猿回しを観て対等な関係性について考え直したのです。
先日、栃木・日光に出かけてきた。
今回は20名くらいの仲間集団という比較的大所帯で行くことになったので、思い切ってマイクロバスをチャーターしてみた。利用したバス会社の対応が想像以上に良くて、メールによる各種対応も、運転手さんの当日対応も、もろもろ含めて満足できたので、若干コスト高だったが、利用してよかった。
今回の旅では主に、日光東照宮と猿回しを観に行くのが目的だった。
旅の中でも私が印象に残っていろいろと考えさせられたのは、猿回しだ。舞台上で、猿使いの様々な指示やアクションに応じて、猿が様々な芸を披露するものだ。
よく考えれば、目の前で改まって観る機会は今まであまりなかったかも、と思った。猿使いとの阿吽の呼吸で、ジャンプしたり物を運んだり、どうやって練習するのだろうなぁと興味深く観ていた。
私が猿回しの芸を見ていて最も考えさせられた点はどこかというと、その笑いの取り方である。
良い意味でも悪い意味でも、日本旧来のお笑いの感覚が残る「時代を感じる笑い」だなぁと思った。
猿回しの笑いの生み方の1つの方法は、お笑いの定番の一種である漫才形式のように、猿がボケて猿使いがツッコむ、という形だったのだが、私はそのスタイルがちょっと気にかかってしまった。ツッコミに対応する猿使いが、猿を蔑むような言い方とか態度に見えてしまったのだ。
日本では、10年前くらいまではおそらくそのスタンスが普通だったし、私も違和感を持っていなかったと思う。
しかし、ここ数年でガラッと笑いに対する価値観も変わってきてしまったのだろう。
おそらく彼らはこれまでずっとそうやって観客の笑いを取ってきたのだろうし、今さらそれを積極的に変える理由もないし、変えるとしたらまた練習し直すのが相当大変であることは容易に想像できる。
だから、「直した方がいい」と主張するつもりはないけれども、ちょっと気になってしまったなぁというのが正直な感想だ。
猿に対する人間の態度を見て、人間どうしで取るべき自分の態度についても見直して、本当に対等な関係性って一体どういうものなんだろう、と考えた。
観客の子どもたちは結構笑って観ていたが、価値観はこういうところから無意識的・潜在的にインストールされていくのだろうな、と思ったりもした。
自分にもし子どもがいたとしたら、こういう笑いの取り方には慣れてほしくはないな、と思った。