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ペペシのアメリカ留学 その8😆✨

私のアメリカ留学生活は、1981年9月2日から1982年7月2日まで、当初から10ヶ月と定められているものでした。

そのたった10ヶ月の間に、私は4軒のホストファミリー、3校の学校を渡り歩いたのです。

帰国してからですが、お世話をしてくれたインターナショナルフェローシップという団体の方に「日本支部として初めての出来事」とまで言われました😅

もう笑うしかありません🤣

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さて、4軒目のホストファミリーの家に向かうときに驚いたのは、私を乗せて走る車がどんどん高台へと昇って行ったこと。

最後は、びっくりするような急な坂を昇り、ようやく4軒目のホストファミリーの自宅へ到着しました。


家族は、すでに離婚をしているMom。17歳の長女、11歳の長男、7歳の次女の3人の子どもたち。

けれど決定的にこれまでのホストファミリーと違っていたのは、とても勉強熱心な子どもたちばかりだったことです!

リビングだったり、ダイニングテーブルだったりと場所は様々でしたが、学校から帰宅するとちゃんと宿題をしていましたし、休日などは本を読む姿も見かけました。

一軒目、二軒目ともに、子どもたちが自宅で勉強している姿を見た記憶はありませんでしたから、その落差にちょっとビックリ😅

移ってからわかったことだったのですが、ソルトレークシティーの中にも地域性があり、それまで私がお世話になっていた地域は、比較的低所得者層の人たちの暮らす街だったようです。


ところが一転して、4軒目のホストファミリーの住む場所は、ソルトレークシティーの中でももっとも富裕層の暮らす街!😁

お金持ちと言うと高台に住んでいるイメージだと思いますが、まさにそんな場所に家がありました。

自宅は賃貸で、決してアメリカンサイズの大きな家ではありませんでしたが、玄関を一歩出ると、そこからソルトレークシティーの街並みが一望できます!😲

もう何が来ようが怖いものなど無い!というような心づもりで向かった4軒目だっただけに、逆の意味のギャップが大きかったことを覚えています🤣


当然、食事に不自由することもありませんでした。

勉強熱心な妹弟たちは、少々個性的ではありましたが😆、粗雑なところなどまったくありません。

Momに彼氏がいたかどうかはわかりませんが、少なくとも子どもたちの前では、常にきちんとした母親でした。

学校の友人たちも、やはりちょっとハイソな雰囲気があります。

ちなみに転校した学校の名前は、「Highland High School」。

直訳すると、「高地高校」🤣

その名の通り、ソルトレークシティーの高台に在る高校でした。


今回この記事を書くにあたり、改めてHighland High Schoolのことを検索していたら、びっくりするような事実を発見!

私以外にこの高校を卒業している日本人がいたのです!!😲

その方のお名前は、池端信宏さん。

世界的に有名な花火師で、2016年リオデジャネイロ五輪の閉会式の花火の演出なども担当されています。

もっと皆さんにとってわかりやすく言うと、、、

加山雄三さんのご長男!😆


私より10年後の卒業ですから、決して同じ時間を過ごしているわけではありませんが、なんと遠いアメリカの地で、加山雄三さんの息子さんと同窓とは知りませんでした。

もちろんそれ以外に何のご縁も無く、実際にお会いしたことはありませんが😅


留学生活も残り4ヶ月を切りましたが、ここからホントの意味で、楽しい思い出を作るための私のアメリカ生活が始まりました😎



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