子どもに『有難い』について説く
家族になって5年目になるボーイと、2人きりで過ごす日もある。
小5ボーイはいつの間にか一丁前に成長し、
結婚当初のような
1人でトイレに行けない〜涙とか
おねしょしちゃったけど眠いから着替えたくない〜涙とか
おしりたんてい見たい〜涙とか、
とにかく子どもっぽい理由でピーピー泣くことはなくなった。
というか子どもだからこそピーピー泣いていたのだと最近わかった。
今思えばピーピー泣くくらいならかわいいもので、
昨日の洗濯物を仕舞う依頼をしたときのため息and嫌々やってますオーラはすごくムカついた。
嫌々でもやってるだけで偉い!
とは思わない。
私が大切にしているのは『想い』だ!!!
在宅ワークを少し休憩して一緒に畳みながら、普段私が洗濯を畳んで仕舞っていることに感謝しているか問うてみた。
ボ)わかんない
わ、わわ、わわわわわかんないだとおおおおお
と心の中では叫んだものの、以前のゴリラのような私ではなく、多少イライラした人間として会話を続けた。
私)洗濯もご飯も当たり前だと思っているのかね
ボ)さぁ、考えてない
ほぅ。
この時の私はよほど機嫌が良かったのか、
ハンガーと洗濯物をぶん投げることもなく、再び問うた。
私)どうしたらこの有難みがわかるのかねぇ?
ボ)一人暮らしでもしたらわかるんじゃない
おっしゃる通りだ。
まさに私も一人暮らしで有り難みを知りました。
その日の2人きりの夕飯のあと、いつものようにミカンとバナナを食すボーイ。
ミカン♪としっかり音符を付けながら皮を剥いているボーイに、ミカンがあることに有難みを感じているか聞いてみた。
ミカン食べたいなぁと言うボーイのために
ミカンを買ってきたことについて、
『有難い』の気持ちはあるのか?
ある、と答えるボーイ。
テレビが家にあること、Huluが見られること
それも当然のことだと思ってないか?
当然の逆は有難いだぞ!
少し考えてから、ボーイは答えた。
ボ)家事も、今考えたら有難いと思う
私より20年ほど早めにボーイは気づいたようだ。
今日は生協が玄関前に置き配されている日。
昨日のやりとりに便乗して、学校から帰ったら生協の食材をしまっておいてほしい〜とお願いしていたものの、
忘れられている可能性大!と覚悟しながら帰宅すると
すでに玄関前には跡形もなく、
食材たちは冷蔵庫の決まった場所に整然と収まり、
空き箱はベランダの端に置いてあった。
パーフェクトヒューマンかよ。
今日の夕飯には有難うの卵焼きが一品追加された。