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友よ、

果てしない自意識のせいで、僕は高校の時からの思い出をほぼほぼ記録に残していない。つまり、写真を撮ることを全くしてこなかったのだ。そこそこの人数で集まった時の集合写真では、仕方なさげに端っこを陣取り、それがグループラインにシェアされても保存すらしなかった。無論、SNSでの拡散などもってのほかである。

そんな僕でも、大切な友は数人いて、その人たちのお陰で今の僕がある。長いこと会っていなくても、次会った時に語らいたい思い出や当時は言えなかったこと、今だから聞いてみたいこと、そんなんが山ほどある。

だけど、その「思い出」はいつまで「そのまま」なんだろうか。
僕は記録に残さない分、一瞬一瞬を大切に、なるだけこぼさないように注意深く記憶してきた。だから、高校で一緒に文化祭の司会をしたアイツにも、大学で僕の家に入り浸ってたアイツにも聞きたいことがある。「なんであんな表情してたの?」とか「あの言葉の本当の意味はなんなの?」とか。覚えてねーよって笑われても何も問題はなくて、むしろそう言って無邪気に笑う顔が見たいような気もしていて。

そんな友が、明日、死んだらどうだろうか。
僕はたくさん疑問が残る思い出を「そのまま」の形で保っていられるだろうか。いいや、いつか答えが貰えると思っていた疑問に答えが一生貰えないとわかった時、僕は都合のいい答えを自分に与えると思う。きっとこうだろうと言って。それは、紛れもなく思い出への脚色である。

僕は弱いから、当然友の死を受け入れることなんてできなくて、いつまでも心の中にソイツを置いておくだろう。そして、ことあるごとに召喚して、同じ時を刻むと思う。でも、そこにいるのはリアルじゃなくて、僕による僕専用のアイツだ。と考えると、あまりにも寂しくて苦しくて切ない。

人生は映画ではない。だから、もう願うしかなくて。
友よ、本当に死なないでくれ。

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ゴカク ケイ
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