躾(しつけ)とは美しい生き方の大人の姿を見せることなのです。
この記事を読んで、「なるほど、そうだったのか!」と膝を打った。
「しつけ」という言葉は漢字で書くと、「躾」(「身のこなしや立ち居振る舞い」が「美しい」)、となる。
これが意味しているところを汲み取れば、やはり、「しつけ」というのは強制的に何かを教え込もうとすることではないだろう。大人の身のこなし、ひいては仕事をする美しい姿を見せることで、子どもは早くそうした憧れの大人になろうとしてその姿を真似することで、遊びながらそれを自らのものにしていくのだろう。
私は以前、真の教育とは、「生き様を見せること」であると書いた。
これも、もしかしたら広義の意味での「しつけ」なのかもしれない。
ここでの「仕事としての身のこなし」を広い意味で捉えれば、それはそのまま、その大人の「生き様」であると解釈できるだろう。
つまり、子どもたちに憧れを持ってもらえるように大人が懸命に生きるその姿、生き様を見せ続けることで、子どもたちもそういう生き方を選ぼうとして、彼らの人生を歩み始めるのかもしれない。
私の身の回りにも、ありがたいことに、そういう生き様がカッコいいと思える大人の人たちがたくさんいる。
生き方そのもの自体は様々な種類があるけれども、そうした「自分なりの生き方」を選んでいる人たちは確かに尊敬できるし、自分もそういう自分なりの生き方を見つけたいと思う。
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