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【自己紹介】教師をするために回り道の人生が、フリーランスに。
林一平(はやしいっぺい)
一番平和になるようにという願いが込められ一平。
総画数14画なのがちょっとした自慢。
ひとりっこでありながら
お姉ちゃんいそう。
妹がいそう。
とよく言われるA型です。
私にある力はざっくり
ポジティブ力、開拓力、聞く力かなぁと思っています。
略歴
1992年生まれ。神戸出身。
・青年海外協力隊、フィジーで小学校教師
・有機栽培の農家としてビールの原料ホップを育てる(宮城県)
・社長がいない会社でほぼ1人社員として働く(北海道)
・神戸で小学校教師。特別支援学級担任。
・夫婦でフリーランスに。古民家シェアハウス運営。
・エチオピア人と会社設立。その後失敗。
現在新しい生き方、働き方を模索中。
青年海外協力隊、フィジーで小学校教師
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新卒でフィジーに小学校教師として派遣された私は
管轄地域62校の小学校を巡回し
音楽・体育・図工(情操教育)を担当。
その中でも一番普及されていなかった音楽を中心に教えることに。
(ただ、私がリコーダーしか吹けなかったのは内緒の話です。)
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この時一番苦労したのは、飛び込み営業のような形で
毎回自分を売り込まなければならなかったことです。
どういうことか?
それは、ほとんどの場合、フィジーの人たちはJICAなんて興味がないからです。興味を持ってくれる先生はほんの一握り。みんなすぐどこかにいってしまいます。
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だから、私は、いかに最初で心をつかむ(笑わせるか)を常に考えて授業をしていました。腐っても関西人魂です。
一回つかんでしまえばこっちのもの。約10年経った今でも、覚えてくれている先生や子どもたちがいるのは感動ものです。
有機栽培の農家としてビールの原料ホップを育てる(宮城県)
フィジーで食べ物の大切さに気づいた私は(なぜか気になったら聞いてください。笑)
「そう言えば食べ物ってどうやって作られてるんやろう?」
↓
農家になろう!
↓
ビール好きやしホップなんて最高。
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本当に畑もない、柱もない、知識もない、お金もないところから
立ち上げに携わりました。
企業研修の受け入れをしたりもしていました。
東北という土地も初めてでしたし、方言には苦労しました(英語の方がまだ理解できるぐらい難しかったです。)
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デザインのところやネーミングのところなど携わらせてもらいました。
この時は委託醸造でしたが、今は立派な自社の醸造所ができています。
(その当時は醸造場ができるなんて夢にも思ってなかったです)
この時若造だった私は、代表との方向性があわず、辞めることになります。笑
社長がいない会社でほぼ1人社員として働く(北海道)
社長がいない会社ってなんやねん。って感じだと思うんですけど、社員は私(当時26歳)と女の子(当時19歳)だけ。社長は、ほぼ名前だけの関わりで、行政が関わっている、いわゆる第三セクターの会社でした。
実際、通帳を管理していたのも私ですし、実印を押していたのも私です。笑
そんな実態も知る由もないまま、知り合い伝いに入ってしまいました。
なぜ北海道にいったかというと、フィジーで出会った彼女と結婚するため。
ここでは、農業高校との商品開発や地域の
特産品を使った商品のPR、広報等も行いました。
この会社を辞めたきっかけは
①子どもを授かったから、地元に帰ろうと思ったこと
②寒すぎたこと
です。笑
わかっていたことではあったんですけど、
-30度は耳が取れたと思いました。
そして、道が凍って畑に車が落ちる、交通事故がたくさん起こる、、、など
ちょっと子育ては怖いなぁと思い、神戸に引っ越しました。
小学校教師。特別支援学級担任。
前の会社で育休を取らせてもらっていた私。
育休を明けてすぐ、教師になることに。
何故教師になったか。ここには赤裸々に書けませんでしたが
育休中に企業プログラムに参加したりしましたが
そんなにすぐ起業できるわけもなく
そして、転職活動にも失敗したからです。
本音を言えば、やむを得ず娘を食わせていくために。。。
教師という選択肢を取りました。
ただ、「いずれ教師をするときがくるだろう」と思っていたので
そのタイミングかなぁ、という自分もいました。
結果として、教師やってみて本当によかったです。
子どもたちとの学びの時間
特に個性的な特別支援学級の子どもたちとの格闘は
本当に大変な毎日の連続でしたが
人生で一番、真剣に向き合いました。
そして、そんな彼らの成長を間近でみることができて
とても幸せな時間でした。
もっと、大変だったのは子どもたちが帰ってからです。
真剣に向き合いたくない仕事内容と、終わるはずがない仕事量。
私は、保育園の迎えがあったので、遅くても18時に帰ることを決めていましたが、遅い人は21時ぐらい当たり前でした。びっくりしました。
結果、私のアトピーがひどくなり1年で辞めることに。
夫婦でフリーランスに。古民家シェアハウス運営
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「子育てを楽にしたい」という私の思いで、色んな人が来る家にしたいと決めてはじめたケレケレ。
実は、教員時代の夏休み。
起業塾の仲間が紹介してくれた古民家を改修して始めることになりました。
8月に決めて、10月にはもう入居してました。笑
もともと夫婦で「何かしたいね」と言っていたのでちょうど良いタイミングでした。
教員しながらの移住や改修はとてもしんどかったです。笑
ケレケレの価値ってなんだろう?と思いながら、日々考え
色んな人が家族になり、一緒に娘も育ててもらいました。
地域でも少しずつ認知されるようになり。
「ケレケレさんですかー?」と声をかけられるようになることも増えました。
エチオピア人と会社設立。その後失敗。
ケレケレを運営しだして2年目。私は突然会社を作ることに。
きっかけは、エチオピア人の友達。
彼とはもう6年ぐらいの付き合いで、家族のような存在でした。
そんな彼が
「日本が好きだから帰りたくない。日本酒が好きだ」
みたいなことを言っていて(今考えてみると軽すぎる)笑
それなら「会社を作るしかビザを得る方法はない!」となり
会社を作ることに。
事業内容としては
・エチオピア料理のレストラン
・エチオピアコーヒーの販売
・日本から農機具の輸出(なんで)
でした。
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なので、私、
行ったことはないのですが、
エチオピアカレー作りとエチオピアのコーヒーセレモニーができます。笑
あと、焙煎が少しできます。笑
ただ、この後、彼とは「方向性の違い」という
なんともバンドマンみたいな理由で会社をストップしました。
彼は帰国、私たちは一息。
シェアハウスしながらの事業だったので、今考えると本当に大変だったなぁと思います。
でも自分たちなりに何かもっとしてみたかったんでしょうね。
今後の働き方
今私は少し体調を崩しています。
でも、私にはしたいことがたくさんある。
だから、正直お金を得ていかないといけない。
だから、私の得意なこと、好きなことで
自分も幸せに、そして相手も喜んでくれるような仕事がしたい
そう思っています。
シェアハウスの方向性もまだしっかりと定まっていませんが
今は大々的に募集はしていません。
だから、私が好きな、人に興味を持って話を聞くこと
を仕事にしていきたいなぁと考えています。
他にも色んな仕事ができると思います。
もし、皆さんがこのnoteを読んで
少しでも私の人生に興味持ってくださったなら嬉しいです。
何か一緒にできることがあれば、お声かけください。