラドーナのように、アームストロングとオルドリンは、僕のような宇宙少年にとってのヒーローなのだ。
(Image Credit: NASA)
それから20年あまり。僕はエンジニアとしてNASAで働くようになった。そして遂に、オルドリンと会って話す機会に恵まれた。
NASA JPLに就職して2年弱、僕ははじめて自力でNASAからの研究費を勝ち取った。そのPIたちが一同に会するミーティングがフロリダであった。なぜフロリダか。NASAの有人宇宙船のすべてを宇宙へ送り出した、そしてヒビトやムッタが宇宙へ旅立つ場所でもあるケネディー宇宙センターが、そこにあるからだ。
ミーティング初日の朝。会場は結婚式の披露宴に使うようなホテルの大広間で、既に50人ほどの人が集まっていた。ミーティングが始まると、まず司会者がゲストを紹介した。そうそうたる顔ぶれだった。銀河系に存在する地球外文明の数を与える「ドレーク方程式」を考案した学者であるフランク・ドレークや、SF作家のデイビッド・ブリン、ジョー・ホールドマンもいた。
そして最後にさりげなく、バス・オルドリンの名が紹介された。僕は耳を疑った。皆の視線が集まる方向を見ると、メガネをかけた小柄な老人が、腕を組み、しかめっ面をして座っていた。にわかに会場がどよめき、何人かが携帯電話で写真を撮り始めた。しかし彼はまるで意に介さず、微笑みもせず、岩のように硬い表情のまま、前方の何もない方向を凝視していた。自分に注がれる視線への拒絶を背中から感じた。粘土が空気に晒されると表面が硬くなるように、今まであまりにも多くの視線に晒され続けてきたヒーローの心の表面には硬い殻ができているのだろうか。
月を歩いた男が同じ部屋にいる。しかも午後には僕のプレゼンテーションがある。少年時代のヒーローに自分の研究発表を聞いてもらえるとはどれほどの幸運だろうか。しかしなぜか実感が沸かなかった。以前にオルドリンにニアミスした時は非常に悔しかったのに、いざ叶ってみると不思議なほど平常心だった。「これはすごいことなんだぞ」と頭が心に言い聞かせ、興奮を無理強いしているようにすら感じた。
テレビで何度も見た若く野心あふれるオルドリンの姿と、目の前にいる白髪で小柄な老人の姿が、どうしても重ならなかったからかもしれない。だがそれだけではない。近・す・ぎ・た・か・ら・だ・。ヒーローは、テレビの中や、ステージの上や、スポットライトの中にいるべきであって、同じ部屋の同じパイプ椅子に座っているべきではないのだ。憧れとは隔絶した距離にある対象に近づかんとする作用であるが故に、十分に近づいてしまったらその作用は働かなくなる。自分はなんとひねくれているのだろうと苦笑した。
彗星ヒッチハイカーのプレゼンテーションは、前日に飛行機の中やホテルで練習した甲斐あって順調だったし、受けも上々だった。( プレゼンのビデオが公開されているのでご覧になられたい。)現在の僕の研究は「フェーズ1」で、来年度の「フェーズ2」に進むにはさらなる選抜がある。このプレゼンの出来が、直接的ではないにしろ、フェーズ2に進めるかどうかに影響する。
僕はプレゼンを「知的エンターテイメント」だと思っている。内容はもちろん学術的なものだが、客に楽しんでもらってナンボなのだ。だから小説を書くようにストーリーを練る。アメリカに来て8年たってやっと使えるようになったアドリブのジョークも混ぜる。聴衆たちの顔を見て、彼らが楽しんでいるか、そうでなければどう盛り上げるかを考えながら話す。だからプレゼンの間は頭がフル回転している。
だがふと、オルドリンはどこにいるのだろうかと気になることが数度あった。彼は落ち着きなく席を移動する上に、メガネで白髪の小柄な老人が会場にたくさんいたので、見失ってしまった。プレゼンが終わり、聴衆からの質問に答えているうちに、オルドリンのことは忘れてしまった。
さて、ここで僕の上司が登場する。彼も前年に NIAC を取っていたのでミーティングに呼ばれていた。(研究費は期限付きだが、NIAC フェローの肩書きは終身である。)大柄な中年のルーマニア人で、ブルドーザーのように大きな声で喋り、突発的に行動する人間である。
翌日のミーティングが終わったあとに、ケネディー宇宙センターでレセプションがあった。司会者が「車のない人はいますか」と聞くと、オルドリンが手を挙げた。その瞬間、忍者のように素早く彼に歩み寄る人がいた。僕の上司だった。彼は大胆にも「バズ、私の車に乗りますか」と聞いたのだ。オルドリンは相変わらずのしかめ面だったが、親切を断る理由はない。呆気にとられている僕に上司がウインクして囁いた。「ヒロ、悪いが君は後ろの席に乗ってもらうことになった」と。
かくして僕は、オルドリンと同乗して40分のドライブをすることになった。「ヒロは彗星ヒッチハイカーをやっているNIACフェローだ」と上司が僕を紹介すると、オルドリンは「フン、そうか、面白そうだ」とぶっきらぼうに言った。「ヒッチハイクといえば、いろいろとアイデアがある」と続け、あとはひたすら自説を展開した。
いまいち脈絡のない話が延々と続くのは普通の老人と変わりなかった。ただひとつ、決定的に違う点があった。過去の話が一切なく、すべて未来の話だったのだ。40分の間、彼は自分の月着陸の話に一言たりとも触れなかった。すべては未来の有人宇宙開発についての持論で、しかもどのようなロケットを使って何機の宇宙船を打ち上げ・・・と、内容は非常に技術的だった。(彼もMITの宇宙工学で博士号を取っている。僕の大先輩でもある。)
(オルドリンとのツーショット。家宝です笑)
彼はもう85歳だ。彼の夢が実現するのは、おそらく彼の死後だろう。にもかかわらず、彼はレゴで未来の乗り物を作って遊ぶ子供のように豊かな想像力を持っていた。もしかしたら散々月着陸の話を聞かれてうんざりしていただけかもしれないが、彼は生来、過去の栄光に縋って生きるような人間ではないのだろう。そのような人だからこそ、人類初の月着陸と言う歴史的ミッションの宇宙飛行士に選ばれたのだろうとも思う。そしてまた、彼は人類に対して、「いつまでもアポロの栄光に縋ってはいけない、次の一歩を踏み出さなくてはいけない」と訴えているようでもあった。
ケネディー宇宙センターに着くと、レセプションの前にバスツアーに連れて行かれた。バスは貸切だったが、ツアーの内容は一般の観光客向けのものと同じだ。オルドリンも同乗した。そのことを知らないバスの運転手が、「あそこに見えるのがスペースシャトルに使われていた39A発射台で、アポロ11号の宇宙飛行士たちもあそこから飛び立ったのです」と呑気に解説していて、笑いをこらえられなかった。当の本人は全く意に介さず、相変わらずのしかめ面で窓の外に見える発射台を凝視していた。彼は過去にそこから自分が飛び立った日のことを思い出していたのだろうか。それとも、未来にそこから飛び立つロケットの姿を思い描いていたのだろうか。きっと後者だったと思う。
オルドリンはレセプションに参加せずにホテルに戻ると言い出した。上司が一緒に送りにいくかと僕に尋ねた。一緒に行けばもう40分オルドリンと話すことができる。だが、僕はいつまでもヒーローに憧れる宇宙少年のままではいけない。未来の宇宙少年たちが憧れる対象にならなくてはいけない。そんなことをぼんやりと考え、僕は上司の誘いを断り、オルドリンと握手して別れたあと、ひとりレセプション会場へ向かった。
(冒頭イラスト:ちく和ぶこんぶ)
(2019年7月18日、アポロ50周年を祝って、NASA JPLの職員が1969年っぽい格好をして出勤する、というイベントがあった。JPLの管制室で記念撮影。みんな白シャツにネクタイ。現職になってネクタイを締めたのははじめてだった。朝、浮かれる僕に妻が冷めた一言。「でもこれ、日本じゃ今でも普通のカッコだよ。」)
『宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八 』
「宇宙に命はあるのか」はNASAジェット推進研究所勤務の小野雅裕さんが独自の視点で語る、宇宙探査の最前線のノンフィクションです。人類すべてを未来へと運ぶ「イマジネーション」という名の船をお届けします。
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胸躍るエキサイティングな書き下ろしです。
『宇宙メルマガ THE VOYAGE』
NASAジェット推進研究所勤務の小野雅裕さん読者コミュニティが立ち上げた『宇宙メルマガ THE VOYAGE』が創刊1周年を迎えました。
毎号、小野さんをはじめ各方面で研究開発に従事される方々、宇宙ビジネス関係者などにご寄稿頂き、コアな宇宙ファンも唸らせる内容をお届けしています!
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想像してみよう。遠くの世界のことを。
明日もお楽しみに。