亡き父のい思い出<Ⅱ>
それは、妹が中学2年生だったと思います。
私の家は父が家畜業で母がお店(雑貨・肉屋)をやる事になりました。
父が豚肉を持ってきて、それを売るのです。
豚モツも売っていました。私も姉もよくモツきりを手伝わされました。
また、コロッケを作り売ることを始めました。
コロッケはジャガイモとひき肉が必要です。
その、ひき肉を自宅で作ることにました。
豚肉を粗切りし、その肉を、挽き肉を作る機械の中にいれると機械がグルグルとねじりながらが回りひき肉になってが機械の出口から出てくるのです。
ある日、妹が豚肉をこの機械の中に入れひき肉作りをしていたのですが、妹の手が機械の中に引き込まれてしまったのです。
このひき肉の機械の現物を見せてあげたいです。
妹の「ギャーッ」との大声に驚いた母はすぐにスイッチを切りました。
ここから地獄が始まりました。
鉄の機械の中に手を挟まれたまま泣き叫ぶ妹。
近所の人たちが大勢集まってきて、大騒ぎとなりました。
父もどのように機械から手を引き出せるか、焦っている中、消防団の人達が溶接の機械を持ってきて、機械を切ることとなりました。
整形外科の先生と看護師さんも来ました。
右手首がそっくり機械の中に食い込まれ、妹は泣いているだけでした。
消防団の人たちに助けをいただき機械から手を出すことができました。
直ちに妹は整形外科で手術となりました。
そして、手術の結果、右手の人差し指を1本なくなりましたが1本だけで済んだのが奇跡のようだったのです。
先生の手術が上手だったのです。
近所の人たちも、消防団の人たちも、よく1本で済んだとびっくりしていました。
その後、妹は右手の第2指がなくとも文化服装学院の師範かまで進み、ウエディングドレスを3枚も縫いました。
あの時、父親の采配により消防団の力をかり協力があったからこそ、妹は指一本だけですんだと母もよく言っておりました。
この事件からコロッケ作りはやめました。
父はどのような境地だあったのか真意はわかりませんが、後悔の気持ちがあったと思います。
気の短い父でしたが、心の優しい父であったと時々妹と話すこともあります。
今、私が住んでいるところも父からもらった土地に家を建てることができました。
母への感謝はもちろんのこと、父に深く深く感謝しています。
お父ちゃん、ありがとう!。