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子どもの頃の夢、今の夢

子どもの頃ギリシャ神話が好きだった。学校の図書館にある子ども向けの本にはあまり興味が持てなかったが、簡略化されたギリシャ神話は、とてもおもしろかった。

その中で一番気に入ったのが、この無欲な老夫婦の話だった。

バウキスとピレーモーン

中略

「見事なる翁と媼よ。そなたたちの望みを言うがよろしい」
神々の問いかけに、夫婦は少し相談したあとで望みを語った。
「私どもは神官となり、この宮の番をしとうございます。そしてこれまで2人で暮らしてきたものゆえ、それぞれ同じ時刻に息を引き取らして下さい。わしが婆の墓を見たり、婆がわしを埋めるようなことが無いようにしていただきとうございます」

神々は2人の願いを聞き届けた。

Wikipedia  バウキスとピレーモーン


子どもながらに描いた理想の結婚は、こんな風に終わることだった。そして、そこに辿り着くプロセスはとてもシンプルで、ある意味とても美く思えた。小学校2年生くらいだったと思う。
両親の仲があまりよくなかった頃だ。

今日は、明け方早く目が覚めた。彼は私がこの時間一時的に目を覚ます事に気づいている。彼にとっても週末の午前中は時間が取りやすいのかもしれない。
LINEにメッセージを入れると既読になり、しばらくすると返事が来た。

この人と私が何故こんな形で出会ったのか、不思議でならない。
私たちは歳が近く、生まれ育った所も遠くない。それなのに、その私たちがなんの因果で、11000kmも離れた場所で、しかも結婚後に出会ってしまったのか。

出会った頃彼に、恋人になれなくても友達になってほしいというような事を言った。日本に帰った時、一緒に食事をしたり、コーヒーを飲める歳の近い気の合う相手がいたらいいと思ったからだ。どんな返事をもらったか記憶にない。

それは私の中では今でも変わらないけれど、彼にしてみれば、女性としての私が必要な訳で、返答に困った気持ちも分からないでもない。

君にもらうメッセージを読むのが楽しいんです。

それでも、彼はそう言った。私にとっては最高の褒め言葉だ。

夫もおそらく同じような事を思ってるのだろう。話しの合う同士のようなもの。人生のパートナー。

もしこのままこの幸福が続くのであれば、私はどちらのパートナーの元で人生を終えるのだろうか、ふと考える時がある。

「わしが婆の墓を見たり、婆がわしを埋めるようなことが無いようにしていただきとうございます」

もちろん、避けられるならそう願う。でも私にはそれよりももっと切望する事がある。

「どちらかを選ばなければいけないような状況に、私をおかないようにしていただきとうございます」


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