継子への優しさキャンペーン終了のお知らせ
日曜に足の指を骨折した小5の継子ボーイ。
ちょっとした骨折なので、松葉杖なしで歩けるような状態。
1日目はなるべく座らせ、私が食事を運び、
2日目は一緒に朝ごはんを作り、学校にも送迎し、
3日目は声がけはするもののいつも通りの日常に。
だって段々歩き方もスムーズになってるし、
朝ごはんを自分で作るくらいできそうだったもん。
3日目にはフライパンも洗ってね〜といつも通りの容赦ない私に。
ボーイも一切弱音を吐かず、黙々とやる。
残っている業務は朝の学校への送迎(学校のエレベーターに乗るには大人の付き添いが必須で、知らない先生に頼むのが恥ずかしいから)、
習い事の送迎(電車に乗る、暗い道を歩くため)のみ。
歩き方はスムーズにはなっているものの、
トボトボ歩きのうちは親の送迎が続きそうだ。
そういうことで、最近はなかった親子2人で歩く時間が増えた今週、旦那としくんがまた嘆いていた。
と)最近、ボーイがあんまり話してくれない…涙
私)そうなの?私と2人の時はよく話してるけどね
と)おたまやんのほうが話しやすいのかも…涙
としくんの見解はこうだ。
・お父さんは構いすぎて鬱陶しい
・お母さんは程よい距離で話しやすい
確かに私は基本的に粗塩対応だ。
深く考えず言葉を発するのは子どもあるあるなのに、
そういうのにいちいちカチンと来る私は、相手がどう感じるかをコンコンと話し、改善を求めるし、
くだらない話はバッサリ切ったり無視することも多々ある。
お父さんのようなオーバーリアクションや称賛はほぼないお母さん。
ボーイ自身がそれを程よい距離感のコミュニケーションと捉えているかはわからないが、
粗塩対応の私に比べるととしくんは甘々対応だ。
私たちが家族になった、ボーイが小学校低学年の頃は、
鬼の継母に比べ、いつも自分の味方をしてくれ、毎日大好きだよとハグしてくるお父さんをボーイが大好きなのは一目瞭然だった。
それで私が自分の不甲斐なさに捻くれるのだけど…
私から見ると今でもお父さん大好きなボーイのままのように見えるが、
生まれた時からボーイといる彼のほうが小さな変化を痛感しているのかもしれない。
大好きな親を、いつしか鬱陶しいと感じるようになるのも、また自然なことのようにも感じる。
親子のうち、親の方の気持ちについて、イマイチまだわからないことが多い。
父として落ち込む様子を見ながら、
子どもとはいえ、別の個体だし、究極他人なのだから、
そんなに気にしなくていいのでは?と、冷めている私。
いつか、私にも旦那としくんの気持ちが痛いほどわかるとき、
なんなら彼よりもショックを受けて寝込むときが来たりするのだろうか。