ペペシのアメリカ留学 その6😆✨
ユタ州には、ソルトレークシティーの名前の由来ともなった「グレートソルトレイク」という大きな湖があります。日本で言えば山梨県と同じぐらいの面積で、その時々で大きさが変化するのですが、おおよそ琵琶湖の7~9倍ぐらいという、とっても大きな湖です。
特徴は、名前の通り「お塩の湖」ということ。塩分含有量は25%と、海水の8倍もあり、実際に海水浴場もあります😁
二軒目のホストファミリーにお世話になってすぐの頃、まだ良好な関係だった時に😅、一度だけ連れて行ってもらいました。
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17歳の弟からのいじめに耐えかねた私は、留学のお世話をしてくれた、日本のインターナショナル・フェローシップへ手紙を書きました。
祖母が亡くなった知らせを受けて、間もないころのことです。ある意味、命を懸けて私を送り出してくれた祖母のためにも、この状況を変えなければと腹をくくり、行動に移しました。
もうすっかり内容はうる覚えですが、家庭内でいじめを受けていること、Momも協力的ではないことなどを、手紙に書きました。
けれど日本の両親へは、、、その時点ではまだ何も伝えませんでした。祖母が亡くなったばかりのところへ、また心配を掛けるような話はできません。
手紙を書いてしばらくして、たしか2月上旬ぐらいだったと思いますが、アメリカにあるインターナショナル・フェローシップの本部から私に電話が入りました。
なぜか日本ではありません。会話は当然、英語です😆
そこで言われたことは、変われる次のホストファミリーがいないこと。
ようは、そこでそのまま頑張れよ!ということでした😢
なんとしてもホストファミリーを変えたかった私は、つたない英語で交渉をします。
「自分で探したら、変わってもいいですか?」
答えは「イエス」。
イエスをもらえたことに、私は大きな希望を持つことができました😍
電話の後、ホストファミリーに何も言わずに、私の新たなホストファミリー探しが始まります。
条件は、同じ高校に通えること。新たな転校をして、また0から友人を作ることだけは、避けたい思いでした。
とは言え、友人たちには何も言えません。今考えれば、ばれても何てことは無いはずなのに、なぜか「ばれちゃ、まずい!」と考えていたのです。
そこで私は、大好きだった数学の先生に相談をします。
おそらく50歳前後ぐらいの女性の先生で、とても親しく、優しく私に接してくれていました。
今の状況をお話しし、先生の知り合いで、私のホストファミリーになってくれるような家庭が無いか。ぜひ力を貸してほしい。そんな話をしました。
先生は、私のためにあちこちに声を掛けてくれたのだと思います。
けれど、、、残念ながら、私を受け入れてくれるホストファミリーは見つかりませんでした😨
学校の先生の部屋で結果を聞き、うなだれている私を見て先生が言いました。
「うちへ来る?」
おそらく私は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたことでしょう😁
それぐらい、予想もしていなかった嬉しい言葉でした。
先生が私のMomになると言ってくれたのです😭😭😭
先生も、おそらくはかなりの覚悟をしての言葉だったと思います。なぜならば、、、その時すでに先生の家では、一人の学生を受け入れ、面倒を見ていたからです。
それまで知らなかったのですが、先生は独身でした。そして受け入れていたのは、インディアン(ネイティブアメリカン)の学生。
養子ということでは無かったようですが、そんな子どもたちを受け入れるシステムがあるようです。
私は、一も二も無く、先生の申し出をありがたく受け入れます。そして、2月の下旬、私はあっという間に先生のお宅へ引っ越しました。
この時の引っ越しのことは、、、残念ながら、何も覚えていません😅
どうやって荷造をしたのか、どんな風にそれまでのホストファミリーとさよならをしたのか。
ホントにまったく記憶から消えているのです😆
覚えているのは、先生の家に到着し、そこで荷物をほどいて整理している場面。もう気持ちは、あっという間に新しい生活に向いていたのだろうと思います。
ところがほどいた荷物を、私はわずか一週間後にまたまとめることになるのです😲
つづく。