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【自己紹介】僕の構成を形成してきた物事たち①

お疲れ様です。マーキー(MarQUEE)です。

普段はシングルファザーとして一児の息子と一緒に仕事と音楽活動を行っています。
noteでは音楽活動面を主体に記事を更新させていただいています。

昨日、見空さんとのコラボ楽曲「See★★The Sky」がYouTubeで公開されています。

皆さんに元気を与えられれる前向きな曲だと思っています。
チャンネル登録や評価を頂けるのもシェアして頂けるのも当然嬉しい事です。
でも何よりも作品から何かいいものを少しでも感じとって欲しい、この曲をふと瞬間に口ずさむようなそんな頭の片隅にでも足跡を残せる楽曲になってくれればいいな。とそう思っています。


コラボ曲など新曲はまだこれからも作成しますが、本日は公開を無事終えた。という事で小休憩。つまらない身の上話でもさせてもらうとします。

僕は実際にも結構大っぴらなので聞かれたことで曖昧にしたり嘘や隠したりする事がほぼありません。なんで赤裸々に語っていきます。


家系環境と境遇

僕は普通の家庭の次男坊として産まれました。
男三人兄弟ですが、兄とは年子で兄の友達とかとも仲良く遊んでいましたね。
逆に弟は3つ離れているので、距離感的には兄の方がやはり近かったかな、と振り返ると思います。

父方の家系は結構なものでして、僕の曾祖父に当たる方は関西のとある大学の学長をやっていました。著書も何冊も出していて戦争と平和に関する著書を出していました。

なので曾祖父が現役の時代は、タクシーで苗字を名乗ればお家に連れてって貰えたりなんて話もあって、僕たちが遊びに行った時(曽祖父は既に他界し曾祖母に会いに)にも弟が近くのお寺から迷子になり、地元のパン屋さんで苗字を伝えたら、すぐわかったりと。苗字がすごい珍しい訳でもないですがすごい多い訳でもないのもあったかもしれませんが。

当然、大学の学長までいっていますから、その息子達はその学校に進路を決められる様な、ある種名門の家系の仲間入りだったわけです。
医者の息子は医者を目指さないと。みたいな。

大叔父とか地元に残ってる親戚の方はやはり名門というか職業聞けばあぁ頭いいんすねってなるお仕事をされてます。
で、細かい理由はわかりませんが祖父は上京し、祖母と結婚。

そんな祖父からの流れもあってか、親父も基本的に自由主義というか放任主義というか、やってみたいことやって見なさいって感じです。母親も地方公務員でしたが、そういう意味では「~じゃなきゃ行けない」っていう頭の硬い価値観を前面に出してくることはなかったかもしれません。

僕は保育園では人気者というかリーダー的存在でした。
当時の戦隊モノごっこをすればレッドを任せてもらえるしきっとやりたがってたんだとも思いますが(笑)今と違って活発で元気で明るい少年でした。


衝撃的ファーストキスと哀しい思い出

ファーストキスを済ませたのも実は保育園でした。
今でも鮮明に思い出せるほど強烈な記憶として残っています(笑)
保育園ではお昼寝の時間があります。年長組は学校で言う体育館みたいな園の建物内にある発表会とかをする広間で布団を敷いて寝ていました。
いつものようにお昼寝をしていると隣の女の子が僕の布団に入ってきたんです。
そしてそのまま唇を奪われました。
その時に彼女が上に乗っかってくれてればよかったんでしょうけど…お互いに横向きだったということと、布団が僕の布団側という事で保育士の先生に叱られたのは僕でした…(笑)

彼女とは別に付き合うとかもなく、小学校は学区違い、中学でまた同じ学区になりましたが、まぁ仲良く話すような関係でもなくなっていましたね。

幼少期からの人格変移

上述した通り僕は保育園では人気者でリーダー的存在で明るく元気、言っちゃえばモテるタイプだったでしょう。
しかし、小学校に入ってから少しづつ変わっていきます。

あれは授業参観だったかな…道徳の授業で熊が寝ていて他の動物が起こそうとしてる微笑ましい見開きページを使った授業です。

先生は「お猿さんはなんと言ってるでしょう?」という質問を出しました。

お猿さんは枯葉寝ているくまに向けて投げている(結婚式のフラワーシャワーみたいな)感じだったんですけど
僕は「これでもくらえー」って答えたんです。
僕の感覚ではお猿さんはふざけながら起こそうとしてて、で葉っぱを相手に直接投げつけるんじゃなくて上に投げてる感じだったんで、そんくらいの遊び半分の感覚でのセリフだと思って発言しました。

先生はその答えを否定しました。女性の当時3~40代ですかね。
「それは違うでしょ(笑)」みたいな感じで一蹴され、クラスのみんなもそれにつられて笑い始めました。

正直僕は上記の感覚だったので何がおかしいのか分からないままみんなから笑われ恥ずかしさと悔しさのあまり泣き出したのを覚えています。

言い忘れたけど泣き虫でした。

そこから少しづつ、自分の価値観を表に出すのが怖く感じるようになりました。
対個人ならともかく、クラス全員に向けて等の場合は特に自己表現をしたくなくなりました。
なのでクラスの活動でも脇役になったりもう決まっているセリフを発表する程度のことです。
算数等の答えが確実なものはとにかく、国語の文章から読み取る、道徳と言ったところでの発言は減ったんだと思います。

また女子にモテていたのかただその時から中性的だったのか、女好きだったのかわかりませんが女子の友達が多かったです。

中学年になって友達と一緒に帰ってると「カップル」みたいなことを反対方向に帰るクラスメートに叫ばれたりとか
女好きと呼ばれたこともありますね。

あとこれは自分でもないな、って思うんですが友達の誕生パーティーに呼ばれたんです。そういうのやったことなくて初めての参加でした。
で、プレゼントを用意しないといけないんですけどそれを親にも伝えてなくて、自分のお小遣いで当時カードダスって言うのがあったんですが、お小遣いで出したカードダスのカードをあげたんですよね。馬鹿ですね(笑)

案の定、僕が誕生日パーティを企画した際、誰も来ませんでした。もしかしたらその最初のパーティに呼んでくれた子だけ来てくれたかもしれないけど、もう二度とやるもんかと思いました。

やっぱり価値観が変わってたんでしょうかね。隣の家も同級生で、誕生パーティーにさそったんですが来ませんでした。隣の家なのに(笑)

それからその隣の家の子は苦手意識があるので今でも顔を合わせたくは無いですね。

それでもクラスで孤立をする訳ではなくそれなりに一緒に遊んでくれる友人はいました。あと誕生日が一日違いの男子が親友でした。

小学校の高学年に入って僕はやはりリーダー的存在ではなく脇役でした。それくらいになるとスポーツが出来る子がモテるんですよね。足は遅いし別に運動に自信はありませんでした(笑)

それと、ギターにはここで出会います。
毎年音楽発表会があるんですが、僕が5年の時から突然担任提案で四半期だか一学期に1回、と発表回数が増えたんです。

次の曲は何にするか、と担任が何気なく出したギターをみて
「これ弾いたらモテるんじゃないか(当時好きだった子に)」って言うきっかけで先生にギターを弾きたいと、教わったのがスタートです。
先生はアコースティックギターでビートルズを始め洋楽から始まり日本のフォークや歌謡が好きな方でした。

この先生は今でもやはり恩師です。
うちの学年は特に仲が良いと言うか特徴的で、今でも4年に1度小学校の同窓会を開くほどクラスが仲が良かったし皆が先生を慕っていました。
同窓会には先生も参加して、今は校長とかまであがっちゃったんですけどやはり僕とは音楽の話になるし今でも音楽をやっている事を話すと本当に嬉しそうに笑ってくれるんです。

ここまで書いて涙腺が少しゆるんで来たので、本日はここまでにします(笑)

最後にもう一度宣伝をさせてください(笑)

12月15日から公開されています新曲、See★★The Skyです。

是非ご視聴いただければ幸いです。良いと思ったらお金は出ませんがどんどん広めてください(笑)

稚拙な長文をお読みいただきありがとうございました。

MarQUEE

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