明治16年に歌舞伎役者の長男を嗣養子にした花街藝妓検番の謎の老夫婦
明治11年に熊本県で俳優鑑札所持のまま指定営業区域から逃亡・失踪し営業停止を内務省から布達された歌舞伎役者の長男が明治16年に16歳で宮崎県瀬頭村の藝妓検番家庭に嗣養子に出されました。
養子に迎え入れた家庭の夫婦は実子が1人もいませんでした。
養父は既に60歳を超えていました。
養父の本籍地は宮崎県瀬頭村でした。
瀬頭村は江戸時代から花街で芸者が沢山働いていたそうです。
江戸時代に瀬頭村花街でたちの悪い男客がうっかり客の武士を侮辱したら刀で肩から腹まで切り裂かれて殺害される事件があり、武士は捕らえられて官吏から死罪にされたそうです。
その花街瀬頭村です。
養父は歌舞伎役者の16歳の長男を嗣養子に迎え入れました。
養父は他にも16歳と7歳の娘を養女に迎え入れています。
養女はそれぞれ大阪府西成区、兵庫県姫路市から迎え入れていました。
瀬頭村の養父になぜ熊本県の歌舞伎役者や西成区、姫路市に養子縁組の人脈のつてがあったのかが謎です。
人脈が日本全国に渡っています。
養父は花街で藝妓検番をしていたようですが、表向きには下駄屋だと公言していたようです。
養父の嗣養子の子孫の嫁達は皆口をそろえて「下駄屋とは聞いてますけどね。」と言います。
花街で藝妓検番をしていたなんて嫁達には知らされていないのです。
嫁達は瀬頭村の嗣養子は歌舞伎役者の長男で本業は下駄屋ではなく藝妓検番で、生まれは熊本県の歌舞伎役者の芝居屋だった事も知らされていなかったようです。
藝妓検番の嗣養子の孫である祖父も私の母に「私の実家は金持ちの下駄屋だった。」と言っていたそうです。
本業は花街の藝妓検番で嗣養子はアル中の女たらしだったことは伏せられていました。
広域結婚詐欺です。
しかも祖父は身売り芸者の私生児で藝妓検番の息子でもありません。
祖父は藝妓検番家庭一族からも縁を切られていました。