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映画『ときめきに死す』 涼しすぎて体温のない映画。(ネタバレ感想文 )

今からこの低体温の映画を熱く語りますが、人様にはお薦めできない映画です。だって、森田芳光ファンの私ですら長年「なんじゃこりゃ?」と思ってましたからね。ところが20数年ぶりに観たら、滅法面白かったんです。

評判となった『家族ゲーム』(83年)の次の作品で、森田君が調子こき始めた頃。才気を鼻にかけてるのが映画の端々から感じられます(<ひどい言い草)。
今にして思えば、1984年(昭和59年)としては新しすぎたんです。

森田芳光作品は食事シーンが多いんですが、キャビア、キウイ、マンゴーなんてね、その存在は知っていても庶民の食卓に乗ることはない時代ですよ。この映画は2月公開なんですが、中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」は同年4月発売ですからね。ちなみに私は中原めいこなら早見優に提供した「パッション」が好きです。どーでもいい話。

ジュリーの部屋の床置き照明なんか昭和59年当時見たことない。トレンディドラマか!って話ですが、実はトレンディドラマってほとんど「平成」なんですよ。早いな森田君。もっとも彼自身が石田純一主演で『愛と平成の色男』(89年)というトレンディ映画を撮ってますがね。

そもそもパーソナルコンピュータ自体がまだ珍しい時代。Windows以前、まだPC-98時代ですよ。そんな時代に「排除すべき人間」をコンピュータがはじき出すんだから、スピルバーグ『マイノリティ・リポート』(2002年)もビックリ。
ごめんなさい、これは冗談です。
AI技術が進化した今となっては膨大なサンプルの学習が必要であることが分かっていて、「コンピュータが人間を排除する」なんてのは当時の「おとぎ話」に過ぎないわけです。
しかし森田君は『ユー・ガット・メール』(98年)より先に『(ハル)』(96年)でインターネット以前のパソコン通信を扱っていますからね。その片鱗がすでに本作に表れているのです。

そう考えると、随所に森田芳光っぽさ、というか森田君の「手癖」が垣間見える気がします。

例えば電車の見せ方なんかは遺作となってしまった『僕達急行 A列車で行こう』(2012年)を彷彿とさせますし、宗教団体の扱いなんか『そろばんずく』(86年)っぽい。
そもそもこの不自然な同居は『家族ゲーム』なんですよ。そしてもしこの映画を「男女が関係を持つまでの物語」と切り取るとしたら、それは『メインテーマ』(84年)なのです。20年も生きてきたのにね。

「涼しいですね」「こんな所でずっと暮らしたいですね」

何より私はこの映画に「夏休みの終わり」を感じたのです。
夏休みの終わりって悲しいんですよ。
それは、全然ぜんぜん終わらない8月最終日の宿題!といった「ワニとシャンプー」的な話ではなく、喪失感なのです。
夏休みが終わっていく喪失感と、青春が終わる(大人になっていく)喪失感は重なる気がしています。
この映画で描かれる3人の奇妙な同居生活は、ひと時の「人生の夏休み」なのです。
そう考えると、この映画のジュリーは非常に子供っぽい。自動車ぶつけたりとかね。そんな子供ジュリーが女を抱いて大人になっていく物語なのです。
それはまるで、私が「夏休みの終わり映画の最高峰」と評する森田芳光『(本)噂のストリッパー』(82年)のようです。

いろんなことが謎に包まれたまま進行し(それが観客を置いてきぼりにする要因なのですが)、最後の最後にピタッと重なった時、「観客は全貌を知り」「彼らの夏休みが終わる」という構成です。
胡桃を歯で割れる顎の力まで意味があったのです。白い部屋と低体温は赤く熱い血との対比として設定されたに違いありません。

森田芳光34歳(当時)。才気溢れる(けど分かり難い)映画です。

余談
ここまで(80年代前半)の森田映画の主人公は「虚無的な男性」が多い気がします。しかし、次作薬師丸ひろ子『メイン・テーマ』(84年)、とんねるず『そろばんずく』(86年)と、バブル期に近づくにつれて主人公像が変化していきます。松田優作『それから』(85年)に虚無感の片鱗が残りますけどね。
もしかすると『ときめきに死す』は、森田芳光的ニヒリズムの死だったのかもしれません。
そういや森田君、全共闘に片足突っ込んだらしいし。
(2021.06.05 CSにて鑑賞 ★★★★★)

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監督:森田芳光/1984年 日

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