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なんなんだよ #5(終)

発走

温かい春の木漏れ日、絶好の花見日和な土曜の昼下がり、それでも福岡県WINS天神の大型ビジョンの前には大勢の人だかりが出来ている。
今日のメインレース、中山競馬場・ニュージーランドトロフィーがいよいよ始まろうとしていた。
この日一人の男、ピロは人生最大の転機が訪れている。
この中山メインに己の全て?を懸けた一世一代の大勝負に打って出た。

時刻は15時40分を刻んだ。発走の時が迫る。
各馬が誘導員に促され次々とゲートに収まっている。
そんな中、ピロとチヒロが食い入るように大型ビジョンの画面を睨みつけている。
誰を?
もちろんそれは13番パラサイトクルーに他ならない。
乗り手の島田へも視線を送っていたが、それよりも何よりもパラサイトクルーだ。発馬がこの馬のカギになる。
スタートで出遅れたら最後、この馬は逃げ馬だ。ピロの経験上、馬券を買っている逃げ馬が出遅れてしまった時の結果は想像に難くない。
レース後のジョッキーの敗戦コメントに至ってはどれも口を揃えて「スタートが行けなかった」としか言わない。競馬の初級口座みたいなもんだ。

「あれ?おかしいな」
ピロが画面を見ながらふと口走った。
「何がですか?」
チヒロが画面を見ながら問いかける。

「パラサイトクルーって前走シャドーロール着けてたんだよね。しかも、この馬、耳が特徴なんだけど、左耳が若干黒いんだよ、だから覚えてたんだけど、なんで?耳黒く無いしシャドーロール着けてない。」
パラサイトクルーは母親のパラサイトダイヤと同じ栗毛の馬体。しかし、遺伝子の狂いでなのか、なぜか左耳だけが父親クールザクールの黒鹿毛を催していた。なのにゲートに入ろうとしているパラサイトクルーの左耳は馬体の毛色同様、鮮やかな栗の毛色が指している。
ゼッケンも確認しようとするが、どこからどう見ても【13】という数字がプリントされている。

「おかしいな、違ったっけ、さっきのパドックじゃ気づかなかったな。これって成長分?」
ピロは脆弱な自分を疑うしかなかった。大金が掛かっている、不安がよぎるのも仕方がない。

「気のせいでしょ?ほら始まりますよ」
チヒロはピロの手綱を引っ張っている。ピロは発走前から掛かっていた。
そんなやりとりを尻目に、いよいよ運命のスタート時刻だ。

『いよいよ全馬がゲートの中。態勢完了』
『スタートしました。おっと1頭ダッシュがつかない、13番パラサイトクルーは後方から…』

「嘘だろ!!!なんなんだよ!!!!!おまえよう!!」
数時間前、福島の第1レースの時と同じ光景がWINS天神でまたしても起きた。
これはデジャブか・・・。
ピロは頭を抱えながら、そして馬券を握る手がブルブルと震えながら悶絶している。
仮眠を取ったことも相まって、ピロに流れる血という血が沸騰していた。
もはや、風前の灯火。一体俺は昨日からいくらの金を失うんだっけ?
そう自分に問いかけている。その額およそ20万ほど。
中小企業のサラリーマンにしては決して少ない金ではない。いわゆるファミリーマネーでは無く言わばパーソナルマネー、小遣いという範疇でこの金額を使ってしまう彼には脱帽すら覚える。
もう、ギャンブルなんてしない。ぜったい。
そうピロは小さく呟いた。マッキーみたいだな、と。
だいたいのギャンブラーはこの手の症状に陥りやすいが、このWINSから出た瞬間、再び脳内リセットされるのも養分の性質とも言える。
ギャンブルで負けた金は、何が何でもギャンブルで取り返したいからだ。
このロジックにハマってしまったら最後、沼にハマるとはそういうことだ。
三井寿よろしく、このレースをピロは半ば諦めた瞬間だった。
安西先生、俺は諦めたよ、と。

視点を中山競馬場に戻そう。
スタートに出遅れたパラサイトクルーは後方15番手に収まった。
1,600mという中山のマイル戦、序盤の隊列争いが激しい。
1人気④トカレフは、掛かり気味ながら先行策を取り先頭から3番手、絶好のポジションを新人桜井はキープしながら向こう正面を流している。
2人気⑩コーストオブコーストは先に行くトカレフを睨みながら中団で構える戦法だ。大外から逃げたキンカクジは口を割りながら3コーナー手前を先頭でひた走っている。

『さて、先頭はキンカクジが逃げる形。前半1,000mは59秒ジャストといった辺りか、ややペースが流れている模様です。さぁ各馬、ジョッキーが折り合いをつけたところで3コーナーに入ります。』

勝機

「おいおい、こいつ出遅れたぞ。島田わかってんのかよ」
野口もピロと同様にスタート後、画面にツッコミを入れていた。
発走してしまえば、案件としては完了しているが、結果が伴わない限り継続した事業は成り立たない。
焦りとまでは行かないが、野口は薄笑いを交えながら黒服に告げる。

「島田、これでコケたらもう重賞には乗れねえな。ラストレースじゃないか?」

「そうなるかと思います。人生かかったレースですよ。ただハタチの若造にこんな案件使うべきじゃなかったかもしれませんね。」

「そうだな、だからこその人気薄ってのもあるんだけど、このさじ加減が難しいんだよな。ただ、社会の厳しさを徹底的に教えてやる必要が島田にはあるかもな、いやあるんだよこいつ、俺を舐めてやがる」
野口は本心だった。今回は特A案件、単価30万という金が30口以上も集まった。今日一番の勝負レースとサイトに謳っている。
そんなレースのスタートで、【買わせた馬】が躓き後手に回ったとなれば、野口の喜怒哀楽が【怒】に触れてしまうのも頷ける。
要はプライドの問題なのだ。結果がどうあれ後日、島田は激しく野口から詰められることになるだろう。

『各馬、3コーナーに入ります。徐々に隊列が決まりかけています。先頭は相変わらずキンカクジが逃げますが、少しずつ後続との距離が縮まって参りました。』

「おら、島田!根性みせろや!あぁっ!?!?」
野口が吠えている。だいたいの案件レース、このように届くはずもない叱咤激励よろしく白熱したレース観戦が野口の常ではあるが、今回は特A案件ということもあり、より熱が入っている模様だ。
しかしどうだ、野口の怒号に反応したかのように4コーナーで島田の手が動いた。
13番パラサイトクルーが島田の追い出しを待っていたかのように、4コーナーから捲りだしていた。
ただそれは遥か後方での話、先頭を捕まえにかかったトカレフが悠々とキンカクジに並び掛けている。
ほぼ持ったままの状態で、だ。

『さぁ4コーナーから直線に入ろうとしています。先頭のキンカクジはやや後退。後続からトカレフが襲いかかっています。断然1人気のトカレフ、ここも抜けてくるか、未だ負け無しのトカレフです。』

「トカレフだろこれ、手応えが違うよ。あーあやっちゃったな島田」
野口への制裁が決まった瞬間だった。
野口にとってレース観戦のハラハラドキドキみたいな感情はいらない。この状況、どうみたってトカレフが勝つ、そういうような展開だ。

「イヴちゃんよう、どうしたんだ?直線に入ったぜ、ほら踊る時間だぞ」
野口はキレイな芝のターフに映る各馬の画面右上、大外に回し直線に入った13番を視界に入れながらまたもやテレビに喋りかけている。
イヴちゃん?どういうことだろう。

しかしトカレフは未だ持ったままで直線を迎えている。桜井の顔を見るや、ゴーグル越しに少しニヤついているようにも見える。これはもらったという表情だ。

実況

『さぁ、直線を迎えました。先頭は4番トカレフ、持ったままの鞍上桜井ジョッキー。1馬身いや2馬身ほど後続を引き離しに掛かりました』

『しかし、10番コーストオブコーストが馬群を縫うように、1回、2回とムチが入る。ぐんぐんとその距離を縮めようと加速しています。その差2馬身ほどか、残り200mを切りました』

『先頭はトカレフ!外からコーストオブコーストが2番手猛追!』

『ここでトカレフが追い出しを始めている。これは余裕か、先頭で中山の坂を駆け上ります。これは態勢決したか!!』

『おーーーっと、大外から1頭凄い足でやってくる!!13番パラサイトクルーが猛然と迫ってくる!!!』

『これは凄い足だ、豪脚だ!!トカレフに迫る勢い!!コーストオブコーストを抜いてトカレフとの差は2馬身ほど!!』

『パラサイトクルー!パラサイトクルーだ!!トカレフを捉えたか!!!』

『パラサイトクルー!!いま1着でゴールイン!!!やりました島田騎手!!JRA重賞初勝利です。このガッツポーズ!!お見事です!』

熱狂

画面は大外から差し切った13番パラサイトクルーを移している。
島田はパラサイトクルーの首をポンポンと叩きながら、何やら労いの言葉をかけているようだった。右腕のコブシが高々と天に上っている。

「イヴちゃん踊ったな、危ない危ない。まあ良かったよチヒロに怒られるところだった」
レースが終わった途端、野口が意気揚々と語りだす。

「パラサイトイヴらしいといえばそうだったですね、弟と違って、追い込み馬でしたから。ホッとしました。これで追加のボーナス1,000万円合わせて2,000万の上がりですね。」
隣で見ていた黒服のスタッフも安堵の表情だ。

「島田もそれわかってたかもな、パラサイトイヴに乗ってたのあいつの師匠だからな、ただちょっと肝を冷やしたから懲罰は確定な」
野口が大きな口を開けて笑っていた。この勝負レース、大きな利益が確保出来たことに笑いが止まらなかった。それに加え、予想家野口の株がまた上昇カーブを描くことも笑いが止まらない理由の一つだった。

「イヴには、しっかり礼を言っておきたいから、牧場の関係者に謝礼、少し多めに渡しといてくれ」

「かしこまりました。当の弟はどうしましょうか?」

「あー、秋野のおっさんにありゃ引退しろって言うしかないよな、ありゃ正真正銘の駄馬かもだからよ、つうか俺に調教任したら化けるかもしれないけどな」
また大きな笑い声が暗がりの1室で鳴り響く。
パラサイトイヴ…。
言わずとしれた名牝、ひと月前の3月、繁殖の為惜しまれく引退した馬だが実にG1を2勝した名マイラーだ。今年の種付けは新種牡馬カンナビノイドと決まっている。

「いい仔生んで欲しいな、うん。イヴはダンジグ持ちでカンナビはミスプロだろ、合わないはずがないもんな。今日もしっかり走ってくれたわ」
また野口の笑い声がけたたましく響いていた。

WINS天神

WINS天神の大型ビジョンには払い戻しの画面が映し出されていた。
単勝⑬3,500円
複勝⑬640円
枠連…

WINS天神の払い戻し機にはピロとチヒロが並んでいる。
ピロは流した涙の後で目が真っ赤だ。全握力をかけ馬券を握りしめている。叫びすぎて喉が枯れ上手く喋れない。
一方、チヒロは誰かに電話をしているようで、多分あいつだ。

「あっもしもしお父さん!当たったよ!!ありがとう!!うん、これで救われた人もいたんだよ。そう、ちょっとかわいそうな人がいたから助けたいって思ってさ。うん、もうこれっきりだと思うよ。なんか【俺は人生変えるんだ】ってさ。とにかく今日から晴れて大学生になったんだから今度なんかお祝いしてよね!じゃあね、またね!!」

「チヒロちゃんもしかして、お父さんに予想してもらってたの?マジかよ、なんなんだよ。お父さんありがとう!ラブだな。本当に救われた、これでもう悔いがないよ、競馬もギャンブルも徹マンもやめて、人生変えたいんだ」

「ピロさん…よくわかんないんだけど、これで5回目ですね。まあ良かったですよ。お役に立てて」

ピロは払い戻し機に馬券を投入。
当然、隣のガラス越しからおばちゃんが出てきて、引換券を渡される。
帯以上が確定した証拠だ。
単勝と複勝を50,000円ずつ購入していたピロは、単勝払い戻し175万円と複勝払い戻し32万円の合計207万円を手に入れることになる。
ピロは人生の大きな賭けに勝った。
謎の少女、チヒロとの出会いで獲得した額は207万円、大金を手に取りその重みを肌で感じる。これで昨日からの負け額20万円がチャラ、消費者金融も借りた直後に返金が出来る。さらにはどうやっても現金を受け取ろうとしないチヒロにスターバックスを奢る。
一連の勝ち組が行う儀式的な祭りを始めたが、まだ180万円ほど手元にあった。

「俺はこれで、雀荘を始めようと思う。ギャンブルはやめて施主側に回るよ」

チヒロは首をかしげながら、【それはギャンブルやめてないと思います】と告げて、ピロを残し天神を後にした。

回顧

空は夕焼けが掛かり始めた。
もうすぐ日入りの時間だ。
ここは警固公園のベンチ。ピロはベンチで思い浸っていた。もちろん今日のことを、だ。
チヒロが言っていたように、夕焼けが眩しい頃とまだ時間は早いが、ちらほらと公園には若い女の子達が等間隔ごとに立ち、首を45度に曲げスマートフォンに目を傾けている。
あれが、【ソレ】か。
ピロは彼女達に同情した。
遊び金欲しさに自分の身体を売る。
それがいかに怠惰で常軌を逸しているか。
遊郭や風俗とはまた違う何か異様な雰囲気をこの警固公園は醸し出していた。
こんなオープンなそれも天神のど真ん中で金を掴みたい、それも20歳前後の若者がこれほどまでにいるとは…。

このポケットにある200万近い金があれば、端から端までの女の子、全部持っていけるんじゃないか。
と、下半身も疼くが、この勝ち金は雀荘の開店資金。簡単に手放せないのもわかっているから、そこはぐっと堪えている。
俺はギャンブルから足を洗うんだ。新しい一歩を踏み出すんだ。
そう自分に言い聞かせていた。
チヒロにはもう会うことはないだろう。
今日のこの奇跡は武勇伝として語り継いでいこう。俺の人生が少し華やかになった瞬間だ。ピロはそう浸っていた。

しかし、あのパラサイトクルーの走りには驚いた。
豪脚一閃のあの足は、姉のパラサイトイヴを彷彿とさせていたからだ。
弟にもあんな足があるとは、上がり3Fが32.9なんて、とんでもない。
今後もパラサイトクルーを【応援】していこうと思っている。

仮眠を取るには取ったピロだったが、疲労困憊の色は隠せない、徹マン明けからの競馬で激しい胸焼けも加わっている。今日は固形物を接種しておらず空腹を超えて胃が痛い。さらには、今から1時間掛けて車で帰ろうとするが腰が重い、もう少しここでブレイクタイムを決めたい、そうピロは考えていた。

ふと顔を上げた。
一人の男に目が行く。
その男は、スマホを見ながら立ちすくむ若い女の子に話掛けていた。
男は、自分の指で人差し指と手のひらを交互に見せている、口元は【イチゴ、イチゴ】と女の子に言っているようだ。
どうも酒に酔っているようで、あっさり女の子にふられてしまったようだ。
肩を落とし、かなりふらふらとしながら、次の女の子を探している。

どっからどうみても
浜口だった。

夕焼けに滲む空を見ながらピロは呟いた。
「なんなんだよ」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




あとがき

似たような話は良く聞いたことがあるしフィクションストーリーとして描かれることが多々ある。
【本当に走っている馬がその馬なのか】
競馬サークルと一般人、これは基本的に相重なることはない。
いわゆる公平性を保つために、だ。
それを逆手に取った場合、馬が入れ替わるということがあってもなんらありえるのではないか、という視点だ。
先日、森厩舎の馬が地方遠征だったがAとBの馬を間違えて輸送してしまったということで過怠金を取られたニュースが出ていた。
調教師、あるいは助手やスタッフにすら似た馬は間違ってしまうらしい。
逆に似すぎた馬を故意に入れ替える。それを商売にする、というヤツがいても驚けない。
たまにわけのわからない、いつも2桁着順みたいな馬がいきなり勝ったりする。あれは【なんなんだよの極み】でもある。
しっかり対策が打たれているとは思うが、特に地方所属の馬達はなおさらわからないだろう。
ブラッド・スポーツである競馬に馬の入れ替え操作があった、としたら種馬や繁殖牝馬、こういった資産は一体どういう価値がつけられるのか、筆者の勝手な妄想で書いたが、あるかないか、筆者はやはりあったとしても驚けない。
やっぱりか、と。

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