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愛という言葉、重さと重要さ

彼に初めて愛してるとLINEにメッセージをもらった。冗談めいていたけれど、愛という漢字が目に飛び込んできて、これはどう反応しようかとしばらく考えた。

元彼の母国語は発音がかなり困難だが、私にはとても美しく聞こえる。この言語を学ぼうと選んだのは、音に惹かれたから。特に愛してるという言葉は、心が震えるほど優しい。(何語であるかは、読む方の一番好きな言語を想像しながら読んでほしいので、あえて明言しないことにした。)

彼にも知って欲しかったので、その言語で返答した。多分ピンと来て、調べたに違いない。その後の会話はいつになく丁寧で、優しかった。感情の起伏がなく、私を安心させてくれる短い言葉がいつになく頻繁に返される。

手探りの関係は双方神経を使う。私は時折、間接的に愛情表現をする。返事はあまり期待していなかったけれど、こうストレートに返ってくると嬉しい反面、展開の速さに少し気後れする。

彼も何か吹っ切れて、私との距離を縮めようとしているのだろうか。語られない部分が多すぎて考えがまとまらないが、とりあえず返事がしたかった。

愛しているという日本語はぎこちなくて、使いにくいと常々感じているので、出来れば他の表現を選びたかった。挨拶がわりに使うには愛してるという日本語は重すぎる。

元彼との関係を彼にはそれとなく話してある。今でも古傷だと、忘れたい過去だと念を押した。彼は私の夫のことも、平気で話題にする。嫉妬はしないらしい。

私は彼の奥様については遠慮して触れない。不仲であるという情報しか持っていないからだ。セカンドパートナーを彼が持つことをどう思っていると思うかと、尋ねてみたことがある。聞いてみたことがないという短い返事だった。そう、彼女は恐らく知らないのだ。

関係が深くなるにつれて、心配も頭をもたげる。私たちの現在の状況からどう未来を見出していけるのか、彼は考えたりするのだろうか。これも怖くて聞いたことがない事の一つだ。

このまま本気になって一体どうするのか私自身も分からない。実際に会ってみて、また事がさらに複雑になるかもしれないリスクを少し恐れている。でもそれ以上に切実に彼に会ってみたいと思う。

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