映画『 ドライブ・マイ・カー』 (ネタバレ感想文 )福音を待ちながら
長いアヴァンタイトルで「この映画は片眼が緑内障になるお話しですよ」と宣言されます。医者が言います。「もう一方の目が視力を補完してしまうので日常生活に支障がなく、病気の進行に気付きにくい。気付いたら突然失明していることがある」と。
一見問題ないように思えても、事態は後戻りできないほど悪化していることがある。夫婦関係に於いても、母娘関係に於いても。
そして、家福もみさきも何かを「喪失」していて、それを埋めるのではなく、静かにゆっくりと「受け入れていく」。
村上春樹の主人公はあまり能動的ではなく、代わりに他人の話をよく聞きます。その意味ではこの映画も「聞く男(あるいは無口な女)が自ら話すまでの物語」とも読み取れます。
思っていた以上に面白かったのですが、それは文学的な面だったような気がします。映画的に面白いかと問われたら、んー、どうかなあ?好みの問題だけど、私は「頭では理解できるけど気持ちが乗らない」「ちょっと鼻につく」というのが正直な感想です。
ちなみに私はヤツメウナギのエピソードがめちゃくちゃ面白かったのですが、「ドライブ・マイ・カー」と同じ短編集に収められている「シェエラザード」という短編小説でした(<読んだことを忘れていた)。
多言語の舞台とか、手話の役者とか(ワーニャ伯父さんは詳しくないけど、あの役は不器量な娘だったと思う)、なんか「あざとい」。評論家受け良さそうだなー、カンヌ狙ってんなー、山田孝之より狙ってんなー感がある。
私は濱口竜介作品を『寝ても覚めても』(18年)しか観ていないのですが(これも世評に反してあまり好きではなかった)、その時唐田えりかが演じた、良く言えば「一途」悪く言えば「一見控えめ風だけど実は自分を曲げない面倒くさい女」と、映画自体が似ている気がします。何か、控えめ風だけど端々があざとい。正直面倒くさい。
あんまり好きなタイプじゃない。いっそ「あざとくて何が悪いの?」と開き直れる女の子の方が気楽だ。騙されたくはないけど。いや、田中みな実になら騙されてもいい。むしろ積極的に騙されたい(<何の話だ?)。
映画は「ワーニャ伯父さん」を巧みに利用しているようですが私はチェーホフはよく分かりません。「ワーニャ伯父さん」は「それでも生きていく」物語の象徴なのでしょう。それはそれでいいんですが、その前に「ゴドーを待ちながら」を出すじゃないですか。ラーメンズも「後藤を待ちながら」というネタがありますし、筒井康隆も来客の度に「後藤か?後藤か?」というパロディーをやってる有名戯曲です(たしか押井守もパロディーをやってた気がする)。
なぜそこに「ゴドーを待ちながら」を持ち出すのか?
たしか原作では「家福さんの奥さん」と呼んでいて、「音」なんて名前はなかったと記憶しています。映画中「家福音って名前が宗教的で嫌がってた」みたいな(たぶんオリジナルの)台詞があります。要するに「福音」。
私の勝手な推測ですが、この映画、「福音を待ちながら」ということなのではないでしょうか。
冒頭に書いた通り、「喪失」を静かにゆっくりと「福音を待ちながら」受け入れていく物語。そして「それでも生きていく」物語。チェーホフも。後藤さんも(<どこの後藤さんだよ)。
余談
三浦透子が良かった。我が家では「かおりん」と呼んでるんですけどね(『架空OL日記』の役名ね)。てゆーか、かおりん歌うたってんな。ドラマ「うきわ」のエンディング歌ってんのかおりんだよな、たぶん。
(2021.08.21 吉祥寺オデヲンにて鑑賞 ★★★☆☆)
監督:濱口竜介/2021年 日(2021年8月20日公開)