子どもとお金『お金を貸す覚悟』
つぶやきでもお伝えした通り、身内が金銭トラブルに巻き込まれました。
まだまだ解決までは道遠く、かなりの長期戦になりそうですが、今回改めて「お金を貸す」ということを考えさせられています。
みなさん、人から「お金を貸して」と言われたら、貸しますか?
知っている人だったら貸しますか?
知っている人だったら、いくらぐらい貸せますか?
信用している人だったら貸しますか?
信用している人だったら、いくらぐらい貸せますか?
それとも、まったく貸しませんか?
考えても、どうやら正解は無さそうです。
月並みですが、それぞれの方の価値基準、価値観によると思います。
ただ今回痛感しているのは、
お金を貸す時には、戻らなくてもいい、という覚悟のうえで貸すべきだろう、という考え方です。
信用している人、信頼している人から裏切られるのは、精神的にとてつもなくダメージの大きいことです。
それに加えて、お金という目に見える現実のダメージを受けます。
少なくとも「戻らなくてもいい」と割り切って貸していれば、精神的ダメージは限りなく0に近づけることができる、という考え方です。
「金銭消費貸借契約書を結べばいいじゃないか」
それもおっしゃる通りですが、人の良い人間にとっては、契約書を作成するという時点で、相手から「俺を信用していないのか?」と見られてしまう怖さがあるようです。
仲がいい相手であればあるほど、信用・信頼している相手であればあるほど、契約書は結びづらいのです。
ビジネス上では契約書ありきですが、個人間で、なおかつ相手が実は腹黒い奴だと、難しい場合もあるということです。
人を信用すること。
人間社会において、これは決して悪いことではないはずです。
「甘い」とか「人がいい」とも言えますが、人を疑った目でしか見れない人間より、私個人的には、こんな「甘い」人間の方が好きです。
私は、
子供たちに、
最初から「人を疑え」という教育は、したくありません。
すべきではない、とも考えます。
それがたとえ、お金を貸す場面においてもです。
けれど現実として、そんな人の良さに付け込む悪どい奴がいます。
そんな現実を避ける術も、子供たちには教えなければなりません。
それが、
貸したお金は戻らない覚悟で貸す
ということです。
知らない人に貸すならば、多くの方は戻らないつもりで貸していると思います。
貸した「いい人の自分」に満足し、たとえお金が戻らなくても、自分を責めることもなく、肯定できます。
一方、知っている人に貸す場合は、多くの方は当然返してくれるつもりで貸すと思います。
返してくれなければ、借りた当人を当たり前に責めます。
責めた自分を肯定できる材料がありますから。
「返してくれないんだから、当然だろ」
それまでにいくら世話になった人であっても、信用している人であっても、「お金を返してくれない」行為は、それだけですべてを一発アウトにしてしまいます。
同時に、貸した当人は「信用していたのに、裏切られた・・・」と、とても大きな傷を負うことになります。
良かれと思った行為が、かえって自分を大きく傷つけるかもしれない。
かと言って、「お金は絶対貸してはいけない」という、白か黒かのような判断基準でもありません。
これまでの関わり方、これからも友人でいたいかなど、自分と相手の関係性によって、貸す金額の線引きを自分の中でするしかないのかな。
そして、貸すならば、返してくれなくても構わないという覚悟を持って貸すべきなのかな。
お金に関しては、疑って人を見ろ。
相手が困っていても、お金は貸してはいけない。
こんな考え方を子供のお金教育に取り入れなければいけないとしたら、いくらわが身を守るためとはいえ、あまりに寂しいことです。
かと言って、無制限に人を信用してお金を貸すのが、正しいわけもありません。
人を信用するということは、間違っていないことです。
本来、尊いことのはずです。
そこと現実のお金の世界のバランスをどう取るか。
決して答えは一つではないと思います。
もしよかったら、皆さんのご意見もぜひお聞かせください。