好きでいるということ
人を好きでいることって、尊くて大切で儚くて、でも好きな対象がずっと変化しないと思ってしまうのは傲慢だよなあと思う
それぞれの人生があって、そこに私は関わっているようで関わっていなくて、選択は紛れもなく自分のもので、それに対してどうこう言うのは話が違うよね
みたいなことを頭では分かっていて、きっと彼女達の最善に対して勿論私は納得するしかなくて、そんなの分かっているんだよ
自分の希望の足がかりを人に全振りしているようじゃダメだって、大好きなギタリストが居なくなった時も思ったのに
いつの間にか、というか、ごく自然に、彼女達の今の音楽が鳴らなくなる未来を想像できなくなってしまっていたものだから
長々と、分かるようで分からないような文章を連ねてきたけれども、ただシンプルに、大好きなバンドが解散を発表して悲しい、という話
未発表の曲が無いとしたら、全曲知っているし、全曲の良さを語れるくらいに、丸ごと好き
失恋とか、挫折が悪いものじゃない気がしていたのは、それに寄り添った音楽を目の前で鳴らしてくれていたからなんだよ
2月以降、私はどうしたらいいの?と思うけど、それは各個人でどうにかするしかないというもので、私は大人だからさ 分かっていますよ、分かってはいますよ
分かっては、いますから
好きです 神様みたいに思っていました
大好きです、たださみしい、たださみしいだけ