「ほんとはお金を払いたい。それで何か、すごく良いものを得たい」
今年得た考え方のひとつ。
「みんなお金を払いたがっている」んじゃないか??
その日、わたしはららぽーとという大型商業施設のなかを歩いていた。
安いものなんて、まったくもって探していなくて。
いつもはがっちり締めていた財布の紐がゆるゆるで。
むしろ、思いっきりお金を払いたい。
高くてもいい。
自分が変わるような、劇的に変われるような「何か」がほしい。
そんなことを思いながら。
とってもとっても、お金を払いたかったんだけど。
ほしいものは見つからなかったのでした。残念。
で、3時間くらいうろうろして得たのは
「ほんとはみんな、お金を払いたいんじゃないか」
という感覚だった。
いや、払いたいでしょ。
それで「なにかいいもの」なり「なにかいいこと」が得られるなら。
だけど払い方がわからないのかもしれない。
いいもの や、
いいこと が、
わからなくなってしまっているのかも。
ぼんやりと自分を取り囲むモノや、情報(ここには事業主の知人関係もふくまれる)を眺めていると、ああ価値ってなんだっけな。と思うことが多い。
わたしはよく、わからなくなる。
いいものとかいいこととか、価値があるものとかないものとか。
とても困る。
困ってしまって、よく立ち止まる。
そんでぼーっと無意識に眺めている。
なんだかお金って、もっと流動的で軽やかでもいいんじゃないだろうか。
必要なものばかり手に取るクセがある。
不必要なものを手に取らないわけじゃないけど、すごくすごくほしいものだとか、心がうごいてしかたないものだとか。そういうものにもっと敏感で、軽やかでありたいものだ。
そのほうがぜったい、自由だよなぁ。
だれかなにか、わたしにもっとお金を払わせてくれないかなぁ。
信用させてくれないかなぁ。
期待させてくれないかなぁ。
しょーもない他力本願。
でも、前のめりに行っても空回りするのが目に見えている。
クリスマス時期になって、街はすでにぎらついている。
そろそろまた歩いてみよう。
だってほら、なにか、いいものがあるかもしれないし。