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真剣を抜け、宇宙を目指す若者よ 前編[敏蔭 星治]

(アイキャッチ画像提供:PDエアロスペース(株)/KOIKE TERUMASA DESIGN AND AEROSPACE)

PDエアロスペース株式会社
緒川修治代表取締役へのインタビュー

宇宙メルマガTHE VOYAGEの新コーナー「Space Seedlings」に“宇宙を志す若い苗木”の一員として参加させて頂きました、東北大学理学部宇宙地球物理学科天文学コース2年の敏蔭星治です。

インタビュー取材の記念すべき第1回目として、日本の民間有人宇宙飛行の最前線を走る愛知県に本社を置く宇宙ベンチャー【PDエアロスペース株式会社】の緒川修治代表取締役にインタビューさせて頂きました!

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写真右:インタビュアー Space Seedlings敏蔭
写真中央:PDAS 代表取締役 緒川さん(左)、企画渉外Gr. 杉浦さん(右)

事業を立ち上げるまでのストーリー

全て失敗の先送り

敏蔭:PDエアロスペース株式会社は「宇宙をもっと身近に」をステートメントとして掲げられています。そこで、緒川さんが宇宙を目指すようになったきっかけについてお聞かせください。

緒川さん:父親が町の発明家みたいなことをやっていて、家には実験室があり、科学実験をやったり、ジェットエンジンを作っていたりと…変わった家でした。子供の頃から、父の実験を手伝って、モノづくりを見様見真似でやってきたという背景があります。
小学生の頃は、飛行機のパイロットになりたいと思っていました。戦闘機のパイロットを目指すも、ダメで、民間エアラインのパイロットを目指すもダメでした。それでも、航空の世界には身を置きたくて、職安に通って、飛行機の仕事を探して、最終的には三菱重工で新型戦闘機の開発に携ることができました。担当したのは信頼性管理で、機体システム全体を見ることができました。この時に学んだことは、今の仕事に非常に活きています。
仕事は大変でしたが、非常にやりがいがあり、楽しいものでした。そんな中で、科学雑誌Newtonで「宇宙飛行士募集」の記事を目にしました。募集の年齢制限が40歳。当時26歳くらいだった僕にもまだチャンスがありました。しかし、募集内容に対して、明らかに学術的なバックグラウンドが不足していた為、大学で勉強し直すことを決意し、仕事を辞めて大学院への進学することとしました。

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写真:緒川さん 東北大学院時代

大学院を修了後、地元に帰り自動車系のアイシン精機に入社し、次の宇宙飛行士の募集に備えることにしました。しかし、ここで問題が起こります。2003年にスペースシャトルのコロンビア号空中爆発という痛ましい事故があり、宇宙飛行士の募集は行われなくなってしまいました。自身のタイムリミットと考えていた35歳が目前に迫っていました。

そんな時にAnsari X Prize (※)という宇宙飛行の賞金レースが行われていました。全世界から30チーム近くが参加し、たった50人ほどの会社がこれを成功させました。これは衝撃的でした。パイロットや宇宙飛行士は”選ばれるのを待たなければならない。しかし、選ばれるのを待つのではなく、もはや自ら作って行く時代が来たんだと思いました。自宅には実験室があり、航空宇宙の工学的知識もある。そして、大学院時代に発案したアイデアを元にすれば、後出しでも世界に勝てると考え、この会社を立ち上げました。

(※) Ansari X Prise
乗員3名の有人宇宙船で高度100km以上に到達、かつ2週間以内に同じ機体でもう一度飛行するということを達成したチームが1000万ドルを獲得する賞金レース。

敏蔭:昔から宇宙を目指していた、というわけではないんですね。

緒川さん:そうなんです。いろんな人に「一本、筋が通ってますね」と言われるがそんなことは全くないです。 『失敗の先送りで今がある』だけです。 戦闘機のパイロットが駄目だったから、民間のパイロットへ。民間のパイロットが駄目だったから今度は作るほうへ。そして宇宙飛行士を目指したけど、それも駄目でした。で、最後は、自分で作ることに。次から次へと目標を変えて、先送りにしているだけです。まだ何一つとして成功できていません。

敏蔭:壁にぶつかっても、「やりたい」という強い思いで新たに活路を見出して進んでこられたんですね。

緒川さん:ただ、今、振り返ってみると最初は自分がやりたいと思ったことを始めたことが、いろんな人と出会い、多くの応援や期待を受け、今は掛け値なしで『みんなを宇宙に連れていきたい』という気持ちに変わってきています。

敏蔭:これまで、順風満帆にいかなかった時も多かったということなんですか…

緒川さん:順風満帆なんてゼロだよ(笑) 壁しかない(笑)


緒川修治を突き動かすもの

敏蔭:大抵の人はゼロな状態が続き、何度も壁にぶつかると諦めてしまいがちですが…諦めずに緒川さんを突き動かしたものは何だったんでしょう?

緒川さん:一言でいえば『バカの一つ覚え』。単純だから続けているだけ。よく、みんなに聞くのは『本当にやりたいの?』ってこと。泥水をすすってでも、すべてを投げ打ってでもやりたいか?
僕のところに「ロケット開発をやりたい!」って言ってくる人に「日中はコンビニでバイトして必要な身銭を稼いで、空いた時間でうちに来て。一緒にロケット開発をやろう!」って言うと、大抵はその時点で電話が切れる。しかし、100人に1人くらいは「頑張ります!」って実際に来るんだけど一週間で逃げ出しちゃう。逆に聞きたい。「みなさんのほんとにやりたい」ってそんなもんなの?

敏蔭:緒川さんの「やりたい」という思いを支えているのはどんな力なのでしょうか?

緒川さん:お金も技術も無い僕の強みは、大きく二つあると思っている。『不安や恐怖に対する鈍感さ』と『思考のスイッチの切り替えの速さ』
生活や今後に対する不安が、イマイチ、ピンと来ていない。「失敗したら、どうしよう」ではなく、「全てはダメ元。取り敢えずやってみよう。」「問題が起こったら、その時にまた考えよう」という思考が働く。実験にしても失敗の連続、投資も断られることがほとんど。「本当にもう駄目だ」と一瞬思っても、「いや、もうちょっとやってみよう」「このアプローチは試していない」と、直ぐに思考のスイッチが切り替わる。もちろん、失敗を無駄にしないように紡いでいっている。やり続けられている理由は、本当に、この2つだけ。本当にやりたいならやればいい。みんなできない理由を思いつくのはすごく上手。でも、そうではなくて、「どうやったら、出来るのか?」を考える。そして、やり続ける。

敏蔭:いやあ、すごいです。

緒川さん:すごいことやってるかって言われたらやってない。みんなできるんだよ。やってないだけ!やればいいんだよ。


PDエアロスペースは「常に3倍の力で」

敏蔭:御社では学生のインターンを採用する際に「やる気」を重視しているという記事を拝見しました。そういった「やる気」をどのように見極めているのでしょうか?

緒川さん:見極めるもなにも、好きならやるよね。重要なのは入ってから。やれないと思えば去ればいい。…あなた次第。

敏蔭:心に沁みますね…頑張らないと!

緒川さん:インターンシップも、そもそも会社の青田刈りの場ではなく、会社へ勉強しに来る場。学部・学年は関係ない。ただ、基礎知識が無いと大変ではある。けど、「大変」は本質ではない。緒川家の教育方針は、「義務教育は中学まで。高校へ行きたいなら自分で学費出して行け。それが出来ないなら、土下座して頼め」だった。(僕は、頭を下げて頼んだ)大学は、その最たるところ。”授業”じゃなくて”講義”。本来、大学の先生は教える義務はない。先生がやってることを学びたい人、「教えてください」という人が集まって来たから、纏めて伝えれば効率がいい。それが講義。

敏蔭:大学にいて「学びに来ている人」ってごく少数だなと感じる時があります。心に留めてこれからも学んでいきたいです。

緒川さん:大学の中で2%は本気で学びに来ている人たちがいるってよく言うよね。本当に学びたければ、いくらでも先生に食らいつけばいい。僕のところも同じ。本気でやりたいなら、こっちも本気でぶつかるよ。で、来た人は自分の能力の三倍超えた力でやって欲しい。ドラゴンボールの「3倍界王拳!」的な。生半可な気持ちでは出来ないし、続かない。やるなら、ちゃんとやって欲しい。本当に大変な環境だから、大概の人はやられちゃうんだけど耐えた人はその分、外に出るとすごい足腰鍛えられてると思うよ。

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写真:PDエアロスペース株式会社の皆さん

*2020年10月取材。インタビューの後半は、2021年1月号へ掲載となります。前編を読んだ感想を、ぜひTwitterで#Space Seedlings をつけてツイートして下さい。 「真剣を抜け、宇宙を目指す若者よ-後編」もどうぞお楽しみに…



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緒川 修治
1970年5月30日 名古屋市生まれ。福井大学 工学部機械科卒業後、三菱重工業で新型航空機開発プロジェクトに参加。2001年 東北大学 大学院工学研究科 航空宇宙工学専攻修了(宇宙機推進工学 升谷五郎研究室)。同年アイシン精機入社。2007年PDエアロスペース(株)設立、代表取締役就任。



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敏蔭 星治
東北大学 理学部宇宙地球物理学科天文学コース 2年

【専門・研究・興味】
天文学、系外惑星、銀河、アストロバイオロジー

【活動】
Tohoku Space Community (TSC)
東北大学ロケット製作サークル From The Earth


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