HAKUTO-R Mission1運用を振り返って-ispace 田枝正寛
株式会社ispaceの、民間企業として世界初の月面着陸の試みから約4ヶ月。
僕はispace社員としてその運用を直接経験した。外から見た月着陸船運用の様子はニュースやSNS等で色々出ているが、内側からの視点を織り交ぜつつ、改めて振り返ってみようと思う。
(ちなみに本記事はあくまで個人の感想なので、会社公式見解ではありません。笑)
第一部:株式会社ispaceとHAKUTO-R
まず、株式会社ispaceは月資源探査にフォーカスした宇宙スタートアップ企業(https://ispace-inc.com/jpn/)です。民間企業として資金を集め月着陸船(ランダー)の開発・運用を行なっています。現在は「HAKUTO-R」プロジェクトとしてMission1 (運用完了)、Mission2(2024年打上げ予定)を行うとともに米国チームにてMission3としてSeries2ランダーの開発を進めています。
HAKUTO-Rランダーはこんな形をしています。
僕はこのHAKUTO-Rランダーの開発に、その立ち上げから関わってきました。
ispaceが資金調達とランダーを開発すると発表したのが2017年12月、それから丁度5年で打上げることができました。開発期間5年。僕にとっては1年が通常の3倍くらいに濃縮された高密度の時間でした。去年の出来事は遥か昔、という感覚が常にありました。
何にせよ、このCGと同じ形の本物のランダーを2022年8月に自分の目で見た時は感動ものでした。
第二部:打上げと初期運用 2022年12月11日(日)
HAKUTO-Rランダーは無事打上げ射場まで行き、SpaceXによる打ち上げを待つばかり。
僕は夕方の打ち上げ直後からの運用担当シフトなので、昼まで寝てその瞬間に備える。
12月11日 日本時間午後4時38分打上げ。
SpaceXからの中継が運用室の画面にデカデカと映される。いよいよランダー分離、成功!
ランダーがだんだん遠ざかる。そして小さくなったランダーから足が出てくるのを見て小さくガッツポーズ。
(ランダーの自動プログラムで分離したら足を開くようにしていたのですが、それが成功したことを意味していて密かに感動していました。)
ランダーからのテレメトリ(ランダーの動作状態を表す情報)も運用室まで降りてきて、いよいよランダーの初期運用を開始。
ispaceランダーに限らず、宇宙で動作する宇宙機は太陽電池を太陽に向けないと電力が確保できない。打上げて分離した直後はバッテリだけで動いており、ランダーを制御して太陽電池パネルを太陽に向けてバッテリ充電させなくてはいけない。これが初期運用最初にして最大の仕事であり、「初期クリティカル運用」とも呼ばれる。これに成功した時の皆の喜びは”推して知るべし”ってやつですね。
(太陽電池が太陽に向くまでの間バッテリ電圧が徐々に下がっている様子を見ているのは、時限爆弾のカウントダウンのようで胃に悪かったです。)
その日から始まり、1週間ホテルと運用室往復の日々を過ごした。ほぼ缶詰状態で家に帰った時はもうヘトヘトだったが、妙な高揚感と充実感があったと思う。
自分が深く開発に携わった宇宙機の運用を自分ができるという幸せは、そう滅多にあるものではない。僕は人生初めてだしこれからも数えるほどしかないのだと思う。そう言う意味でこの瞬間は人生最高の瞬間ランキングの1、2位に入るかもしれない。
こう思う人、僕以外にも絶対何人かいるはず。
第三部 着陸運用 2023年4月26日(水)
この日までランダー運用4ヶ月。色々あったが割愛する。笑
いよいよispaceランダーの月面着陸運用の日。この日の為に5年間を費やしたと言っても過言ではないと思う。
夜中1時43分の着陸に向け、着陸運用メンバーが続々と集まり、前シフトメンバーと交代する。
ランダーの自動着陸シーケンス開始。ここからは自動プログラムなので運用室からできることはなく、ただ見守るだけになる。
着陸シーケンス中、刻々とランダーの状態を示すテレメトリが更新されて行く。
着陸シーケンスは着々と進行、ランダー姿勢が着陸態勢に入る、着陸高度がゼロになる、着陸成功かと一瞬浮つくがそこからが長かった。
タッチダウンしたという信号を固唾を飲んで待つ。
来ない。
まだ来ない。だんだん不安になる。
見守ること数分、急速に降下速度が上昇した後テレメトリが停止。
。。。
皆何が起きたか一瞬で理解した。
世界初の民間月面着陸は成功しなかったのだ。
。。。
その日は僕は朝方まで運用室にいた。何となく帰るのが勿体なかったのだと思う。僕以外にも残っている人がおり着陸できなかった原因をあれこれ話し合っていた。
さまざまな思いが混じる。
・着陸成功できなかった悔しさ
・ここまで到達できたことの誇り
・次は必ずという誓い
例えるなら甲子園で負けて土を持ち帰っている高校球児みたいな・・・。
一方で、すぐにできることを開始するチームもいた。僕達にはその直前まで受信し続けたテレメトリがあった。テレメトリにはランダーの中の異常検知やセンサーデータなど、こういった異常時に原因究明ができる情報も含まれている。
後日、ランダーが自分の高度を誤解していたことが判明し、更にその後の詳細解析にてクレータの縁(リム)で測定高度が急激に変化したことをランダーのソフトウェアが測定異常と判定した為と判った。
着陸失敗の原因調査結果はこちら
着陸成功まで紙一重だったと思うこともある。だけどその「紙一重」の壁を超えるのに後どれくらいの努力をしなければいけないのか。今回の対策をしたとしても次に別の壁があるかも知れない。
しかし壁を越える為のステップを一つ進んだことは確かだ。立ち止まってはいられない。Mission2が待っている。
最後に、心あたたまる裏話をひとつ。
着陸成功できなかった翌日、運用室でこんなプラカードを発見した。着陸成功時に掲げるつもりだったものだ。誰かが手書きで書き加えた。うちのチームすごいな、こんなことが書けるなんて。
このチームならMission2の成功に向けて気持ちが一つになれると信じられる。先日Mission2ランダーの組み立てが始まったばかりだ。
田枝正寛
エンジニア・理学博士
広島県出身。X線天体物理学で博士号取得後、大手宇宙開発メーカで衛星搭載機器及びロケット開発に従事。
現在株式会社ispaceにて、月着陸船開発に従事中。
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