映画『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』 作り手の愛が何も感じられない(ネタバレ感想文 )
そもそも、デ・ニーロが本当に金に困ってる人に見えないんですよ。こちとら、空気階段もぐらとか岡野陽一とか見慣れちゃってるからさ。
おそらくデ・ニーロ先生のことだから、「本当はお金に困ってるんだけど映画プロデューサーだからお金に困ってるように見えない工夫をしているお金に困ってる人」という複雑な役作りをしてるんでしょうけどね。
映画の時代設定は1974年でしたかね。何故その時代設定なんだろう?
例えば『アメリカン・グラフィティ』(73年)は1962年の夏を描いているのですが、それはジョージ・ルーカス自身の青春時代であり、まだアメリカがビートルズもベトナム戦争も知らない(当時のアメリカ人が抱く)「古き良きアメリカ」という絶妙な時代設定なのです。
で、1974年は何の意味があるんだろう?
そもそも、劇中映画の監督が女性である意味は何だろう?彼女がレズビアンである意味は?黒人だのアジア系だの、窮屈な今時のコンプライアンスに従順な品行方正な映画なんですよ。ジジイがジジイを殺そうとしている話なのに。
だったら、時代は「今」に設定して、「古臭い男臭い映画を撮ろうとしたけど今時コンプライアンスが邪魔して撮影が進まない」って話ならコメディになったし、「映画愛」も詰まっただろうに。
男臭い映画なのに女性監督を選んじまったトラブルが描かれないから、この女性監督はただのお色気担当にしか見えない。ラクエル・ウェルチか。逆にコンプラ違反なんじゃねーの?
え?それじゃジジイがジジイを殺す基本設定が飛んじゃうって?
そもそもジジイも活かせてないじゃん。
都合が悪くなったら耳が遠くなるとか、ボケたふりするとか、足腰が痛いふりをするとか。そういうジジイ愛も欠如している。
てゆーか、そもそも殺人計画が死ねなさそうなんだよ。殺人に対する愛も足りない。ヒッチコック観て出直してこい。
「失敗して儲ける」という点で言えば、『プロデューサーズ』(2005年)という傑作(賛否両論)映画があるわけですよ。元はメル・ブルックス68年の映画のリメイク(正確にはミュージカル化作品の映画化)で、舞台はハリウッドではなく古き良きブロードウェイ、つまり映画ではなくミュージカルですけど、「初日で上演打ち切りになれば逆に儲かる」ことを狙ったら大ヒットしちゃうという話です。
その劇中で上演される初日打ち切りを狙ったミュージカル「春の日のヒトラー」が、それはもう、あんぐり口を開けるほどナチス讃歌で、途中で離席したくなるほど下品で、それでいて終わってみればスタンディングオベーションで称賛したくなる素晴らしいミュージカルなのです。
これが映画に必要な説得力。
台詞じゃないんです。必要なのは映像。
で、この映画、あのラッシュを見て「傑作!」「完成作を早く観たい!」と思う?ましてや「オスカー確実!」なんて思える?
そもそもカメラ1台での長回しだけなのに、なんであんな凝ったカット割りが撮れるんだ?てゆーか、どこで現像してどこで編集したんだよ。設定が「今」ならデジタル編集だろうけどさ、わざわざ「昔」にしちゃってんだから。
そういう所に「映画愛」が感じられないんですよ。撮影現場の高揚感がないの。『アメリカの夜』を観て出直せ。
「尼さんは殺し屋」だったっけ?あの予告編でこの映画本編が始まって、上映反対運動の冒頭に繫げればよかったのに。逆にエンディングでは、本編で撮影した西部劇の予告編を流して「これ本当に観たい」と思わせるべきだったと思うんです。過去の失敗作の予告編を最後に見せて「こっちの方が面白そうじゃん!」って観客に思わせたら失敗だと思う。
褒めるべき点は微塵もない映画だけど、名優たちと「尼さんは殺し屋」のコスプレ女優陣に免じて星2つ。
(2021.06.06 新宿バルト9にて鑑賞 ★★☆☆☆)
監督:ジョージ・ギャロ/2020年 米(日本公開2021年6月4日)