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6/26日:巡り合わせには偶然の重なりを。

今日はいろいろな偶然が重なった1日だった。

今日は8月に子どもたちを連れていくキャンプの炊事の練習として、野外炊事を行った。しかし、今日はこの子どもキャンプの30年以上の歴史の中でも、中々起こらないであろう珍しい事象が起きた。

朝の集合場所に参加者全員が集まるはずなのだが、そこに、私の班の中学1年生がいつまで経っても現れなかった。彼の保護者に確認を取ると、予定の時間通りに家を出発して近くの駅まで送り届けたはずだと言われたので、どうやらその駅からこの集合場所までの間でどこかに消えてしまったらしい、ということになった。

もしかしたら、間違えて先に炊事場に向かってしまったのかもしれない、と考えて、ひとまず集団全体は炊事場まで歩いて出発することになった。そうして30分ほどの道のりを歩いて炊事場に到着したのだが、やはり本人の姿はなかった。

そこで、皆が予定通りプログラムを進める中、ベテラン青年の私が一人で自転車で来た道を戻り、彼を捜索することになった。

しかし、集合場所から歩いて30分の道のりの間を、私一人でしらみつぶしに捜索して見つかる確率など、圧倒的に低いことが目に見えている。加えて、どうやら本人はスマホなどの連絡手段を持っていないということと、本人の性格的に誰かに助けを求めることもないだろうということが、その発見確率を下げる方向に働いていた。

乗ること自体久しぶりで慣れない他人の自転車を猛スピードで漕ぎ進める私は、どうすればその発見確率を少しでも上げられるかを考えていた。ひとまずは来た道をその通りに戻り、元の集合場所に不在であることを確認して、話はそれからだ。

案の定、集合場所には誰もおらず、ここから長い捜索タイムが始まることを覚悟した。

ところが、まずはとにかくここへと思い、最も人が集まりそうな歩いて数分の最寄り駅に向かうと、踏切を渡ろうと開くのを待っている彼の姿が目に入った。

見つけた!こんなことある?と思いながら声をかけると、確かに本人だった。父親の車から降ろされた後、集合場所までの道がわからず1時間近くさまよい歩いていたというのだ。

とにかく、この無理ゲーと思われた自転車による捜索が、ものの10分程度で終わったことに胸をなでおろしたのであった。

そうして彼を連れて炊事場に戻った後は、予定通りプログラムをこなすことができた。6月下旬に入っていよいよ夏本番という暑さの中で、子どもたちは集中して調理作業に取り組んだり、かまどの火と格闘しながら野菜を炒めたり、煤の付いた釜や鍋をゴシゴシとこすって洗ったり、よく頑張っていた。

野外炊事終了後は一度実家に戻り、シャワーを浴びて夕飯を食べてから一人暮らしの自宅に戻ろうと改めて家を出た。

実家の最寄り駅に向かって歩いていたそのとき、バス停の列から誰かが飛び出してきた。それは、野外炊事終了後に運営チームでの反省会を終えた、青年の実行委員長だった。せっかくたまたま遭遇したので、そこから1時間程度、今日の野外炊事の様子や思ったことを共有することができた。

冒頭の話を含め、偶然というものは、いろいろな細かい意思決定が重なったのちに生み出されているということを感じる。

炊事場に到着した直後に捜索に行ってくれと発案した事務局長の判断、私の自転車を漕ぐスピードの判断、集合場所を確認した直後に最寄り駅に向かうという判断、たまたま踏切を渡って向こう側に移行としていた彼の判断。

今日は疲れたし実家に泊まろうかなと思ったのに対し、夜にZoom会議がある母親に場所を提供するためにやっぱり一人暮らしの自宅に戻ろうとした判断、決めたならすぐに実家を出る私の判断、実行委員長がバスに乗ろうとバス停で待つという判断。

このように、さまざまな判断の偶然とタイミングが重なって、こうした出会いが得られているのだ。

巡り合わせというのは不思議なものだ。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。