過去は過去と分かっていても
義母には毎年クリスマスになると、子どもたちの写真入りのカレンダーを贈っている。子どもと言っても二人は成人しているので、そろそろ止めてもいいのかもと思うけれど、孫には違いないらしく、義母は喜んで自宅の壁に掛けてくれる。
一番上の子が生まれてからほとんど毎年あげているカレンダーを壁に掛けたまま外さないので、20冊以上が壁にびっしりと掛けてある。
最初のお産が一月だったので、その前のクリスマスは臨月のお腹を抱えて義理の両親の元で祝った。初孫ということもあって、いつになく話が弾んだ記憶がある。夫や彼の兄弟の幼少時の話を聞かせてくれたり、一緒に育児書を見たりと義母はとても楽しみにしてくれているようだった。
結婚して最初の10年以上、クリスマスは義理の両親の家へ行くのが習慣だった。私がクリスマスを嫌う理由がそれに所以していることを家族のほとんどが忘れてしまっている。
義母と私はとても仲がよいと以前にも書いた。私たちは少し似ているところがあるからかもしれない。我慢強いところとか頑固なところとか。
私がこちらに来た時には、義父は教師の仕事を辞めて早期リタイアしていた。義母は義父をサポートしながら仕事を続けた。義父は事あるごとに義母を嗜めた。理由などどうでもよく、八つ当たりにしか見えなかった。
クリスマスや夏の休暇の間、その矛先が私に向かうこともあった。癇癪を起こしたり、明らかに嫌味や中傷と思えることを言う。大したことではないが、それが毎日となると流石に辛い。
今の日本語にはモラハラという言葉が普通に使われているようだけれど、その頃はあまり知られていない言葉だった。夫や兄弟たちは慣れてしまっていたせいか、抵抗せずに言わせたい放題だった。
家族が皆慣れてしまっていたせいで、それが普通のことのように振る舞った。逆らわずに、我慢すればいいと誰も何も言わなかった。今思えば、それが間違いだったのかもしれないと、夫は後悔している。私に辛い思いをさせた事を悔いているようだった。
私が言い返さなかったのは、義母のことを思ってのことだ。波風を起こすと義母がとばっちりを食う。そう思って我慢した。
子どもたちは小さかったけれど、その日の事ははっきりと覚えていると言う。
ある年の夏、義理の両親が小さい息子たちを一週間ほど預かってくれていた。夫と私は子育てから少しだけ解放されて、外食したり映画を見たり久しぶりに自由な時間を楽しんだ。
その週のある朝、義母から電話が入った。まず第一声、心配はいらないけれど、と言った。彼女の声の様子から、何かがあったのがすぐ分かった。義父が義母と子どもたちを乗せた車を運転中に、居眠り運転をして事故を起こしたのだと説明されて、私は真っ直ぐに立っていられなかったのを覚えている。
幸い義母は軽傷、息子たちと義父は無傷だったが、車は廃車になるほど大きな事故だった。糖尿を患っていたこと、空腹のため血糖値が下がって睡魔が襲ったことなどが原因だったと後になって分かったことだが、夫はあまりの迂闊さに怒りを隠せなかった。それ以来、夫と義父との間が上手くいかなくなり、それがこじれにこじれた。義父はさらに義母に辛く当たるようになった。それでも義母は我慢した。でも我慢にも限界があったようだ。当然だと思う。
義母は息子の方を選ぶ羽目になり、義父とは結局数年後に離婚した。義父は家を出て田舎に越して家族との連絡を絶った。それ以来義父のいないクリスマスは平穏で楽しい行事であるはずだったのに、私には毎年クリスマスに限って義父の声が聞こえてくるようで、心から楽しめなかった。
去年のクリスマスに夫の兄が義父を連れて来るまで、私は13年間義父に会っていなかった。老人性の痴呆を患っているのだという。息子たちの区別がつかないようだった。私の顔を見て、名前を呼んだ。私の事を覚えていたのは驚きだった。そして元妻のことも覚えているようだった。
何度も君の子どもたちは何ていう名前かとか、何歳になったかとか聞いて来た。私はどうしていいか分からないまま相手をしていた。娘は義父に会ったことがなかった。離婚後に生まれたからだ。義父は娘のことも知りたがった。人が変わってしまったかのように、優しい老人になっていた。
夫はそんな父親を可哀想に思うのか、それ以来数ヶ月に一度は父親を訪ねて行くようになった。私は何度か誘われたが、足が向かなかった。
義父はもう旅行が可能な状態ではないらしく、今年はホームでクリスマスを過ごすことになる。夫に服などを買っておいて、義父にクリスマスに渡してもらえるようにホームに聞いてみてはどうかと提案してみた。夫はそうしようかと、早速準備をしているようだった。
義母は昨夜遅くに義弟の家に到着した。私たちは後一週間仕事と学校があるが、その後は休暇に入る。
居間に置かれる大きなもみの木の匂いが鼻をくすぐり、家の中が賑やかになる。私はいたたまれない気持ちを隠して出来るだけ楽しむ努力をする。義母にはすでに新しいカレンダーを用意してある。
今年もきっと喜んでくれるだろう。