時々考える自分の立ち位置
風邪を引いたので、自宅から仕事をしている。今日は重要な会議がある日で、本当は出席したかった。お茶出しとか、アジェンダをメールで送っておいたかとか、心配しても始まらないのにそんなことが気になる。
職場では、いると便利な人、らしい。雑用が増える一方、やりがいもある。私は日本人だから、時間を守るし、仕事が片付かないと気が済まないのだと、公言している。
家族での位置も少し似ている。いると便利な人、なようだ。義母は息子たちに頼み事をしてもすぐにはやってくれないのに、私はすぐに片付けるから助かると言う。職業病だからかもしれない。
彼女の息子たちは、皆、忙しい。それぞれ全く違う職業についてはいるが、仕事に簡単に穴をあけられるような職種ではない。優先順位の問題だと思う。母親のわがままに付き合っていたらキリがないと思っているようだ。
彼もそういう類の人だと思う。忙しいと長時間放って置かれる。時々、私が連絡を急に絶ったら、どんな反応をするのだろうかと思う時がある。フラれるのに慣れていると言っていたが、私もその内の一人になって、すぐに忘れられてしまうのだろうか。
この人は私が居なくても、すぐに立ち直って自分の人生を生きると確信している。家庭があって、仕事がある。とても美人の愛猫もいる。そこがよかったのに、寂しいと思うのは矛盾している、と自分でも思う。
夫は私を失うことを恐れている、と感じると前にも書いたが、それは出会った頃から変わりない。仕事の付き合いで遅くなる時など、タクシーに乗ればいいとか、迎えに行くとか、私の身の心配をしてくれる。健康面でも同じで、私の栄養のバランスなどうるさいくらいだ。
物分かりがよく、いると便利な人だから、だけではないのは理解しているが、人間関係は複雑だ。特に男女の関係は。
彼がいつになく頻繁にLINEを見ている。私の風邪を心配してくれているのか、そういう、さりげないところも好きだと思う。
先に書いたチューリップは、あっという間に枯れてしまって、夫はがっかりしたようにさっさと捨ててしまった。私のせいじゃないからね、とゴミ箱に捨てられた可哀想な花に同情してしまった。
そろそろ会議が始まる頃だ。私が居なくとも、つつがなく終わるに違いない。