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#5 物理的に動的人生

今日はお天気も良く、平穏な一日だった。なかなかこんな日はない。

思い返せば、私の人生の中で平穏が続いたことなんてほとんどなかったなー。

引越しした回数だけでも20回以上。物理的に動的人生でしかない。


物心ついた頃にはいつも叱られることにビクビクしていたし、毎日ママのお出掛けに上の弟をかばいながら必死でついて回った。

幼稚園に通い始めた頃から忙しく習い事漬け。一般的なそろばんやお習字はもちろん、フィギュアスケートや古式泳法まであらゆる習い事に追われた。

中学に入る頃にはそういう毎日にうんざりして逃げ回った。大好きな友達とオテンバするのが楽しくて仕方なかった。同時にパパとママはいろいろと衝突して、両親は離婚に向かった。

高校生の頃には9歳年下の弟とパパと暮らし始めた。県内一の進学校に通いながらつたない主婦業と母親代わり、そして遊びも決して怠らないという(笑)パパは難しい人だったし、弟はまだまだ幼過ぎた。

たくさんいたパパの彼女の一人がママの元親友だったようで、それが離婚の最大の原因だったらしいけど、その人の指金でパパがおかしくなっちゃって、身の危険を感じるようになって、家出同然でママの所に移った。

ほどなくしてパパの会社が億単位の負債を抱えて倒産&夜逃げ。

その頃はバイトと遊びに明け暮れる毎日。危ない目にもたくさん遭いつつ、なんとか経歴も心身も汚さずに済み、ギリギリ短大を卒業。

その後どうしようかな~って考えてたら「家族の平和のために頼むから出てって」と上の弟に言われて「なるほど」とそれに気づき、独立。

バブルの残り香漂う中、最高の条件で就職。商品先物取引の国家試験にも合格したけど、商法が完全に違法。メガバンク系列のそれとは違い、怪しすぎた。悪徳や詐欺ではなかったけど、良心の呵責に耐え切れず半年で退職。

その後、いくつかの仕事を経て、最初に就職した会社の同期=今の旦那と結婚。小ぢんまり自営している家の三男坊と結婚したはずが、実は中堅企業の家業を手伝うと言い始め、突如、地図上の場所もイメージできない関東の果てに転居。

初嫁の私はいきなり兄二人と姑と同居。地元じゃ有名なダイナミックな女社長だった姑は、百貨店の店員さんだって名前を聞くだけで恐れおののくほど。それからおしんにも負けない生活が5年。で、先に家業を継いだ兄達に合わせられなかった旦那は家業を辞めて転職、流転の身に。そんな最中に長男が生まれる。

そうこうしている内にどうせ引越すならと実家へ転がり込む。その途中でムスメを妊娠、臨月の頃、唐突に自営を始めたいと言われ、旦那が無賃修業を始める。

2年ほどでまだ早いと言われながら独立、世話になった実家を突如出て大阪のど真ん中で開業するも、わずか一年余りで挫折。弟想いの兄達に呼び戻されて、再度関東の果てに舞い戻り、母や兄達に助けられながらまた開業。

さらに奥深い関東の果てで、手伝う予定じゃなかったのに朝から晩まで仕事にがっつり身を挺することになった私は、夕焼けを見るだけで涙が止まらない感じで激ヤセした。同時期に兄ぃのADHDが発覚。今思い返してもどうこなしてたのかと思うほど。

その後、毎月二回の兄ぃの通院に付いて行ってたムスメにすんなりとアスペルガーの診断が下る。社会通念が身につかないムスメが、保育園や学校から無事帰れるか心配する毎日。成績なんて3の次。

東日本大震災。

数えるのが馬鹿らしくなるほどたくさんの紆余曲折を乗り越えながら、なんとか二人の子ども共に理想通りの学年数で学生生活を終了できそう。(来春ムスメが最終学歴を卒業予定)

…なんていう「ようやく」感のある見込みが出来た途端、旦那はまたしても廃業すると言い出した。サポートしてきてくれた姑や兄達との兼ね合いもあるが、今年の内にそうなるだろう。15年以上踏ん張ったが、もはや私にはどうでもいいことになってる。

とまぁ、そんなこんな身の上話の中に、家族みんなの健康上の問題や多種多様なトラブル等は含まれておりません。また、各センテンス毎にかなりのエピソードもございます。(笑)


ここまで記しながら、この辺りなら何年か落ち着いてたかな?…っていう期間が全く見出せない私の歩み。

いつでもギリッギリセーーーフッ!!!だった。(笑)

折を見ながら、追々、詳しく記してみよう。






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