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本当の音

リターンスクールにおいて、第三傾聴という事を学んだ。
耳に入ってくる最も小さな音に意識を向けながら、相手の話を聞くという感じである。
そして、そのような面持ちで、グループで順番に人の話を聞く。
質問に対して、頭で考えて話しているような場合、何か響かない。
ところが、色々問いが出て、本心がついポロッと出た時、聞いている全員が、それだ、と同時に分かる。本音というのは、音が違うのだ。
どのように違うかうまく説明出来ないが、皆、同時に分かる。
不思議な体験であった。

さらに、薮ちゃんが開発した「わもん」を体験した事がある。入門段階の白帯を頂いた。これも、そうで、相手を絶対尊敬し、聞いている最中にジャッジせず、相手の丹田に気合いを送りながら聞くという特殊なメソッドである。
そうする事で、相手に寄り添い、心の奥に到達し、相手の本音が自然と理解でき、同時に自分の心の奥にも到達する、というもの。おそらく、相手の心の奥を経由して、繋がった集合無意識経由で自分の心の奥に繋がるというものだろう。

そういう第三傾聴ならびに、わもんによる聴き力が幾分鍛えられたせいだろうか、YouTube動画を見ていると、あれ、この人、本音で喋っていないな、と思う事がある。

最も違和感感じたのがGACKT。中田と対談していた時のものだ。
昔から独特の間で話すGACKTであるが、最初から最後まで、本当の音には聞こえなかった。

話ている内容は、CDバブル崩壊の予兆を感じ取り、不動産ビジネスを始めたとか、中古携帯の輸出ビジネス、リゾート施設経営、ボランティア活動、マレーシア移住など、凄い実績の話で、中田も感心しながら聞いている。

のだが、本当の音には聞こえない。誰かが書いたシナリオを思いだしながら話しているように聞こえた。

ボランティア活動して叩かれたといい、例え話をする。仲間が言ったのだけど、と前置きするのだが、高速道路で車線変更しようとする車を入れてあげるかどうか、というような件であった。もし、入れてあげて相手が急ブレーキかけて追突したとして、逆に文句言われたらどうするか?という何か例えとして上手くない話でもあった。
つまり、入れてあげたのに、という思いは傲慢で、自分が入れたいから入れた、という、自分が好きだからやってるんだというくらいの気持ちじゃないと、というような話であった。それを、聞いてなるほどと思った、という。
エピソードトークとしても、今ひとつだし、たっぷり時間掛けた割には薄いと感じたのだが、わざわざ、仲間がそう言った、とし、それを聞いて感心したと言っているのだ。自分が抜けているのである。
別にもっともな意見であり、自分がそう感じたし、そんなこころもちで、偽善者と叩かれようが、じぶんの意思で今後もボランティア活動を行うぜ、といえばいいのに。
聞いていた中田はそうですよね、と激しく同意しているのだが、この話を始めたGACKT本人は、発言の主体は友人という事で同意は一切していない。

不思議だなと思い、GACKT、ボランティアで検索すると、様々な疑惑が出てきた。東北大震災で義援金を4億集めて2億しか寄付しなかったとされている。
その他、ビットコイン疑惑、ファッションブランドの盗作事件など、ゾクゾクと出ている。芸能人格付けチェックもやらせではないかという疑惑もあるらしい。

奇しくも、中田が質問者でGACKTが応える構図であり、あの独特の間のせいで、聞き漏らすまいと、自然と第三傾聴モードになった。そして、発言の全てに響かなかった。そういう現象のように思える。GACKTは本音を喋っていないのだな、という直感となるのだ。

GACKTの勝ち方という本を中田が絶賛して紹介もしていたので、どれどれと読んでみるが、やたらと文字が大きく、起承転結もない、中学生の落書きのようだった。夜露死苦。というノリ。全く入ってこない。中身のない人だなと思う。

世間の声というのは、時折、真実を付いているのかもしれない。芸能人のバッシングが多いし、何かしら、釈明会見がある。その会見で、評価されるものもあれば、さらに叩かれるケースもある。プレゼンのテクニックではカバーしきれない、音の響き。それを自然と聞き分けている大衆が確実に存在しているのではないか。

さて、この第三傾聴。上達すれば、自分自身に問いを発し、それに応える自分の音を聞いて、自分の本音が分かるようになるのかも知れないが、なかなかそうはいかない。いろんな考えが浮かんできて雑音となる。

なにも聞こえない、何も聞かせてくれない。
僕の体が昔より大人になったからなのか。

壊れかけのオジサンの心の奥のラジオも壊れかけている。

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