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「頼る=与える?」 ”できない”を増やして幸福度をあげたい話
いっぺーです。
神戸市北区で「住みびらきのお家ケレケレ」という古民家シェアハウスを運営しております。
フィジーで小学校の先生をしたり、農家をしてみたり、会社員になってみたりして独立しました。
私の根本的な考えはこちら
今回は「なぜケレケレファーム=(住みびらきの畑)を作りたいか?」について発信してみたいと思います。
目指すところは
頼ること・お願いすること(=ケレケレ)が
暮らしの中でできるようになるです。
以下、具体的に説明していきたいと思います。
フィジーは幸福度No. 1の国!?
実はフィジーは幸福度が高い国というデータがありますが、皆さんはご存知でしたでしょうか?
世の中には幸福度について様々な調査があります。
ブータン、フィンランド等が有名なのではないでしょうか?幸福度調査について、ここでは詳しく言及しませんがフィジーは主観的な幸福度が高いのです。
その理由は大きくわけて2つ
①ケレケレ
日本語で「共有・お願い」と訳される”ケレケレ”。フィジーではこの”ケレケレ”が当たり前に存在しています。
私が表現するケレケレの画像はこちら
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フィジー人はこんな顔をしながら、手を合わせて近づいてきます。
困ったらなんでもかんでも“ケレケレ“と言ってくるのです。
例えば、「ペンちょうだい!」のような小さいものを言われる時もありますし、時には「お金ケレケレ」なんて言われることもあります。
いろんなケレケレがあるのですが、
要は、困った時に「ちょっと助けてー」と言える関係。そしてそれを「いいよー」と言える関係。そんな関係があるから?こそ、フィジーは幸福度が高いと私は考えています。
困ったら誰かに頼れば解決するんですよ?
この社会のあたたかさや、人のつながりって素敵だと思いませんか?
聞くところによると、フィジーには社会保障制度がありません。でも、人のつながりでほとんどの人が介護を必要としていないそうです。
途上国でよく見かける、物乞いもまず見ることがありません。それは、困った時に”ケレケレ”できるからです。
②食べ物の豊かさ
フィジーは南太平洋に位置する常夏の国です。
1年を通じて半袖半ズボンで過ごすことができます。
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そんなフィジーでは、畑を耕さなくても
マンゴー、パパイヤ、バナナなど、その辺にたくさんあります。
食べ物を自分たちのために確保しておくことはしません。だって、周りを見渡せばたくさんあるから。だから、みんなが食べ物に飢えていません。ものがたくさんあるというコミュニティーでは、むしろ分け与えます。
ケレケレという文化の土台はもちろんあるかもなのですが、この分け与える=共有するという文化がフィジーの幸福度に結びついていると私は考えています
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生産者ってカッコ良い 日本の田舎で感じた豊かさ
話を日本に戻します。
フィジーから帰ってきて、宮城県石巻市で農家をしていた時のこと。
地域には兼業で農家をしている人が多く
自分達で野菜もお米も作っている方がほとんどでした。
そして、石巻といえば3.11の被災地でもあり、震災の話をたくさん聞きました。その中で特に印象的だったのが
「自分達で炊き出しやってたから、食事には全然困らんかった」
という話でした。
政府の支援が入るよりもずっと前に
地域で分け与えることをやっていたのです。
かっこよすぎる。
都会ではまず心配するのは食べ物やけど、それが身の回りにある。
困った時には分け与える=ケレケレが自然に成り立っているんや。
頻繁ではないけれど、互いに良い距離感で支え合うっていうのが大事だと感じたし、「自分達でつくる」ってこういう時に役立つんやと学びました。
日常生活でも「こんなに!」ってぐらいの野菜をいただくし、向こうもほったらかしていてもダメになっちゃうからって、いつもたくさんくれる。
野菜って本当に良いよね。お金と違って腐るから人に分けてもらえる。笑 pic.twitter.com/xHDw037GvO
— いっぺー🇫🇯住みびらきの家ケレケレ (@ippeikerekere) March 16, 2022
多様な人が交わり輝く”農業”という手段
石巻では、農業やビールづくりを通じ「障害を持つ方たちの雇用を生み出す」という活動をしていました。そのため色々な人が来ました。
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精神的な障害を持った人、東京で仕事に病んだ人、自然が好きな人、美味しいものが食べたい人、ビール好きな人、地域のなんでもできるおじいちゃん、そして、日本語も知らないような海外の人。
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言葉が通じなくても、細かい作業が苦手でも、自然は受け止めてくれます。一言に農業と言っても様々な作業があり、それぞれの特性にあった仕事があります。自分の苦手なところは人に頼り、自分の好きな作業、得意な作業で輝くことができます。
また、自分たちで作った野菜はスーパーに売ってある野菜より何倍も美味しく、みんなで料理をつくるとなお美味しい。
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畑の作業をし、おいしい野菜が食べたいという共通の目標がある。
だからみんな助け合えるし頼り合える。
仕事で出会うよりもずっとフラットな関係で、立場も気にしない。
利害関係がないから、自然体でいられ、頼み事もしやすい。
不思議なことに自ずと雑談から仲良くなれたりする。
この助け合える自然な関係を作ることができるのが農業の魅力だと私は考えています。
「消費する・される存在」から「与える存在」へ
この一年でケレケレに来た多くの人に共通すること、それは
消費社会に飲み込まれすぎて、自分をよく見せようとしていたり、自分のできることや役割を見失しなっている。
でも、仕事や学校では出会わなかった人と出会い、今まで気づかなかった自分のできることや素敵なところを再認識する。そして、自己肯定感が上がったり、自信を持ったり、何かに挑戦しようとしたり。
この循環ってどこから生まれるのだろう?
そう考えた時、暮らしの中にヒントがありました。
頼る=与える!?
シェアハウスの暮らしは頼ることが当たり前です。例えば「ご飯を食べる」という場面でも「頼る」ということが自然にあります。
材料を切る、炒める、お皿を運ぶ、ものを取る、洗い物をする。1人でやるよりもみんなで頼り合うほうが楽なのです。
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頼るという経験は、日々の生活の中で意外と少ないと思っていて、それは、他人への遠慮であったり、自分を大きく見せたいと思う気持ちであったり、はたまた家族という近すぎる関係から当たり前だと思っていたり。
でも、「お願い」って言われたらちょっとうれしくないですか?
頼ることで、相手から頼られやすくなる。
頼られることで、嬉しくなる。
頼ることで多少なりとも、相手に自己肯定感や、承認欲求、自己効力感などを感じさせることができるのです。
つまり、頼ること=与えているということではないか?と思うわけです。
1人では”できない”を増やして幸福度を上げよう
ケレケレファーム(=住みびらきの畑)のテーマは、頼ること・与えること(=ケレケレ)が暮らしの中でできるようになる
と書きました。
でもなかなか、シェアハウスのような環境を作ることは難しい人も多いと思います。
そこで提案したいのが農作業です。
1人で農作業したい人もいるかとは思いますが、人に頼ったら驚くほど一瞬で終わるのです。
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今までの私は、固定費が下がる=幸福度が上がるだと考え、住みびらきのお家ケレケレを作ってきました。
でも暮らしの中で、人に頼ったほうが良いような機会を作ること、自分だけではできないをあえて作ることで人に頼りやすくなり、結果的に幸福度があがるのではないか?という考えにいたりました。
それって「共有地をつくる」というよりも
「共有地をひろげる」という感覚ではないかと
自分だけでは完結せず、他人と共有しシェアする機会を増やし、1人ではできないをひろげていく。その中で自然とお願いし、頼りあい、ケレケレする。
そんな場所にしたいです
住みびらきのお家ケレケレ
いっぺー