ボイジャー45歳、僕40歳
ボイジャーの45歳の誕生日を祝った。
僕はボイジャーがこれまででもっとも偉大な惑星探査ミッションだったと思っている。ボイジャー1号と2号は相次いで地球を飛び立ったあと、木星、土星、天王星、海王星を訪れて数々の科学史に残る発見をした。現在でも天王星と海王星を訪れた探査機はボイジャー2号のみだ。(ボイジャー1号は土星を訪れたあとに黄道面を離れた。)そして2012年には1号が、2018年には2号が、太陽系の境界のひとつとされるヘリオポーズを超え、誰も訪れたことのない星間空間に足を踏み入れた。
旅を続けるボイジャーは満身創痍だ。ボイジャー1号はプラズマ分光計が、ボイジャー2号は2台ある受信機の一方が壊れている。電源のプルトニウムは徐々に劣化し、得られる電力は打ち上げ時の470 Wから250 Wにまで低下した。人が老いて衰えるように、ボイジャーも電力の低下とともにカメラや観測機器を段階的に停止して行った。電力はこれからも低下し続ける。少しでも長く旅を続けるため、ボイジャーはさらに多くの機器やヒーターの電源を切る必要が出てくる。姿勢制御も現在の3軸から2軸に落とす。それでもいずれ地球と交信するための電力が得られなくなり、ミッションは終わる。その後もボイジャーのコンピューターは再起動を繰り返しながら、地球に向けて届かぬ弱々しい電波を送り続けるだろう。やがてそれすらできなくなるほどに電力が低下し、ボイジャーは死を迎える。
「誕生日会」はボイジャーの実物大模型が飾られているホールで行われた。JPLの元所長であり、45年間チーフ・サイエンティストとしてミッションを引っ張ってきたエド・ストーンもいた。カール・セーガンの妻のアン・ドゥルーヤンさんからのビデオメッセージが流れた。ゴールデン・レコードがプリントされたケーキが振る舞われ、ボイジャーからガリレオに至るまでのJPLの歴史ドキュメンタリー映画が上映された。1989年の海王星フライバイのところで、僕は泣きそうになった。あれが僕の原点だった。6歳の夏、父と一緒にテレビに釘付けになってみた。まだ誰もみたことのない海王星は神秘的な青さを湛える美しい星だった。宇宙のこんなに遠いところまで旅をして数々の発見をしてくるボイジャーは僕のヒーローになった。大人になったらボイジャーみたいな宇宙探査機を作りたいと思った。
今月、僕は40歳になる。
数ヶ月前の記事でも書いた逸話だが、小学校3年生が終わる頃、父と風呂の中でこんな会話をした覚えがある。
「もう小学校の半分が終わっちゃったよ、早いなあ」
と僕が言うと、父が穏やかに笑いながらこう返した。
「お父さんなんてもう、人生の半分が終わっちゃったよ。」
あの頃の父と、だいたい同じ歳になった。もう、人生半分か。もちろん幸運にも80まで生きさせてもらえるとしたら、の話だが。
旅行に出ると「もう半分か」と思う瞬間が必ずある。近場へ2泊3日の小旅行でも、日本へ1ヶ月の帰省でも、楽しい時間の折り返し地点はすぐにくる。そして終わりもすぐやってくる。
一体何人の詩人が人生を旅に例えたか。この80年の旅も、もう折り返し地点だ。きっと終わりもすぐに来るのだろう。時間は自己相似形だ。なぜなら時間の本質とは流れ去ることだからだ。必ずいつかは流れ去るという点において、1秒も、3日も、80年も、46億年も、本質的に何の違いもないのだ。
もちろん、ただ僕は自らの命を儚げに憂いているだけではない。幸せな家庭生活。可愛い娘。がむしゃらに夢を追いかけ、6歳の時から憧れていた場所にたどり着いた。今は45年前からボイジャーに携わり続け現在は副チーフ・サイエンティストになっている人と一緒にプロジェクトをやってもいる。さながら、カズに憧れてサッカーをはじめた少年がプロになってカズと一緒にプレーするようなものだ。夢のようではないか。あるいは、本当に夢なのではなかろうか。それが終わる時、僕もやはり「浪速のことは 夢のまた夢」という気持ちになるのだろうか。
現在46億歳の太陽の寿命はおよそ100億年だという。だから太陽系もだいたい折り返し地点だ。もし太陽や惑星に心があったら「もう半分か」とため息をついているだろうか。
いや、むしろ折り返し地点で急に起きた出来事に驚いているだろうか。突如として第三惑星に高い知能を持つ大型哺乳類が現れ、急速に技術を発展させ、ついには太陽系の外まで届く宇宙船を打ち上げた。はじめて知ってもらえたことを喜んでいるだろうか。あるいは、人類文明がその技術で自らを滅ぼしつつあることを憂いているだろうか。人類文明は始まったばかりなのだろうか。それとも、とっくに折り返し地点を過ぎているのだろうか。
ボイジャーとは「旅人」という意味だ。電池が切れて動かなくなった後も、その亡骸は宇宙のさらに遠くへ飛び続ける。腹に抱えたゴールデン・レコードは数十億年も朽ちずに残ると考えられている。もしかしたらそれが人類文明最後の記録になるかもしれない。いつの日か、どこかの文明に回収されるのだろうか。あるいは50億年して太陽が爆発したのちも、誰にも気づかれずに宇宙の芥として飛び続けるのだろうか。
僕らはみんな「旅人(ボイジャー)」だ。みんな土に還るその日まで、四次元時空の時間軸に沿って歩き続けている。みんな旅の途中で幾多の喜怒哀楽をくぐり抜けてきただろう。短い旅もあれば長い旅もある。楽しい旅もあれば辛い旅もあるだろう。全ての人の旅は異なる。その行き先が同じという点だけを除いては。
「幸せとは、旅の仕方であって、行き先のことではない」とアメリカの政治家ロイ・M・グッドマンが言った。ボイジャーよ、僕はここまで、良い旅の仕方をしてきたかな。残りの半分はもっと良く旅を続けられるかな。
みーちゃんは今、6歳半。僕がボイジャーの海王星フライバイを見たのとだいたい同じ歳だ。彼女の前には、どんな旅が待っているのだろうか。
小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。