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僕の人生

SNSではいつも着替えをしてファッションやトレーニング、ライフスタイルを発信していますが、今回は皆さんに少しでも夢を持ってもらいたくノートに書いてみることにしました。少し時間ある時に読んでみてください。

僕は、青森県の小さな町で次男として生まれました。

赤です


幼い頃から、兄の影響で陸上を始め、小学校時代から走ることに夢中になりました。中学校に進学する際、陸上の強豪の少し遠い学校を選び、そこでの厳しい練習の日々が続きました。
その努力が実を結び、13年ぶりに駅伝で全国大会への出場を決めた瞬間は、今でも鮮明に覚えています。

高校は、陸上の成果もあり、地元の商業高校に進学することができました。最初は陸上部に所属していましたが、当時ラグビー部の顧問をしていた先生から「陸上部とラグビー部が合併するから、ラグビー部に入ってみないか」と声をかけられました。その時、父が以前「チームスポーツをやって欲しい」と話していた言葉が頭をよぎり、初めてのチームスポーツのラグビー部への入部を決意しました。

決して強豪とは言えないチームでしたが、そこで出会った仲間たちは、僕にとってかけがえのない存在ですし高校生活の中で一緒に過ごした日々は、僕にとって宝物です。

2列目の右から2番目


しかし、高校3年時は青森県の代表に選ばれるような選手ではなかった僕は、進路に迷いながらも、美容師になる夢を抱いていました。

そんな時、2019年のラグビーワールドカップで、日本が南アフリカに歴史的な勝利を収めた瞬間に、僕の心は大きく揺さぶられました。
その感動が忘れられず、地元の大学でラグビーを続けることを決意しました。大学生活では、ほぼ全試合に出場し、3年生の時には7人制日本代表ラグビーの合宿や当時のトップリーグのチームでの練習に参加する機会も得ました。
その経験が、社会人になってもラグビーを続けたいという新たな夢になりました。

大学卒業後、僕は岩手県にあるラグビーチームに入団しました。周りは関東や関西の強豪チームから来た選手たちばかりで、最初はプレッシャーを感じましたが、引っ込んでしまったら試合に出られないと思い、全力でラグビーに励みました。
2020年はコロナの影響で試合数が少なかったものの、僕はスタートからほぼすべての試合に出場しました。

しかし、プロに転向した3年目からは、足首や膝、そして肉離れといった度重なる怪我に悩まされ、試合に出る機会が減っていきました。
調子が良くなったかと思えばまた怪我をする、その繰り返しの中で、自分の短所を直そうと必死になりすぎて、空回りすることも多くなりました。
その時期、僕は何度も自分を見失いかけました。

そんな中、いつも一緒にいる友達と一緒に始めたファッションの投稿を始めました。好きなファッションやインテリア、トレーニングを何度も投稿を続けているうちに、多くの方に見てもらえるようになりました。

気づけば僕の憧れていたあるブランドのパーティーやポップアップに呼ばれるようになり、SNSで憧れていた人たちと直接会える機会まで得ることができました。

ラグビーシーズンが終盤に差し掛かる頃、僕は人生の大きな分かれ道に立ちます。
このままラグビーを続けるべきか、それともインフルエンサーやモデル活動に挑戦するべきか。
ラグビーは確かに楽しいし、みんなにも勇気や感動を与えることができるし仲間との日々を思い返すとかけがえのない思い出ばかりです。
何回も自問自答したり、友達や先輩、後輩にも「もったいない」と沢山の言葉を貰いましたが気持ちだけ受け取ることにしました。
僕は「心躍る方へ」進むことを決意しました。
失うもの(プロラグビー選手)は輝いて見えましたが、自分で選んだ道に悔いはありませんでした。
この時、僕が何度も聞いていた曲が、Official髭男dismの「Laughter」です。ぜひ皆さんも、その歌詞に注目して聞いてみてください。笑

そして都内に移り、新たな環境での挑戦をすることにしました。
初めての環境に飛び込み、今はデニムとキャップの制作をしたりパーソナルでトレーニング指導する計画を立てていたり、慣れないことや分からないことも多いですが、毎日がとても楽しく、充実しています。
そして更に力を入れて、新しい挑戦をします。

僕の今までの人生は、挑戦、挑戦、挑戦の連続でした。
そしてそのすべての経験が、今の僕を作っています。
誰もがそれぞれの人生で何かに挑戦し、成し遂げることができると信じています。
だからこそ、僕が少しでも皆さんの背中を押し、挑戦する勇気を与えられるように発信し続けます。

ここまで長文を読んでくれてありがとうございます!
感想などあったらDMしてください!全部返します!


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