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奥田民生「股旅」。孤独とユーモアの境界を歩く 平成ロックの黙示録」

1998年3月、時代が世紀末の熱を帯びる中、奥田民生は『股旅』で孤高の道程を刻んだ。アナログ盤の限定生産という賭けは、デジタル化の波に抗う美学の表明だ。

前作『FAILBOX』の実験性を継承しつつ、西部劇の放浪者を思わせるテーマが全編を貫く。

ステージ衣装の作務衣とタオル鉢巻きという出で立ちが示すように、これは音響的な股旅の記録である。

ギターの歪みとアコースティックの肌理が交錯する音空間は、都市の雑音と田園の静寂を同時に包含する。シングル曲「恋のかけら」「さすらい」の抒情的な輝きと、「リー!リー!リー!」の不条理な言葉遊びが同居する矛盾が、かえって人間の深淵を照らす。

古田たかしのドラムが刻むリズムは、終わらない旅の蹄の音のようだ。

当時プロデュースしていたPUFFYのポップス路線とは対極に位置する、ミニマルで土着的なサウンド設計。アコーディオンのようなシンセ音色が、ノスタルジーと未来感の狭間で燻ぶる。

1997年という金融危機の年を経て、日本のロックが喪失感を抱えながらも前を向いた瞬間を捉えたタイムカプセルと言える。

1. あくまでドライブ
エンジン音とテルミンが不協和音を奏でる出立。速度計の針が理性を超える瞬間を、歪んだギターリフが具現化する。

2. ツアーメン
移動中のバンドマンの生態をスカット風リズムで描写。スライドギターの哀愁が、路上生活者のロマンを漂わせる。

3. またたびをする
タイトルトラックなきタイトル曲。マラカスとウッドブロックが創る擬似民族調が、現代の放浪民のテーマ曲となる。

4. 恋のかけら
シングル版の疾走感を剥ぎ取ったアレンジ。骨董品のようなエレピアノが、恋の残滓の輝きを際立たせる。

5. リー!リー!リー!
空耳英語の言葉遊びが生むナンセンス詩。ビートルズの『I Am the Walrus』を想起させる言語解体作業。

6. 股旅(ジョンと)
馬の蹄音を模したリズムボックスと、西部劇の口笛が交差する。名前のない男の無目的な旅路を音化。

7. 遺言
シンプルな3コード進行に乗せた人生の総括。能天気なメロディと深刻な詞の不協和が絶妙なバランス。

8. 海猫
不穏なシンセ音が鳴る港町の夜。メロトロンのうねりが、海の男の孤独を増幅させる。

9. 手紙
書簡形式のバラードで、ピアノのアルペジオがインクの滲みを表現。戦場からの便りを思わせる切実さ。

10. さすらい
シングル版の骨太ロックを洗練されたアレンジに再構築。ストリングスの哀切が旅愁を深化させる。


11. イージュー★ライダー’97
オリジナルの疾走感を失わずにテンポダウン。大人の分別と青年の熱情が同居する奇妙な成熟を体現。


あとがき
『股旅』を聴くたび、深夜のサービスエリアに佇むトラック運転手の姿を思い出す。

コーヒーの自動販売機の明かりに照らされ、彼らが無線機で交わす会話のように、このアルバムの楽曲は断片的で、そして深い孤独を湛えている。

奥田民生という音楽家の本質は、成功や失敗といった通俗的な物差しでは測れないところにある。彼は常に「移動」という行為そのものを作品化しようとする。

レコーディングスタジオという密室で、あえて旅の風圧を再現する逆説。1990年代後半という時代が持っていた、進歩への不信とノスタルジーの混濁を、西部劇の比喩で描き切った鮮やかさ。

アナログ盤に封入されたイラストの稚拙さが、かえって作品の本質を暴いているように思える。完成度よりプロセスの痕跡を重視する態度は、デジタル完璧主義へのアンチテーゼだ。

今このアルバムを聴く者に問われるのは、目的地のない旅の価値を認める勇気である。GPSもSNSもない時代の放浪が持っていた、不確かさの豊かさを、歪んだギター音は教えてくれる。

スマートフォンの画面に疲れた夜、この音盤を再生すれば、世紀末の砂埃が頬を撫でるだろう。

筆者の長々と拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。
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