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久しぶりの再会で自分の行動力を再確認したのです。

久しぶりに会う友人と食事に行った。自分としては特別そういう感覚はなかったが、振り返ってよくよく考えてみると、いわゆる「幼馴染」と言われる存在だということに気づいた。

彼とは幼稚園のときから同じところに通っていて、特に小学生のときはいつも一緒に遊んでいた友人グループのうちの一人だった。

それから、高校もたまたま同じところを志望して入学し、同じクラスになってもならなくても、程よい距離感で仲良く過ごしていた(と私は思っている。彼はどう思っていたかわからない)。

高校卒業後はそれぞれ別の大学に進学したことから、意識的に連絡を取らない限りは疎遠になってしまうので、1年に1回程度は連絡を取って、仲間内数人で食事に行くことなどもよくあったのだが、新型コロナウイルスの感染が拡大する少し前からは全く連絡すら取らなくなってしまった。

そうしていつの間にか私が博士課程に進学し、その修了目前となった今、不意に思い立って食事に誘ってみたのだ。

久しぶりに私の目の前に現れた彼は、まさに以前会っていたときの風貌そのままで、あれから数年間の時が経っていることを全く感じさせなかった。

ただ、近況報告をし合う中では、当然今の仕事の話や恋愛事情の話なども出てくるわけで、そういう話の内容からは、一定の時間が経過していることを感じ取ることができた。

私が彼のことをどれだけよく理解しているかわからないが、私の目から見ると、彼は人とのコミュニケーションが得意な外向的なタイプではない。また、周辺環境に対して敏感で、繊細なところがある、ということを彼も自分で自覚しているらしい。

そういう中でも、仕事で周りの人たちとの関係性について考えたり、恋愛に取り組んだりしている話を聞いて、一安心した。

彼の近況報告を聞いた後、私もこの数年間で見聞きし、体験したこと、考えたこと、発見したことなどについて話した。

それは、このブログそのものの話もそうだし、一人旅に行ってみたこと、新しいコミュニティに飛び込んでみたこと、「愛とは何か」「人はなぜ争うのか」などの昔からの疑問について自分なりに解を得た気がすること、などだ。

そうしてひとしきり私の話を聞いた彼は私のことを、「なんだか別の種類の人間に見える」と言った。

それもそのはずだ。私は、一般的な社会とは隔離された、大学研究室という独特な空間の中でこの6年間もの期間を過ごしてきた人間なのである。久しぶりに会った彼にとっては、奇異に映ったことだろう。

しかも、毎日研究室に引きこもって研究活動をやり、程よく学会に出たり論文を書いたりする傍らで、新しいコミュニティの運営に携わったり、色々なところに出かけたりしているのである。

そういう話を聞いた後で彼は、「行動力がある」と言った。

自分のこの数年間でやってきたことを人に語ることを通して改めて振り返ってみると、客観的に見たら確かに行動力のある生活をしていたのかもしれない。

自分としては、昔からこのような行動力を発揮してきたわけではない、と思う。

でも、去年の4月くらいから本当に自分の興味の赴くままに動いてみる期間を作ったことで、いつの間にか導かれるようにして今の環境や出会いがあったような気がして、この数年間は間違いなく楽しかった期間だったと言える自分がいる。

少しでもいいからやりたいことをやってみる、生活する環境を変えてみる、付き合う人を変えてみる、こういうことをスモールスタートでもいいから始めることで、人生が前方向に回り出し、彩が加わるのだ、ということを改めて体感した食事会だった。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。