土曜の朝、日本語を愛す
また、私にとって新しい日本語にお目にかかれたので、いつものように掘り下げてみた。その言葉自体は抵抗なく理解出来るし、こういう表現が出来る日本語って好きだなあと思いながら、ネットにある情報を読み続けた。
きっかけは、あるジャーナリストが、据え膳を食わぬ男、と言ったらしい。こういう古い表現を捩られたりすると、私は溶けてしまう。すごいなあ。
でもそういう風貌の人はいくらでもいるけれど、社会現象と言えるほどなんだろうか。私もそういえば、そういう人に引かれるかもなどと思う。
私は男性ではないので、分からないことが多い。据え膳て、いつ、どうしたら判断できるんだろう。
お酒の席でも、私はお酒が強いので相手が潰れてしまう事の方が多い。
年下の元彼とは、お互いにとって据え膳だった。女性の立場では、据え膳に手をつけてしまったことを恥じないでもないが、お互い愛情に飢えていた。面目ないとしか言いようがない。
こればかりは、自分で決めないといけないと思った。
据え膳になるかどうかだ。
学生時代に付き合っていた彼から初めてそういう打診があった日、私には相談出来る人はいなかった。経験のある友達なら、何が問題なのと言われ、経験のない友達には分からないと言われるだろう。姉がいたら相談出来ただろうか。20歳になろうとしていた冬のことだ。
この人が初めての人だというのは、いいと思った。じゃあ覚悟が出来ていたか、というと出来ていなかった。彼の方も半年付き合って、やっと言う勇気が出たらしいと嬉しく思った。けれど、経験のない事にどう返事をしていいものか分からない方が普通ではないか。経験があっても躊躇するのに。
据え膳に簡単に手をつけるタイプではないとどこかで感じていた。お誘いを断ったことが何度かあるようなことも言っていた。少し驚いた。彼は私に品のない話をしてほしくないというような古いタイプの男性だったから、詳細は教えてもらえなかった。
私と価値観が合うのか、それとも彼の価値観を植え付けられてしまったのか、20年以上経った今でも、私はどうもこの人の影響下から抜け出せない。その殻を破るのは容易ではないが、どこかで破って成長したいという欲求がある。
女性としては、据え膳と呼ばれることに抵抗がある、と私は思う。何故なのかは分からない。元彼は私の良妻賢母的なところがいいのだと言った。私は妻であり、母でもあるが、それだけだ。賢くも、よくもないと思うと苦笑しながら答えた。矛盾の多い人だった。私が積極的でないことに不満を漏らすことが多かったのに。
私の夫も恥より、何を食すかにこだわる。日本人ではないので、このような表現は知らないし、手をつけないことを恥だとは思わないだろう。
男尊女卑だと揶揄されそうなので、聞かないでおいた方がよさそうだ。
それに、今となっては、余計なお世話でもある。