1996~1999 自我の芽生え
皆さんは、この世に生まれ、いつ頃から「自分」というものを意識したでしょうか?
僕は正直、自分という人間を意識したのがいつなのか、正確な記憶はありません。
しかし、トランスジェンダーである僕の「自我の芽生え」というものは、自分の記憶にこそほとんどないものの、記録にははっきりと残るものでした。
今回は、僕の自我の芽生えとともにスタートした性同一性障害の、トランスジェンダーな始まりを書いていこうと思います。
2歳までは…
子どもが「自分」というものを認識するのは、おおよそ3歳頃だと言われています。
その頃から
あれをしたい、これをしたい、あれはイヤだ、これはイヤだ…
と、より自分の意思によって行動するようになるのだとか。
まさしく、僕が言論の自由を振りかざし始めたのが、3歳の時でした。
2歳までは、両親や家族から着させられる女の子の格好、髪型で何の違和感もなく過ごしていました。
こんな感じでちゃっかりかわい子ちゃんやってたんですが、、、
この和奈ちゃんが、まさか可愛い格好撲滅の反対運動を起こすようになるとは。笑
反対運動 序章「七五三」
前兆があったのは、七五三。
僕が3歳を迎える直前の頃でした。
七五三といえば、女の子は振袖に男の子は袴。
僕の自我がゆっくりと目を開けようとしている中、人生で初めての「男女の違い」を目の当たりにし、僕の脳が「違う!」とサイレンを鳴らした瞬間だったのでしょう。
母、祖母、叔母が総出で僕にお着物を着せようとしました。
でも僕は、イヤイヤ攻撃。
かなり苦戦した、と母が言ってました笑
しかし、みんなの「とある作戦」により、、、
WINNER 母達
和奈ちゃん、お着物お召になりました。笑
では、どうやってイヤイヤ爆弾を投げ続けた僕を納得させたのか?
その作戦の証が、上の写真にも写っています。
ちょっと寄ってみましょう。
お分かりでしょうか??
なんと、、、
お着物の中央部に、僕の大好きなヒーロー達が連なっているではありませんか!!!
そうです。
母達が考えた苦肉の策は、僕の大好きなウルトラマンや戦隊ヒーローのワッペンをお着物に付けることで、キャラクター服に見せかける作戦だったのです!!
しかし、反対運動の指導者 和奈ちゃんは、このお着物を一筋縄では受け入れませんでした。
ウルトラマンのパジャマを絶対に脱ごうとしなかったのです!
第二の壁にぶち当たった母達。
ただ、一度大きな壁を破った母達は強かった。
「パジャマの上から着せちゃえ♪」
和奈ちゃん、完敗………やられました。
お着物を着て、お宮参りを終える頃には
チ───(´-ω-`)───ン
あらゆる表情の中で、この効果音が似合う顔ベスト3に入るのではないかと思うほどの撃沈顔。笑
そして何故か寄り目な弟。笑
これが1995年11月の出来事。
この2ヶ月後、僕は運命の3歳の誕生日を迎えます。
そこからが、可愛い格好撲滅の反対運動 本戦開幕となりました。
こんな格好イヤだっ!
1996年1月6日、僕は3歳の誕生日を迎えました。
この頃から、僕の大規模デモが起こり始めたのです。笑
「スカート履きたくない!」
「長い髪イヤ!」
「女の子の格好したくない!」
七五三で一度僕を撃沈させている勲章を持つ両親。
果たして、更に激化した僕のデモをどうやって沈めたのか!?
解決策はなんと!
「やりたいようにやらす」でした笑
この頃の僕は
「女の子の格好はしたくない!」
「自分も男の子と同じパンツ1枚がいい!」
僕がこれを言って聞かないもんですから
両親も保育園の先生も頑張って、女の子のグループの中に海パン一丁の女の子を放り込むという荒業に出たわけです笑
格好だけにとどまらず、母を困らせた運動はというと…
「なんでカァにはちんちんないの!?」
「カァも立ってオシッコしたい!!」
※ カァ は僕の小さい時の呼び名ですって笑
同級生やいとこの兄ちゃんのそれを見てよく言ってたらしいです。
そして、母がこれを言われる度に僕に言っていた言葉…
「大人になったら生えてくるから大丈夫!」
…
……
………
まだ生えてこないんですけど…(°д°)
20年以上経った今でも「いつ生えてくるのかな~」と楽しみにしてる僕ですが、当時もやっぱり男の子のおちんぽこが気になってたようで笑
着替え中のお友達の局部をガン見している写真もございました笑
「なんでコイツにはあって自分にはないんだろう?」
って思ってたんでしょうね~。
幼なじみとのおままごと
さて、自我が芽生えてからの僕の外的主張については綴りました。
次は、当時の遊び・友達関係を通して、和奈ちゃんを見ていきましょう。
僕には、保育園の頃一番仲の良かった男の子がいました。
名前は、はーちゃん。
はーちゃんは笑顔が可愛くて優しいちょっぴりおバカな愛されキャラの男の子でした。
そんなはーちゃんと、僕がいつもやっていた遊びが「お母さんごっこ」。
おままごとみたいなもんです。笑
役はいつも決まって、男の子のはーちゃんが「お母さん」
そして、女の子のはずの僕が「お兄ちゃん」
保育園のいたるところで、いろんなシチュエーションで、気が向いたらこの役を2人で演じながら楽しむ「お母さんごっこ」笑
詳しくは覚えてないですが、やってたな~って記憶はあります。
今思えば、その当時僕は
「お兄ちゃん役を演じる」ということを良いことに、自分がそうありたいと思う姿を体験したかったんだろうなと。
一方はーちゃんは、男の子でありながら、ただただママ役を楽しんでやっているという可愛い子でしたwww
これは、後になって母から聞いたことですが、僕はよく母に
「はーちゃんと結婚する!」
って言っていたそうです。
しかし、その真意は
男の子としてのはーちゃんに想いを寄せていた
のではなく
はーちゃんがお母さんになってくれれば自分はお父さん・お兄ちゃんになれると思っていた
「きっとそういうことだね~笑」
なんて、今となって母と二人で納得したのでした。笑
今思えば初恋!?
今もグリーンと迷彩柄が好きな僕。笑
この頃からちゃっかりカモフラを着こなしておりました。笑
そんなことはさておき。
保育園の時から、僕は友達に恵まれ、男の子・女の子関係なく仲良しの友達がたくさんいました。
先程、はーちゃんの話をしましたが、他にも親同士仲が良く、同じスイミングスクールにも通っていた女の子の友達がいました。
名前はAちゃん。
Aちゃんは優しくて、大人しくて、とても可愛い女の子でした。
当時のことは詳しく覚えてないですが、母いわく、僕はAちゃんに幼いながらすごく優しく接していたとか。
覚えてないことも多いですが、Aちゃんとは、保育園を卒園したあとにも、はっきり覚えている思い出がたくさんあります。
今でも東京暮らしの僕の家にあるAちゃんとの思い出の品、Aちゃんが小学生の時に僕に言ってくれた言葉…
思い出と喜びと高揚と悲しみ、そして悔しさ。
このAちゃんの話は、また小学生編で詳しく書いていこうと思います。
今思えば、僕の初恋はAちゃんだったのかなぁ、なんて思ったり思わなかったりしている今日この頃です。笑
保育園 卒園
驚くことなかれ。
これが私の卒園式の衣装よ。
いくら女の子の正装が嫌だったとはいえ、コタツでミカンが似合いそうなこの赤チョッキはどうにかならなかったのかしら。笑
ほんでミカンジュース飲んどるし。笑
自我の芽生えと共に、僕の望みを押さえつけるのではなく、伸び伸びと見守ってくれた両親や保育園の先生達。
そして、海パン一丁の女の子といつも遊んでくれたお友達。
そんな環境もこの日が最後です。
のほほんとミカンジュースを飲んでいるこの時の僕は、小学校に上がって、今までよりもずっと「男女」というものを強く意識しなければならなくなるとは、思ってもいませんでした。
赤いランドセル。
男女で形の違う安全帽。
そして、制服。
男女で分けられる世界。
その中で、僕はいつしか反対運動を止め、順応していこうと努力するようになります。
自分の本当の心を知ってか知らずか…
気づいているようで気づいていなかった。
まぁ、男女の壁を感じる以前に、楽しかった学校生活がそこにはあったのですが。笑
ただ、今現在の僕が出来上がるまでに、とても重要だったと思える経験や気持ちの変化がたくさんありました。
次回の更新は、小学生に上がった和奈ちゃんについて書いていこうと思います。
最後に、皆さんの安眠を誘う6歳の僕と4歳の弟のほっこり写真を。笑
ではでは~!