西洋占星術は惑星に意味を見出し、その動きと位置から人事諸象に生かして総合的に判断し運命を推理する方法であると理解しております。
これは、実際に存在している星=「実星」を素材にしているということができると思います。
これに対し、四柱推命で扱う星は、見えない作用である「陰陽五行」という現実の現象を抽象化した作用としての星であり、実星のように現実には目に見える形で存在してない「仮想的エネルギー」と言ってよく、これを実星に対し「虚星」と呼びます。
この差がどのような違いを生むかを考えてみましょう。
それぞれ西洋占星術と推命学において運命について一定の判断が下されたとします。
「その判断の根拠はなんですか」
と問われたとき
西洋占星術の場合は「天体の動きがそうなっていることから判断しています」
ということになろうかと推測します。
僕の推命学の場合、
「エネルギーのバリエーションである陰陽五行の原理的作用からこのような展開になることを予測しています」
と説明します。
つまり判断の素材となっている星自体
・西洋占星術であれば「惑星」
・四柱推命学であれば「木火土金水」
この素材を
「原理的に扱っていけるか、いないか」
という大きな違いにぶつかると判断しています。
そもそものこの星の成り立ちを原理的に扱うということになると
一歩、より抽象度が上がり、
そして法則をつかみ
その超越した目線から応用するという技術が生まれてきます。
そこから原理に沿った可能な限りの別の答えを導き出すことも可能となります。
こうして最後まで現実の現象作用に影響する原理に根拠を見出しながら
一貫した形で結果をもたらすことが可能となります。
これが推命学でいう、「開運」です。
つまり開運とは
・運を拓くといえども原理原則にそって展開している、ということ
・つまり、運命には、「運命メカニズム」と表現できる機能がある、ということ
・この運命のルールに基づき、再利用する形で無理な目標を立てることなく自然に、効率よく自分の運命を変化させることが可能である、ということ
このことが開運という意味になるのです。
運命メカニズムそのものを変化させることはできません。
しかし、その扱い方には当然、自由性があり、
いかに扱いうるかというところで
自分なりの殻から抜け出して
大きな広い視野に立ち
可能性の余地を見定めて
自分の人生を再構築するごとく
「人生の物語を変えること」
これが運命を変えるという意味になります。
その人の持って生まれてきた素材自体は変えることができません。
その素材を「運命」と定義するなら、運命は変えられません。
しかし、人と出会い、さまざまな体験を通じて
「より良い思い出を作りたい」
そうした人生の物語を運命と呼ぶなら
この定義にそった運命ならば
変えることができます。
西洋占星術について議論するにふさわしくないものからの物言いになりますので、もしその筋の方や、それ以外の方でも結構です。反論等、ありましたらご意見をいただきたいと存じます。教えてください。お待ちしております。