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モルモン書

大草原の小さな家にはまり、あの、信仰と暮らしが一体化した世界観にあこがれた。シリーズ8が実質的なラストになるのだが、その最後のストーリーが超絶すぎるのだ。

息子が銃で撃たれて全身麻痺してしまう。医学の力ではどうしようもない。これまで、いくつもの困難に立ち向かってきたお父さんが、その現実を受け入れきれず、奇跡を求めるようになる。その姿に、牧師さんですら、そんな奇跡を求めるなと説得する。お父さんは、神と私の問題だ、と、一緒に祈ろうという牧師を突き放すのだ。

家族からも、お父さんの気がふれたと怖がられ、息子を抱えて、荒野に行く。二人で野営をしながら、なにかのサインを待つ。あるとき、祭壇を作れ、という声を聴く。高い高い祭壇を作って、なにかを待つ。
雷雨の夜、不思議な老人が現れる。今夜だ、と告げる。そして、奇跡は起きたのだ。心配で迎えに来たお母さんとエドワーズさんが、歩いている息子とお父さんを見て驚愕する。そんな終わり方。衝撃の終わり方であった。

この大草原の小さな家の世界観はモルモン教にあるらしい。
お父さん役でプロデューサーのマイケルランドンがその信仰を持っていたのか、原作者のインガルスファミリーがそうであったのか、西部開拓民のなかでのメジャーな信仰がそうであったのか。

アーミッシュとか、シェーカーとか、質素な暮らしと信仰が結びついたものに惹かれる自分がいる。

テレンスマリックの「名もなき生涯」の主人公も、質素な暮らしぶりであった。こちらはカトリックのフランシスコ会。

ハクソーリッジで描かれたエドモンドドズはセブンスデーアドベンチスト。
こちらも異端扱いされているようだ。

なにを持って異端とするのか、いまひとつ分からない部分もある。ユダヤ教からすればキリスト教こそ異端であった歴史もある。イスラム教からすれば、また別の見方もある。

モルモン書、モルモン教というものをググってみると、異端とされているとある。そういえば、スーツ姿で自転車に乗ってる宣教師には何度か遭遇していた。斉藤由貴の不倫の時に話題になってたな、とか、どちらかといえばネガティブな情報が多い。

1800年代に創設されたもので、創設者のジョセフ・スミスは、暴徒との銃撃戦で死亡したとある。なかなかのストーリーではないか。
1800年代には世界各地で新宗教が勃興した。倫理研究所も、その流れの一つであり、ある意味、宗教のひとつであろう、というのが、数年間、実践した私の結論だ。ニーチェのいう通り、産業革命と科学の進歩によって、神は一度死んだのかもしれない。そして、時代にふさわしい新たな神が創出されたとも言えるだろう。昨今のオンラインサロンもある意味、宗教の新形態であるという論考もある。

キリスト教の聖典である聖書。人類史上最大のベストセラー本といってもいいもの。通しで読んだ事はないが、映画とか要約本などは読んだ。そして、聖書を補完するとされているモルモン書。

一度読んでみようかと思う。
聖書や、コーラン、世界各国の聖典とされるものは、一度、読んでおくのが良さそうである。

モルモン教にはハードルの高い戒律があるようだ。ベースとしてモーゼの十戒。酒、タバコ、コーヒー、などは禁じられている。食事も、厳密なヴィーガンまではいかないらしいが、肉食を控えるらしい。専用の下着が規定されているそうだ。そして、性に関する戒律がかなりハードである。そして、収入の10%を教会に寄付するというものがある。

昨今、収入の一部を寄付するという風潮が広まっているのだが、10%はハードル高そうである。節税になるのであれば、ありうる話かもしれない。

一日二箱のヘビースモーカーであり、タバコとコーヒーによって生きているような私には厳しすぎる戒律である。

モルモン教に入信するというのはかなりハードルが高い、というのが今の実感だ。

私の中に、信仰とは厳しいものであってこそ、という固定観念がある。
楽な信仰など、虫の良すぎる話だ。五体投地しながらチベットを目指すくらいの苦行でもしないと悟りなど開けないはず、という思いがある。
であるから、厳しいものほど、その魅力は光って見える。

さて、建築家と信仰。
これを考える時、アントニオ・ガウディを思う。
晩年はサグラダファミリアに専念し、現場事務所に仕事場を構え、ボロボロの身なりで、路面電車にはねられて生涯を終えた。浮浪者と誤解されて、数日、死体安置所に放置されていたという。ようやくガウディだと判明し、国葬並みの葬儀が行われた。生涯を神に捧げる空間づくりに費やしたのだ。
ガウディは、カトリックのフランシスコ会に所属していたらしい。

安藤忠雄氏は光の教会が有名であり、装飾のないコンクリート打放のミニマムな空間はプロテスタントの思想とマッチする。安藤さんも設計するにあたり、プロテスタントになったのだろうか。洗礼をうけているのかもしれない。

カトリック、プロテスタント、そして、異端とみなされているモルモン。
キリスト教は、流派が多すぎて、入り口がわかりにくい。

建築空間の究極とは。人々を癒す空間とは。
それを設計する建築家に求められる能力は何か。
信仰とは何か。
信仰と建築の関係はいかに。
難しい探求がこれからも続きそうである。

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虹の森の国
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