日本の未来について
1940年5月10日。ナチス・ドイツの脅威が迫るイギリスで、一人の男が首相に任命された。任命前日の夜、男はベッドに寝そべりながらこんなことを考えていた。
ついに私は、全分野にわたって指令を発する権力を持った。私は運命と共に歩いているような気がした。私には戦争のことなら、なんでも知っている自信があった。私の生涯の全ては、ただこの時、この一大試練のために準備されたものであるという気がした。
今回は日本の未来について書く。この文章は、今日の喝采を得るためではなく、未来にわたっての財産となることを願って書くものだ。困難な時代にあって、社会の行く末をはっきりと見定めようとする人が、この文章を有益だと思ってもらえるなら、それで十分である。
第1章:日本はどうなるのか
結論から言うと、日本はまずいことになる。そして、まずいことになる必要がある。
世界の歴史を振り返ると、どれだけ華々しく繁栄を謳歌した国も必ず衰退していく。どの国も衰退の本質的な原因は一つ。「変化に対応できなかった」ことだ。一度はその国を繁栄に導いた成功モデルが、時間の経過と共に通用しなくなっていく。時間の経過が状況を変化させるからだ。
七冠をとったあと、米長先生から、釣った鯛をたとえに「じっと見ていてもすぐには何も変わりません。しかし、間違いなく腐ります。どうしてか?時の経過が状況を変えてしまうからです。だから今は最善だけど、それは今の時点でであって、今はすでに過去なのです」と戒められた言葉は、今も胸に深く刻まれている。
日本が衰退している原因も、その本質は日本が変化に対応できていないことにある。その変化とは、①少子高齢化と、②経済のグローバル化・デジタル化だ。
1.1 変化その①:少子高齢化
まずは、①少子高齢化について。戦後、日本は世界でもトップクラスの社会保障制度を作り上げた。誰もが保険に加入し、いつでも病院で治療を受け、老いれば年金を受け取ることができる。全てが自己責任の社会では、一人では背負い切れないリスクに遭遇した時にその人の生活が壊れ、ひいては社会全体が崩壊してしまう。日本は充実した社会保障制度によって社会全体のリスク回避費用を最適化し、安定した社会を築くことに成功した。
しかし、そこに「少子高齢化」という時代のうねりがやってきた。
1990年から2020年までの30年間で高齢者は1400万人から3500万人に増え、社会保障制度は設計当初とは異なる様相を呈し始めた。本来、働けなくなってから亡くなるまでの数年を支える目的で始まった年金は、長寿化によって20年間近い老後を支えるものになった。本来、国民全体に基本的な医療を届ける目的で作られた医療保険は、超高額薬の出現や延命治療の進化によって高度な医療を国が肩代わりするものになった。その結果、1990年から2020年の30年で、一人当たりの医療給付費は3倍に増え、社会保障全体の費用は47兆円から138兆円に増えた。
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この表を見れば分かるように、日本では社会保障を保険料と公費(=税金)で賄っている。お金持ちか否かに関係なく社会保障を受けられるように、保険料を払う余裕がない人の分は税金で補っているからだ。2024年の場合、保険料で賄えなかった54兆円分を、国から37兆円、地方から17兆円出して補っている。つまり、社会保障の費用が増えるということは、税金で補う金額も増えるということだ。
1990年と2017年の国家予算を比較してみよう。まず、予算全体は28兆円増えた。歳出のうち社会保障費は21兆円、国債費は10兆円増えた。歳入のうち税収はほぼ変わらず、公債金は27兆円増えた。平たく言えば、この30年の間、支出は社会保障費と借金返済の分だけ増えて、収入は増えていないのでさらに借金をして帳尻を合わせている、ということになる。
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社会保障にお金が吸い取られた結果、政府の政策決定の自由度は奪われ、リターンが不確実な政策は打てなくなった。産業振興や教育に十分な投資がされず、大学や企業の研究環境は悪化し、新たな科学技術は生まれにくくなった。さらに、社会保障を国債で補い続けた結果、毎年30兆円規模の借金が生まれ、1000兆円を超える莫大な債務が積み上がった。
まとめると、日本の社会保障は民生の安定を図るために作られ、その目的自体は達成された。しかし、「少子高齢化」という時代のうねりがあまりにも速く、その変化に対応できなかった結果、国家財政が圧迫されてしまった。
1.2 変化その②:経済のグローバル化・デジタル化
次に、②経済のグローバル化・デジタル化について。戦後、日本は奇跡的な経済成長を遂げ、世界第二位の経済大国となった。戦争で一面焼け野原となった日本は、低賃金と高いオペレーション能力を武器に世界の工場として息を吹き返し、さらにアメリカの既存産業を飲み込んでいく。
当時、高度なモノを作るのに必要なプロセスは、それぞれの部品やユニットを、最終的に最も性能や機能を発揮できるようにカスタマイズして設計し、組み立てることだった。このような「すり合わせ」のプロセスは、新卒一括採用・終身雇用によって同質的・固定的メンバーで構成され、勤勉かつ協力的に働く組織集団だった日本企業が最も得意としていた。その結果、多くの日本企業が連続的な改善・改良型イノベーションによって猛烈な成長を遂げ、世界的メーカーが続々と誕生した。日本的経営モデルがもてはやされ、バブルも相まって日本企業が世界の時価総額ランキングを席巻したのが1989年。戦後40年をかけて、日本は世界で一、二を争うほど経済的に成功した国となった。
しかし、そこに「経済のグローバル化・デジタル化」という時代のうねりがやってきた。
先に顕在化したのは「経済のグローバル化」だ。日本経済が絶頂にあった1989年、世界史を揺るがす歴史的大事件が起こった。ベルリンの壁崩壊と、天安門事件だ。この2つの事件によって、東欧と中国という2つの巨大な経済圏が世界の市場に接続された。とりわけ、人口10億人を超える中国で改革開放路線が強化され、市場経済が本格的に導入された影響は大きかった。欧米と比較して賃金が低いという日本の優位性の一つが完全に失われたからである。さらに、この時期には工作機械が進化して工場のラインがオートメーション化され、熟練労働者でなくとも高品質の製品が作れるようになっていた。その結果、中国は人海戦術で大量の製品を安価に生産し、品質面でも日本との差を縮めていった。このようにして、経済のグローバル化は産業のコモディティ化と共に日本に空洞化と賃金の低下をもたらした。
続いて立ち現れたのが「経済のデジタル化」だ。1981年、IBMがPC市場に参入したことで、コンピュータが小型化し一般家庭に普及する「コンピュータ革命」が始まった。しかし、これは続く2つの革命の序章に過ぎなかった。1990年代にはWorld Wide Webの発明によって「インターネット革命」が、続く2000年代にはiPhoneの発表によって「モバイル革命」が発生。全世界が常に繋がり、人々の生活やビジネスのあり方は完全に変わった。これら3つの革命が引き起こしたデジタル化の本質は、ある製品を実現する要素が機能分化することだ。機能が分化すると外製化が容易になり、リソースが少ないチームでも何かしら担当できるようになる。その結果、スピードとアイデアに優れた少人数の変人集団=スタートアップが勃興した。
従来コンピュータや通信機器の分野で成功するには、数十億ドル規模の大型プロジェクトで大量のエンジニアを取りまとめ、さらに大量の労働者を管理して複雑な電子機器を製造することが必要だった。それをやれる能力が備わっていたから、IBM や AT&T は繁栄し、日本は技術集約型の成功を収めることができたのである。だが 1996 年の時点では、成功のカギを握るのはソフトウェアになっていた。そしてソフトウェアなら、大企業でなくても、頭の良い連中が何人か揃えば書き上げることができる。規模の経済から個人のスキルへーこれが、大きな変化のうねりだった。
それ以前に私は東京で数ヶ月仕事をしたことがあり、21世紀の主役は日本だと確信していたのだが、この大きなうねりがやってきたら、そうはなるまいと思えた。変化のダイナミクスは工作機械にも、高炉にも、自動車にも、トースターにも広がっていくだろう...そしてその通り、小さなチームのイノベーションに基づく起業文化が勃興し、シリコンバレーが一躍スポットライトを浴びるようになったのは、読者もご存知の通りである。
このようにして、デジタル化はあらゆる産業で非連続的な変化を引き起こした。ソフトウェア・スタートアップが、本屋(Amazon)もビデオ(Netflix)も音楽(Spotify)もホテル(Airbnb)もタクシー(Uber)も飲み込んでいったのだ。この破壊的イノベーションの時代に、日本企業は負け続けた。日本企業の強みは、社内で綿密にすり合わせて一つの完璧な製品を作ること、そしてそのプロセスを連続的に改良・改善していくことだったからだ。長い歴史を持つ事業がものの数年で消滅してしまうような環境下では、同質的・固定的な日本的経営モデルはむしろ弱みに転じる。1990年以降の30年間で日本企業は急速に競争力を失い、必然的に、その積分である日本経済も長い停滞に陥ることとなった。
まとめると、日本経済は低いコストと連続的なカイゼンによって世界的な成功を収めた。しかし、「経済のグローバル化・デジタル化」という時代のうねりがあまりにも大きく、その変化に対応できなかった結果、国全体が貧困化・低成長にあえぐことになった。
1.3 日本が直面する危機
このように振り返ると、日本が衰退しているのは、一度は成功したモデルが、時間の経過が引き起こす変化によって通用しなくなったからだ、ということが分かる。今ではどんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであることが世の常だ。立派だからこそ成功し、成功したからこそ変えられない。日本が今後どうなるのかを考える上では、日本自体がダメなのではなく、日本が変化に対応できていないことがダメなのだと認識することが出発点だ。
「少子高齢化」「経済のグローバル化・デジタル化」という2つの時代のうねりは、今後さらに激しさを増していく。2020年に7000万人近い生産人口は、2040年に5800万人まで減少する一方、高齢者の人口は3500万人から4000万人まで増加する。経済のデジタル化は日本最後の牙城である自動車産業にも到来しつつあり、AI・ロボットの進歩によってあらゆる産業が破壊的イノベーションに飲み込まれていくだろう。全世界と競争を迫られる剥き出しの資本主義の中で、社会保障の支出はさらに国家財政を圧迫し、それ故新たな技術や産業を育てられず、既存の企業群も負け続ける。
その結果、日本は大きな危機に直面することになる。
下に示したのは、現在の日本のバランスシートだ。左下にあるように、ざっと700兆円の負債を抱えている。資産のうち紫色の部分は負債と連動しているもので、残る出資金や有形固定資産も売却できないものだ。このように見ると、社会保障のために発行し続けた国債が、そのまま国の借金として重くのしかかっていることがわかる。60兆円程度の税収しかない日本が、まともな方法で返済することはできない。
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このまま負債が増え続けるとどうなるか。単純な話、借金をしすぎた主体は金利を上げないと貸してもらえなくなる。それは日本政府も同じで、新たに発行する国債の金利はやがて上がる。金利が上がると、政府の利払い費が増える(金利が1%上がるだけで利払い費は数兆円上がる)。政府は利払い費を払うために更に国債を発行する。更なる国債の金利上昇を抑えるために日銀が国債を買い取るが、同時に市場に貨幣が流通しインフレになる。インフレになると結局金利が上がり、利払い費が増えるというサイクルに陥る。通常、金利が上がるとインフレは抑制されるが、今回の場合は政府が利払いの為に国債を発行し続けるので、日銀による貨幣供給も止まらない。したがって、政府が抱える債務が圧縮され、市場の信用が回復するまで金利と物価は急激に上がり続ける。また、金利が上がると日銀が大量に保有している国債の市場価値が下がるので、日銀のバランスシートが毀損され債務超過に陥る可能性もある。この場合、日銀が自力で債務超過を解消するために貨幣を発行すると、さらにインフレが進んでしまうので、債務の再編や海外からの支援による解決が図られるだろう。通貨への信認が損なわれ、国際社会から財政再建を強く求められることになる。
それでは、なぜ今まではそのような状態にならなかったのか。それは、国民がデフレは続くという共通認識(ノルム)を持っていたからだ。バブルが崩壊した1990年以降、将来への不安など複合的な要因からデフレが始まった。1995年の超低金利政策でも日本はデフレから脱却できず、その事実がさらにデフレは続くという共通認識を強め、日本はデフレ・スパイラルに陥った。デフレとは放っておけばお金の価値が上がっていくということなので、家計の消費や企業の設備投資から国債や貨幣の保有に支出がシフトしていく。国債や貨幣が大量に発行されても、国債や貨幣を保有したいという旺盛な需要があれば、金利も物価も高騰することはない。結果的に、民間の家計が生涯の所得を消費に使い切らず、銀行預金などを通じて国債を資産として貸しっぱなしのような状態で保有することとなった。つまり、国民がデフレは続くという共通認識を持っているから、消費が抑制され、大量に国債を発行しても金利が上がらず、財政規律を棚上げできたということだ。デフレは続くという共通認識と財政規律の棚上げはコインの表裏にあり、その共通認識が崩れた瞬間、財政規律を棚上げできる条件も失われることになる。
これからの日本は、このデフレは続くという共通認識が崩れていく可能性が高い。なぜなら、中長期的に物価が上がり続ける(=インフレになる)からだ。経済のグローバル化・デジタル化の影響で日本企業は急速に競争力を失い、日本のモノ・サービスが海外で売れなくなる一方、海外のモノ・サービスを買うことが増えている。その結果、貿易収支(モノの収支)とサービス収支が大幅な赤字となり、対外投資の増加と相まって円の需要が下がっている。円の需要が下がるということは、円の価値が下がるということなので、円安になる。円の需要が下がっている原因は日本企業の競争力の低下にあるので、日本と他国の金利差が解消されたとしても、円安傾向は十数年単位で継続するだろう。この構造的な円安は、輸入物価を上げ、資源価格の高騰と相まって最終的に物価を押し上げることになる。物価が上がる原因はもう一つある。少子高齢化の影響で生産人口は1995年から減少し続けている。これまでは女性や高齢者の労働参加を促進することで何とか就業者数を維持してきたが、それも限界に達したため、これからは人手不足が本格化する。したがって、労働の需要が高まって賃金が上昇する。この賃金の上昇も、微力ながら物価を上げることになる。つまり、「少子高齢化」「経済のグローバル化・デジタル化」という2つのうねりが激化することで、日本はこれから継続的なインフレに突入する可能性が高いということだ。実際に上がり続ける物価を前に「デフレは続く」という共通認識は崩れ、国債・貨幣への需要は下がり、金利は上がっていくだろう。物価と賃金の緩やかな上昇自体は歓迎すべきことだが、同時にそれは日本が危機に近づくということでもある。
もちろん、いつ危機が現実になるかは誰にも予測できない。もっと負債が増えても大丈夫かもしれないし、何かきっかけがあればすぐにでも危機が起こるのかもしれない。今回、日本はまずいことになると結論づけたのは、現状の政治では負債が増え続ける一方、長い目で見れば危機を誘発するような外的ショックは必ず起こるからだ。そもそも、今の日本の状況は国民が望んだ結果だ。国民は危機のリスクを高めるような政治家を選択し続けてきた。大多数の中高年は社会保障の支出抑制を望まず、与党も野党も社会保障を論点にせず、メディアもそれを指摘しない。もし、経済状況が徐々に変化し危機の到来に国民が気づけるならば軌道修正も可能だろうが、実際には金利は非線形に上昇すると予想されるので国民は直前まで危機に気付けない。したがって、今後も国民は現状の政治を支持し続け、負債も増え続けるだろう。一方、歴史を振り返れば外的なショックは定期的に発生している。首都直下地震、南海トラフ地震、台湾有事はサプライチェーンの寸断や資産の破壊を通じて国や企業のキャッシュフローを急激に悪化させる。デフレが続くという共通認識が崩れている上にこのような外的ショックが起こると、金利の大きな上昇は免れない。遅かれ早かれ危機は現実になるだろう。この時、国民は急激なインフレによる預金の大幅な目減りという形でこれまでの選択のツケを払わされることになる。極端な例かもしれないが、1年間で物価が3倍に跳ね上がったら、一般の人々の生活は破綻する(実質GDPと貨幣供給量の比率がデフレ以前の水準に戻る場合は3倍になる)。助かるのは海外通貨建ての資産や不動産を保有できる富裕層だけだ。
まとめると、日本政府は社会保障がもたらす莫大な負債を抱えており、今まではデフレによってリスクが覆い隠されていたものの、日本企業の競争力低下や人手不足を背景とする構造的なインフレが見込まれるため、予断を許さない状況となった。今後も負債が増え続け、さらに地震や戦争などの外的ショックが起こると、政府が抱える債務が圧縮され市場の信用が回復するまで金利と物価は急激に上がり続ける可能性がある。その場合、市井の人々が困窮することになる。
つまり、日本はまずいことになる。
1.4 危機が必要
そして、日本はまずいことになる必要がある。
本来まずいことにはならない方が良さそうだが、まずいことになる「必要がある」のはなぜか。それは、危機こそが改革に必要なエネルギーを生むからだ。
これまで説明してきた通り、日本が衰退している原因は日本が変化に対応できていないことにある。変化に対応するには、自分自身が変わらないといけない。今の日本は大きなうねりに対峙しているのだから、大掛かりな改革が必要だ。しかし、いつの時代も改革というものはそれが明らかに必要な場面でもなかなか成功しない。
ある組織や人が「AからBに変わる」という時、往々にして変わる先のBばかりが議論されるが、実際には元の状態であるAに向き合うことを避けていたり、Aを否定すべきものとして割り切れていなかったりするものだ。今の日本もそうだ。手厚く設計された平等主義の社会保障制度や、同質的・固定的メンバーによる連続的な日本経営モデルは、かつて日本を成功させたものでもあるし、現在進行形で恩恵をもたらしているものでもある。改革をするということは、これらを否定するということだ。さらにその根底を辿れば、「和をもって貴しとなす」同調的な日本社会そのものを否定すべきものとして割り切れるか、という問いにぶつかる。あまりにも根深い問いだ。
今、日本社会の中心を担っているのは、日本が負け続けた現場の最前線に立ってきた人達だ。彼・彼女らは、時代のうねりがもたらす変化を肌で感じ、様々な苦労を重ねながら己なりの戦い方で生き抜いてきた。この世代群は、改革の必要性を無意識のうちに感じている。しかし、能動的に変えようとまではしない。未だ現実化していない危機に対して、しなくても良さそうな苦労を買ってでもするほど、現状の日本社会を否定すべきものと思えないからだ。危機がなければ、改革の必要性を真に理解することは難しい。
だからこそ、危機が必要なのだ。危機が人々に生じさせる意識こそ、激痛を伴う改革を断行する原動力になる。来たる危機をむしろ前向きに捉え、大きな波が来るならそれに乗っかろうという心意義でいれば、もはや危機は危機ではなく、新たな可能性を拓く機会に変わる。だから、日本はまずいことになる必要がある。
1920年代から1930年代において、拡張主義的で人種差別的なナショナリズムが勢いを増していくのを阻止し、史上初めて世界相互依存の必要性を認めた国際組織を創設に導き、それまでにはなかった様々な国際協定を結ぶには、第二次世界大戦という危機が必要だった。ヨーロッパ復興計画であるマーシャルプランをアメリカ国民に支持してもらうには、共産主義の脅威が必要だった。米ソ首脳に核のホットラインを開設させ、緊張が最高潮に達したときにテレタイプとテレグラフで直接対話できるようにするには、核戦争寸前にまで発展したキューバ危機が必要だった。
章の最後に、ここまでの議論を振り返ろう。
日本が衰退している原因は、日本が変化に対応できていないことにある。「少子高齢化」「経済のグローバル化・デジタル化」という2つの時代のうねりが生んだ変化は、今までの日本の成功モデルを弱みに転じさせ、国家財政の圧迫と貧困化・低成長をもたらした。日本政府が抱える莫大な負債は国家のレジリエンスを著しく低下させており、負債が拡大したまま地震や戦争などの外的ショックが起こると、金利と物価が急激に上がって一般の人々が困窮する可能性がある。本来このような危機は避けるべきものと思われがちだが、むしろ今の日本には危機が必要である。危機が人々に生じさせる意識こそ、改革に必要なエネルギーとなるからだ。つまり、日本はまずいことになり、日本はまずいことになる必要がある。
次の章では、危機を乗り越え、どのような改革を行うべきか共に考えよう。
第2章:日本はどうするべきなのか
現実に金利と物価の急激な上昇が発生すると、政府は財政規律を回復しいずれ財政の混乱は収まるだろう。インフレによって政府の負債は圧縮され、一般市民は改革の必要性を理解する。このようにして、改革の条件が揃う。しかし、その間も「少子高齢化」「経済のグローバル化・デジタル化」という時代のうねりは止まらない。一時的な危機を乗り越えたとしても、問題の根本に立ち向かわなければ、日本は衰退し続ける。衰退の本質的な原因は「変化に対応できていないこと」なのだから、日本に必要なのは「変化に対応すること」だ。
したがって、日本に必要な改革は2つ。①社会保障を「少子高齢化」に対応させること、②日本経済・企業群を「経済のグローバル化・デジタル化」に対応させること。
2.1 改革その①:少子高齢化に対応した社会保障
まずは、①社会保障を「少子高齢化」に対応させることについて。結論としては、短期的には支出の削減、長期的には出生率の向上が必要になる。
そもそも、社会保障が国家財政を圧迫したのは、高齢者の数がものすごいスピードで増えたからだ。今後も高齢者は増えて生産人口は減るので、このままだと社会保障は存続できない。したがって、高齢者一人当たりの支出を減らす必要がある。そのためには、支出の大部分を占める年金と医療保険の改革が必要だ。
まず、年金に関しては、標準的な受給開始年齢を平均健康寿命(=72歳)まで引き上げる。そもそも、年金は身体的に働けなくなった後の生活を保障するために作られたものだ。制度を設計した1950年代と比較して日本の健康寿命は10年以上伸びているので、年金の受給開始年齢も同じように後ろ倒しして支出を抑える。なお、これを実行する場合は後述する労働市場改革を同時に行い、定年制を廃止する必要がある。次に、保険に関しては、①保険の適用範囲を狭め、②高齢者の自己負担割合を引き上げる。前者に関しては、本来、莫大な研究開発費を投じられた先端技術や新薬は極めて高額であるにも関わらず、高額療養費制度によって自己負担が抑えられているため、支出が拡大しているという背景がある。極めて高度な医療は公的保険の適用範囲から外し、最先端の医療を受ける際には相応のお金を払ってもらうようにする。後者に関しては、現在75歳以上の高齢者の自己負担割合は1割なので、それを現役世代と同じ3割まで引き上げる。日本の金融資産の2/3は高齢者が保有しているので、支払い能力のある高齢者には相応の医療費を払ってもらうようにする。なお、これを実行する場合はマイナンバー等を通じて資産の管理を行い、支払い能力の低い高齢者には十分な控除を設ける必要がある。これらの改革をまとめると、「働ける間は働いてもらい、払うべきモノ・払えるヒトは払ってもらう」ということだ。
これらの改革は、高齢者の増加による支出の拡大を抑え、社会保障を持続可能な制度にする。しかし、それでも出生数(=1年間に生まれる子供の数)が減り続けると、制度を支える側の人間が減り、最終的に国自体が消滅するので、少子高齢化を根本から解決するには出生率を上げなければならない。つまり、長期的には、子供を産み・育てるのに必要な①お金と②時間を支援し、さらに子育てに関する③社会規範を変えることが必要だ。
まず、お金に関しては、①男性育休を義務付けて、女性の退職や雇用形態の変更を防ぎ、②児童手当の拡充や高等教育(大学含む)の無償化で教育コストを下げ、③あらゆる不妊治療(卵子凍結含む)を保険適用して出産コストを下げる。少子化の要因の一つは、若い世代が子供を持つことを経済的リスクと捉えていることなので、これらの施策を通じて金銭面での不安を払拭する。次に、時間に関しては、①時短勤務の取得を法的に保障して推進し、②職場近辺の保育所を増設し、③ベビーシッターの公的認定・補助制度を創設する。第二子を産むかどうかは、第一子誕生後の可処分時間に大きく左右されるので、これらの施策を通じて時間面の負担も払拭する。さらに、政府が「社会全体で子供を育てる」という強いメッセージを継続的に発信することで、共に働き、共に育てることが当たり前だという社会規範を作る。その他にも、子供が6歳未満の家庭は公共交通を使い放題にして移動を容易にしたり(親戚に預けやすくなる)、保育業界に特化して最低賃金を引き上げたり、画期的な政策を積極的に実行して社会の雰囲気を変えることも必要だ。諸外国の例を参考にすると、これらの改革で出生率を現在の1.3から1.6程度まで数年で上げられる。もちろん、これらの改革は短期的には支出を増やすが、人は一生で数千万円納税するので、長期的に見ると子育て支援は黒字になる。
しかし、依然としてこれらの改革には課題が残る。保険の適用範囲を狭めるということは、貧しい人は最先端の医療を安価に受けられなくなるということだし、出生率が1.6に改善しても、人口維持に必要な2.1には至らず人口減少は止まらない。これらの課題は、超長期的にはテクノロジーによって解決されるだろう。向こう2-30年で、コンピュータサイエンスと生物学を融合した領域が開拓され、バイオマテリアルや再生医療もさらに発展する。その結果、今までは分からなかった病気の原因が解明され、身体を常にモニタリングして予防できるようになる。また、人工子宮などを用いて身体に負担なく子どもを産むこともできるようになる。これらのテクノロジーは最終的にコモディティ化し、誰でも手が届くサービスになるので、長い目で見れば、誰もが今より優れた医療を受けられるようになるし、出生率は大きく上がるだろう。少子高齢化とそれに付随する問題は、このようにして最終的に解決される。
まとめると、少子高齢化に対応した社会保障を創るためには、短期的には年金と医療保険の支出を抑えて持続可能な状態を作り、長期的には子育てに必要なお金と時間を支援し社会規範を変えることで出生率を向上させる必要がある。また、最終的にはテクノロジーによって医療の質と出生率が大きく改善するので、改革のデメリットや不足を補うことができる。
2.2 改革その②:グローバル化・デジタル化に対応した経済
次に、②日本経済・企業群を「経済のグローバル化・デジタル化」に対応させることについて。結論としては、短期的には日本経営モデルの破壊、長期的には革新的企業の創造が必要になる。
そもそも、日本企業が競争力を失ったのは、ものすごいスピードで事業環境が変化したからだ。今後もグローバル化・デジタル化は進むので、このままだと日本企業は負け続ける。したがって、同質的・固定的・連続的な日本経営モデルを破壊する必要がある。そのためには、人と企業の流動性を高める改革が必要だ。
まず、人の流動性に関しては、①解雇規制を見直して人員整理を容易にし、②ジョブ型雇用を推進して新卒一括採用と定年制を廃止する。その結果、業務を効率化するソリューションの導入が促進され、管理職が減って意思決定の速度とエッジが増すので、企業は利益を最大化する判断を最速で行えるようになる。なお、これを実行する場合は失業保険を拡充したり、選択的金銭救済制度を導入して不当解雇時の金銭補償を義務付けたりすることで、労働者の生活を守る必要がある。次に、企業の流動性に関しては、①事業の存続を目的とする公的支援を全て終了し、②株式の政策保有を制限するなどコーポレートガバナンスを徹底する。その結果、人材を惹きつけられない企業や生産性の低い企業が淘汰され、経営統合や事業の組み替えが多発するので、優秀な経営人材と適切なガバナンスを有する企業が買収を通じて急速に成長するようになる。このように人と企業の流動性が高まると、生産性を高めるDXや非連続な成長をもたらすスタートアップ・海外企業の買収が促進され、企業の同質性・固定性・連続性は消えていく。その結果、都市部の大企業だけでなく、地方の中小企業も大きく成長する。
「人の流動性を高める」ということは「クビを切りやすくする」ということだし、「企業の流動性を高める」ということは「会社を潰れやすくする」ということだ。一見、それは雇用の不安定化につながるが、現在の日本で起こることはむしろその逆である。なぜなら、今日本は少子高齢化による人手不足が進行しているからだ。人手が不足している状況では、企業は人材を確保するために賃金を上げ、人材の育成や正規雇用化を促進し、DXによって生産性を向上させるインセンティブが働く。だから、クビが切られたり会社が潰れたりしても、仕事は変わるかもしれないが、必ず働き口は見つかる。少子高齢化に伴う人手不足といううねりを逆手にとるからこそ、雇用の不安定化を起こさずに、徹底的な生産性の向上を行えるということだ。したがって、単純労働力の確保を目的とした外国人労働者の受け入れはすぐに止めるべきだ。「賃金や生産性を向上しなくても何とかなる」状況を温存させてしまうし、社会全体で見れば文化的な統合にかかるコストの方が大きいからだ。
これらの改革は、人と企業の流動性を高めて日本経営モデルを破壊することで、既存企業が経済のグローバル化・デジタル化に追いつける状態を作る。しかし、産業の新陳代謝が活発になっても破壊的イノベーションが起きるわけではないので、日本経済の競争力を真に高めるためには革新的企業の創造が必要になる。つまり、長期的には国家をプラットフォームと捉え、冒険心を持つ知的に高度な人材を育て、集め、挑戦させる環境を作ることが必要だ。
革新的企業を創造するには、奇抜なアイデアを優れた質と速いスピードで実行する必要がある。したがって、アップサイドの大きいアイデアを構想するマインドセットと、それを実行し切る高い能力の2つを兼ね備えたヒトの存在が決定的に重要だ。経営のヒト・モノ・カネのうち、優れたヒトがいれば、モノとカネは自ずとついてくるので、あとは一定の確率で革新的企業が生まれてくる。現在の日本のスタートアップ産業が伸び悩んでいる原因も起業家の質量にあり、ヒトへの投資に集中した改革を行う必要がある。
まず、ヒトを育てることに関してはトップレベルの大学の①学費を無料にし、②希望者全員にSTEM系への転学や副専攻を許可し、③原則的に1年間の留学を義務付け、④Ph.Dには米大学水準の給料を出す。例えば東大の場合、教員や施設を大幅に増強した上で進振りを廃止してSTEM系学科への自由な進学を認め、博士学生には学振等の有無に関わらず数百万円を支給する。その結果、英語が堪能なSTEM分野の博士というグローバル企業を創る能力を持つ人材が大量に生まれる。次に、ヒトを集めることに関しては、①留学生向けの寮を創設して留学生の学費と住居を無料にし、②海外大から多くの教員を招聘しカリキュラムを見直し、③就労・創業・留学・定住ビザの要件を緩和する。その結果、アメリカに留学する財力のない世界中の優秀な学生が日本に大量に流入し、多様性溢れる環境で日本人学生もリスクテイクのマインドセットを獲得していく。さらに外国人の創業や就職が容易になるため、国籍混合のスタートアップが勃興する。最後に、ヒトを挑戦させることに関しては、①特区で様々な規制を撤廃して、自動運転など先進技術の市中実験を容易にし、②防衛予算も用いた基礎研究への支援拡充で数十年後の新産業を開拓し、③創業助成金を先払いして原資がない人でも事業の仮説検証を可能にする。その結果、奇抜なアイデアを実際に実行する人が増加し、大量の失敗を許容する社会が形成されることで、スタートアップの絶対数も期待値も成功確率も向上する。
流動化した世界では、頭の良い人が考えたからといって正解が見つかるわけではない。多様な人々が多様な方向に挑戦し、あらゆる仮説が生まれては消える新陳代謝の中で、偶然正解が見つかるものだ。したがって、特定の企業や産業の興隆を予想して投資するのではなく(そんなものは成功しない)、オープンでカオスなプラットフォームを作ることが重要だ。
これらの改革によって、日本にあらゆる分野のリスクテイカーが集まり、未来を変えるイノベーションが次々と起こっていく。世界中から「日本で学んでみたい」と考える人がやってきて、肌や目の色が違う「新しい日本人」がカッコいい企業を沢山創る社会ができていく。この時、日本は真に時代のうねりを乗り越えたと言えよう。だが、その時人々が目撃するのはかつての日本経済の復活ではない。それよりも遥かに心躍る、新しい日本の姿だ。
まとめると、グローバル化・デジタル化に対応した経済を創るためには、短期的には人と企業の流動性を高めて日本経営モデルを破壊し、長期的には冒険心を持つ知的に高度な人材を育て、集め、挑戦させることで革新的企業を創造することが必要だ。その時、日本は多様性とダイナミズムに富んだ新しい国に生まれ変わっているだろう。
2.3 改革の目的と意義
ここまできてようやく、日本は変化に対応し衰退を避けることができる。改めて原点に立ち返れば、国は競争をするために存在するものではない。せいぜい言うとしても、国民の自由や生活を守るために、競争しなければならなくなった、というだけの話だ。
ここまで主張してきた改革は、他国との競争に勝つための改革ではない。自国の問題に負けないための改革だ。もちろん、国が衰退すれば、他国に侵略される危険は高まる。だがそれ以上に、国民の選択肢を狭め、「日本に生まれたせいで何かを諦めなければいけない」という状況を作り出してしまう。そんな国はつまらない。私が考える国の目標は、皆が自由に生き、人生を面白おかしく張り切って過ごせるような場をいつまでも提供することだ。改革によって、国の姿は大きく変わっていく。だがそれで良い。国民が自由に生きる中で、必ず新しい日本らしさが立ち現れるはずだ。
合理性に起因するシステムを合理的にぶち壊しても、この国の伝統的な美点や文化は壊れやしない。破壊側と被破壊側のガチンコのせめぎ合いの中から新たな日本的なるものが必ず生まれてくる。むしろ昭和の一時うまくいった仕組みにしがみついて、稼げなくなり、飯が食えなくなった時に文化や伝統は壊れていく。真の創造、経営的イノベーションは破壊なくして成し得ない。人類の社会的進歩の歴史は革命の歴史であり、革命とは破壊と創造である。
日本が衰退を避けることは、世界にとっても大きな意義がある。日本が自国の問題を克服して生まれた余裕で、グローバルな課題に対処することができるからだ。
気候変動による異常気象は干ばつや洪水を引き起こし、中東の農業に壊滅的な被害をもたらした。何百万人もの人々が仕事や住まいを追われ、その多くが難民となってヨーロッパになだれこんだ。デジタル革命は先進国の一部の大都市に人材と富を集中させ、十分な雇用も生まず格差を拡大させた。疎外感を持った人々の怒りはイギリスのEU離脱やアメリカのトランプ当選に繋がった。ウクライナやガザでは戦争が始まり、既に30万人近くが亡くなった。ドローンやサイバーなどの新兵器は勢力均衡を見えにくくし、戦争終結の見通しはつかない。AIやバイオテクノロジーは急速にそのリスクを増大させているが、企業間でも国家間でも開発を制御する枠組みは作られていない。
現在、米中を始め多くの国家が対立関係にあるが、全く異なる価値観を持つ国々も、これらの問題に対しては協力し、連携しなければならない。もし各国が実利的なパートナーとして手を結べなければ、人類が次の50年を乗り切る保証はない。国際組織が機能不全を起こしている今、日本が世界を取り持つだけの力と余裕を持つことができれば、それは世界にとって大きな意義がある。もしかすると、西暦3000年の世界史の教科書に、「21世紀の日本は流れを変えた」と書かれ、それを火星人が感心して読む未来が待っているかもしれない。
今、人々はさまざまな立場に分かれていがみ合っているが、もし本質的なものを明るみに出したければ、この分裂状態にいくらか距離を置くことだ。いったん分裂状態を容認してしまえば、不動の真理が詰まった教典がそこここに出現し、その一つ一つが排他的な狂信を生むだろう。僕らはこの世界に対して連帯して責任を負っているのだ。僕らは皆、同じ惑星によって運ばれていく仲間であり、同じ船の乗組員なのだ。さまざまな文明がぶつかりあいながら新たな統合を目指すのはいいが、互いにむさぼりあうのはごめんだ。
章の最後に、ここまでの議論を振り返ろう。
日本が衰退している原因は、日本が変化に対応できていないことにある。「少子高齢化」「経済のグローバル化・デジタル化」という2つの時代のうねりが生んだ変化は、今までの日本の成功モデルを弱みに転じさせ、国家財政の圧迫と貧困化・低成長をもたらした。日本政府が抱える莫大な負債は国家のレジリエンスを著しく低下させており、負債が拡大したまま地震や戦争などの外的ショックが起こると、金利と物価が急激に上がって一般の人々が困窮する可能性がある。本来このような危機は避けるべきものと思われがちだが、むしろ今の日本には危機が必要である。危機が人々に生じさせる意識こそ、改革に必要なエネルギーとなるからだ。つまり、日本はまずいことになり、日本はまずいことになる必要がある。
日本に必要な改革は、社会保障を少子高齢化に対応させることと、日本経済・企業群を経済のグローバル化・デジタル化に対応させることだ。前者に関しては、年金と医療保険の支出を抑えて持続可能な状態を作り、子育てに必要なお金と時間を支援し社会規範を変えることで出生率を向上させる必要がある。後者に関しては、人と企業の流動性を高めて同質的な日本経営モデルを破壊し、冒険心を持つ知的に高度な人材を育て・集め・挑戦させることで革新的企業を創造する必要がある。これらの改革は他国との競争に勝つためではなく、自国の問題に負けないための改革であり、国民が自由に面白おかしく生きられる場を提供し続けることが最終目的である。また、日本が衰退を避けることでグローバルな課題に対処する余裕が生まれ、人類の存続に貢献できる可能性もある。
これで、日本の未来についてあらかたのことは書いた。ただ、一つ考えなければならないことが残っている。もしも本当にこのような危機が起こったら、実際にこのような改革を実行することはできるのだろうか?最後の章では、日本の歴史を振り返り、危機における日本社会の特性・弱点について共に考えよう。
第3章:日本はどうだったのか
人の本性は、日常生活では分からない。その人が厳しい状況でどうするかを見なければならない。国も同じだ。日本がまずいことになるとして、日本人がそのエネルギーを前向きな改革にぶつけるという保証はどこにもない。むしろ、破滅への道を突き進んでいくかもしれない。それを避けるには、かつての危機において日本がどうだったかを知る必要がある。つまり、歴史から学ぶしかない。
日本が最後に経験した亡国の危機は、アジア・太平洋戦争だ。正確な数は不明だが、日本の死者は300万人、日本による死者は1500万人以上と言われている。世界を巻き込んだ愚かな侵略の末、日本は一面焼け野原となり敗戦した。この無謀な戦争に至るまでの経緯を振り返り、日本の未来に活かせる教訓を探ろう。
3.1 アジア・太平洋戦争に至るまでの歴史
3.1.1 日露戦争(1904-1905)
アジア・太平洋戦争の萌芽は、日露戦争の時点で生まれていた。ペリー来航以来欧米列強の圧力を受け続けた日本は、国家の独立を保つために富国強兵に邁進した。日本は主権が及ぶラインを「主権線」、その外側で侵されると国家の存亡に関わるラインを「利益線」とし、利益線を死守することを目指した。明治時代の日本にとって、利益線とはすなわち朝鮮半島のことである。朝鮮半島が列強の手に渡れば、いとも簡単に日本を侵略できてしまうからだ。この危機感は、ロシアによって現実となった。日清戦争・三国干渉後、ロシアは中国から旅順を租借し、朝鮮半島への影響力も強めた。利益線を侵された日本は外交交渉を試みるも決裂し、日露戦争が始まった。そして、日本は勝利した。初めて非白人の国が欧米列強を破った、歴史的勝利だった。とりわけ日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させたことは世界に衝撃を与えた。このようにして日本は朝鮮半島を勢力圏として確立しただけでなく、満州にも権益を獲得した。
しかし、勝利の鮮やかさ故に多くの教訓が隠されてしまった。例えば、美談として語られる旅順203高地の奪還は無意味だった。作戦の目的である旅順艦隊は、既に別の場所からの砲撃でほぼ壊滅していたからだ。和平に関しても、ロシア革命勢力の支援などあらゆる手を打ち、国力の限界を迎えた時にアメリカの仲介で何とか講和に漕ぎ着けた。ただ、このような厳しい実態は国民には知らされなかった。増税に耐え勝利に沸く国民に冷や水を浴びせまいという政府の判断だった。このようにして作戦目的の曖昧さなどの課題は忘れられ、精神力や不敗神話が強調された。また、払った犠牲の大きさから「十万の英霊と二十億の国費」というスローガンが謳われ、満州への強いこだわりが生まれた。ロシアという脅威を退けた日本は、遅れてきた帝国主義への道を歩んでいく。
3.1.2 第一次世界大戦(1914-1918)
第一次世界大戦は人類史上初の総力戦で、1000万人という膨大な戦死者を出した。その結果、二度と戦争を起こさないために国際協調の枠組みである国際連盟が設立された。また、植民地獲得競争が大戦の原因の一つになったという反省から、帝国主義の時代には当たり前だった植民地の存在に対して批判的な考えが生まれた。一方、日本はヨーロッパ諸国に軍需品を供給することで経済的に大きな利益を得ただけでなく、南洋諸島や中国におけるドイツの植民地を攻撃して獲得した。この間、日本は1000人ほどの犠牲しか負わなかった。このように、惨禍を経験したヨーロッパと利益を得た日本とでは、第一次世界大戦に対する見方が全く異なった。そのため、日本は第一次世界大戦が生んだ新たな風潮を本質的に理解することができなかった。
その綻びが、パリ講和会議で表れ始めた。「二十一か条の要求」は中国・アメリカから激しく批判され、朝鮮半島でも三・一独立運動が勃発した。中国で最大の権益を持つイギリスは、日本が山東と満州に権益を持ち、北京を陸海から攻められる唯一の国となったことに危機感を覚え、日英同盟は形骸化した。さらに、国際連盟の憲章に「人種差別撤廃条項」を組み込むという日本の提案は否決され、カリフォルニア州の日本人移民排斥と相まって日本は欧米への不信感を強めた。このようにして、日本は「国際社会の中で適切な扱いを受けていない」という主観的な挫折感を味わい、仮想敵国を英米へと切り替えていく。
3.1.3 満州事変(1931)と日中戦争(1937-1945)
主権線の外側に利益線を設定し死守するという方針は、日本の領土が拡大する限り守るべき利益線も広がることを意味するので、際限のない侵略につながる。実際、満州の権益を獲得してから、日本は中国大陸に利益線を設定するようになった。既に日本は自国の独立を脅かされる恐れもなく、新たな植民地を獲得する時代も終わったのだが、後発の「持たざる」帝国主義国である日本は、考えを改めることができなかった。さらにこの時期には維新の功臣として超法規的な影響力を持ちつつ連帯していた元老達がこの世を去り、大日本帝国憲法の特徴である統帥権の独立(=軍に対して内閣や国会が干渉できないこと)が軍部の独走を招いた。その結果、関東軍(=満州に配属されていた日本陸軍)が爆破事件を自作自演し、満州事変が始まった。軍を制御できない政府はなし崩し的に軍の行動を追認し、満州全域を制圧した関東軍は満州国を建国した。このような傀儡国家が認められるはずもなく国際連盟は撤退勧告を出したが、日本が連盟規約への抵触に気づかずに熱河作戦を開始した結果、制裁を受けざるを得なくなり、日本は面子を保つためになし崩し的に国際連盟を脱退した。
このように国際社会からの孤立を深める中、日中両軍の偶発的な衝突が盧溝橋事件に発展し、本格的な日中戦争が始まった。日本は開戦後1年で速やかに北京・上海・南京を侵攻したが、日本が攻めれば攻めるほど中国は奥地へ遷都し、ゲリラ戦や持久戦を展開した。中国国内で対立していた共産党と国民党が国共合作を組む一方、日本の近衛内閣が「中国政府を相手とせず」という声明を出したことで講和の道は閉ざされ、戦争は長期化・泥沼化した。この間、日本は南京事件や731部隊に代表される戦争犯罪を犯した。
3.1.4 アメリカとの開戦前夜(1939-1941)
日中戦争が長期化したことで、日本は自力で追加の資源を確保する必要に迫られた。また、中国の各都市に巨額の経済的権益を持つアメリカ・イギリスはビルマ(現在のミャンマー)を通じて中国に物資や武器を供給しており、この支援ルートを遮る必要もあった。これらの目的を達成するために、日本はフランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)へ南進しようと考えた。第二次世界大戦においてナチス・ドイツが快進撃を続けると、勝ち馬に乗り英米を牽制しようと日独伊三国同盟(1940.9)を締結した。続いて日ソ中立条約(1941.4)を結び、日本は満を辞して南進(1941.7)した。しかし、南進の1ヶ月前に独ソ戦(1941.6)が始まっており、ソ連は日独の挟み撃ちを恐れるようになっていた。そこで、連合国側のアメリカは、ソ連が日本を心配せずに済むように対日石油禁輸を発動した。このように、理念も戦略もない場当たり的な外交が悉く裏目に出た結果、石油の大部分をアメリカに依存していた日本は窮地に陥った。客観的に国際情勢を見ると日本が中国に戦争を仕掛けたことから全ては始まっているのだが、主観的にはABCD(米英中蘭)が日本を降参させようと裏で組んで経済的な圧迫を加えているように映った。このようにして日本人の対米感情は急速に悪化していった。
日本は制裁の解除を目指し対米交渉を開始したが、中国からの撤退を要求するアメリカとの溝は埋まらなかった。2年で石油の備蓄が尽きる日本は、アメリカと戦うなら急がなければならないと考え始めた。この頃、日本は秘密裏に内閣直属の総力戦研究所を設立し、全国各地から軍人・文官・民間の若きトップエリート30名を召集して対米戦争のシミュレーションを行わせていた。彼らは省庁や軍の極秘の資料を用いて正確かつ詳細な考察を重ね、最終的に以下のような結論に至った。
十二月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、結局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしてでも避けねばならない。
後の歴史を言い当てた総力戦研究所の分析は、1941年8月に近衛内閣に報告された。しかし、同年10月に日米交渉の不調から近衛内閣が退陣すると、陸軍出身の東条内閣が成立し11月の御前会議では対米開戦が既定路線となった。この御前会議で開戦の根拠となったのは、企画院が辻褄を合わせるために作った数字だった。
「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということを皆が納得し合うために数字を並べたようなものだった。赤字になって、これではとても無理という表を作る雰囲気ではなかった。そうすると、と決めるためには、そうかしようがないな、というプロセスがあって、じゃこうこうなのだから納得しなくちゃな、という感じだった。考えてみれば、石油のトータルな量だけで根拠を説明しているけど、中身はどのくらいが重油でどのくらいがガソリンなのかも詰めていない。しかも数字の根拠をロクに知らされていない企画院総裁が、天皇陛下の前でご説明されるわけですから、おかしなものです」
データや物量を軽視した日本は、1941年12月、敗北を宿命づけられた日米開戦に踏み込んだ。日露戦争が生んだ精神への傾倒や満州への固執、第一次世界大戦が生んだ主観的な挫折感や欧米への不信感、満州事変・日中戦争で表面化した軍部の暴走と国際社会からの孤立、そして対米開戦前夜に至るまで続いた国際情勢の読みの甘さ・国際協調への不理解・目的と戦略の不在、これら全てが絡み、国を滅ぼす決定が空気によって導かれた。
3.1.5 太平洋戦争(1941-1945)
1941年12月8日、真珠湾攻撃とマレー作戦を成功させた日本は、半年間破竹の勢いで勝利し続けた。しかし、1942年6月のミッドウェー海戦で空母4隻を失ってからは敗北し続けた。1943年に中部太平洋諸島の要であるガナルカナル島の戦いで大幅に消耗すると、1944年6月のマリアナ沖海戦では空母と航空機の大半を失い、日本の敗北は決定的となった。翌月にはサイパンが陥落し、アメリカは日本本土への空襲を開始した。残存戦力を結集し神風特攻隊も動員したレイテ沖海戦でも敗れると、以後は東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下と悲惨な出来事が続いた。国体護持(=天皇制の存続)に固執する日本は降伏を拒絶していたが、原爆投下によって戦後の主導権をアメリカに握られることを恐れたソ連が参戦したことで、ソ連を介した講和を模索していた政府は万策尽きた。1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。
日本が完膚なきまでに敗北した原因は、日米の物量差だけでは説明できない。日米には①長期的戦略の有無と②組織の学習能力の2点で大きな違いがあった。
①長期的戦略の有無に関しては、アメリカが開戦当初から中部太平洋諸島の制圧による効率的な侵攻と日本本土の空襲による抵抗力の破壊が必要だと予測していた一方、日本はある程度の損害を与え長期戦に持ち込めばアメリカは戦意を喪失するだろうという楽観的な予想しか持たなかった。その結果、個々の作戦目的は曖昧になり、戦力の逐次投入と不必要な消耗を招いた。また、長期的戦略の無さは防御・諜報・兵糧の軽視に繋がり、ミッドウェーで暗号を解析され大敗を喫したり、組織的な商船護送を行わず補給が崩壊したりという結果を招いた。生産システム面でも、アメリカが徹底した標準化で兵器の大量生産を実現した一方で、日本は操作に名人芸を要する特徴的な兵器を非効率的に生産したため、両者の戦力差は生産能力以上に拡大していった。
②組織の学習能力に関しては、米軍がシステマチックな人材配置をしつつ時折有能な若手を抜擢することで、官僚制の持つ合理性と能力主義の持つダイナミズムを共存させた一方、日本軍は人間関係を重視する情緒的な組織だったため、官僚制の持つ非効率性と集団主義の持つ不明瞭さが共存してしまった。日本軍では根回しと腹のすり合わせによる意思決定が横行し、作戦中止の必要性が明らかになってから実際に中止されるまで1-2ヶ月を要した。また、自由闊達で論理的な議論が許容されず、知識や経験が共有されなかったため、状況の変化に応じた戦略策定ができず、失敗した戦法を何度も繰り返して敗北を重ねた。
日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということに他ならない。戦略的合理性以上に、組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大なエネルギーと時間を投入せざるを得なかった。このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。
このようにして日本は負けた。敗北が決定的だった最後の1年半に9割の戦死者を出し、その半数以上は餓死だったとされている。日本という国は、理念も戦略もない争いにアジア中を巻き込んで1000万人を優に超える人間を殺した挙句、故郷から遠い戦場で亡くなった自国の兵士の家族には息子の死に場所すら教えられなかった。そして、最後には一面の焼け野原のみが残された。これが、現実に起こったアジア・太平洋戦争の歴史である。
3.2 歴史の教訓
アジア・太平洋戦争の具体的な歴史から、日本的組織の抽象的な特性を推測すると、日本の弱点が見えてくる。日本人の全体的な傾向として、①外面的な価値基準に基づいて行動するので、思考や行動にプリンシプル(=信念や原則)がない。②今ここに集中し時間的奥行きのある思考ができないので、戦略が立てられない。③物事の相対化ができないので、二面性を持つ事象を合理的に比較できない。これらの特性の結果、日本的組織では空気による意思決定が多発する。
具体的に説明すると、第一に、①外面的な価値基準に基づいて行動するので、思考や行動にプリンシプル(=信念や原則)がない。日本人は「世間からどう思われるのか」という外部に価値基準を持つので、集団における階層や恥に固執する。世間的に恥をかかないことが重要なので、「そもそもどうあるべきなのか?」という物事の根本を問わない。善悪の基準を内部に持たず、自分の頭で考えないので、世間的正解や前例のない場面に弱い。また、その場の和を優先し衝突や議論を嫌うため、集団で予定調和的な意思決定を行い、責任の所在は曖昧になる。このような特性は、第一次世界大戦から対米開戦に至るまで、国際社会でどう扱われるか(名誉ある地位を与えられるか)にばかりこだわって国際協調や植民地問題の本質と向き合わない(=「そもそも世界・日本がどうあるべきか」を問わない)様子や、信念も勝算もないのに集団で何となく開戦を決める様子に垣間見られる。
第二に、②今ここに集中し時間的奥行きのある思考ができないので、戦略が立てられない。日本人は過去とのつながりで現在を捉えないのでなし崩し的に判断し、未来とのつながりで現在を捉えないので目的意識が欠如する。このように漠然とした時間感覚を持つため、物事の因果関係を明確に捉えられず、過去-現在-未来の因果から将来の目標を達成する行為(=戦略的思考)ができない。このような特性は、そもそもアメリカと戦うメリットも道理もなかったはずなのに、国際連盟脱退・日独伊三国同盟・南進などでなぜか日中戦争を太平洋戦争にまで発展させてしまった経緯や、アメリカに勝利するための具体的な戦略が一切存在しなかったことに垣間見られる。
第三に、③対象を絶対化するので、二面性のある事象を合理的に比較できない。日本人は対象を相対化できない(A or Bではなく、A or not Aで捉える)傾向にあるので、本来全ての物事に存在するはずのメリットとデメリットを冷静に比較衡量できない。合理的思考よりも精神論が先んじ、対象の相対化を促すデータや数字も軽視するため、適切な問題解決が難しくなる。このような特性は、日露戦争以来の不敗神話などを持ち出して総力戦研究所のデータを軽視した対米開戦直前の意思決定や、物量の不利を若者の命で補おうとした戦時中の非合理的な作戦の数々に垣間見られる。
このようにして、同調的な集団全体が空気に飲まれ、合理的な比較のない形骸的議論の後、過去の文脈や未来への影響と切り離された結論が何となく生み出される。このような特性が、少なくともアジア・太平洋戦争という危機においては致命的な弱点として表出し、日本を存亡の危機に陥れた。
3.3 福島第一原発事故
これらの弱点は、過去の一事例でたまたま出現したものではなく、現在の日本社会も抱えているものである。それが明らかになったのが、2011年の福島第一原発事故だ。
福島第一原発事故では、現実的に東日本が壊滅する可能性があった。3月14日から15日にかけて、2号機の格納容器は設計強度の1.5倍の状態が7時間続いていた。格納容器とは原子炉内の放射性物質を封じ込める最後の防壁であり、これが破損すると大量の放射性物質が放出されてしまう。もし2号機の格納容器が決定的に破損していたら、その時点で大量の放射性物質が放出されただけでなく、さらに作業員が全員退避する必要が生じ、連鎖的に1・3・4号機への注水も不可能になり、各号機の格納容器も全て破損していた可能性が高い。その場合、東京を含む東日本全体が汚染され、数千万人が数十年間退避を強いられることになる。
このシナリオを回避できた原因は完全には明らかになっていないが、電源喪失から3日間RCICという冷却装置が不安定ながらも機能したことや、配管などの接続部分が高熱で溶けて隙間ができたこと、注水不足がむしろ金属と水の化学反応を抑制し原子炉の温度が上がりきらなかったことなど、奇跡的な偶然が重なったためではないかと考えられている。また、4号機においても燃料プールが干上がる危険性があり、1・3号機においても水素爆発が起こるなど危機的状況を迎えていたが、現場の作業員による決死の作業と幾多の幸運によって何とか最悪の事態を回避することができた。東日本が壊滅しなかったのはたまたまというほかない。
事故以前を振り返ると、日本で発生した原発事故は全て原子力機器本体ではなく、その周辺で起こってきた。実際、福島第一原発事故の原因となった全電源喪失も、津波によって非常用ディーゼル発電機が壊れたことに起因している。原子力を推進する勢力は原子炉を含むシステムの中枢は完璧な防護がなされていると主張していたが、その時点で安全対策のあるべき姿を突き詰めていない。さらに、東電社内では土木調査グループが最大で15.7mの津波が到来する可能性があると警告していたにも関わらず、経営層や原子力専門の技術者はこれを繰り返し退けた。当時の東電の原子力設備管理部No.2だった地震対策センター所長は、東京地検の取り調べに対して「科学的根拠は特になかった」と述べている。実際には14~15mの津波が到来し、原子炉の地下や1階部分に設置されていた非常用ディーゼル発電機はあっけなく壊れてしまった。このような意思決定の背景には、データの軽視や、議論が許容されない同調的な風土、政官との情緒的な関係などが存在しており、先に示した日本的組織の特性が事故の遠因となってしまったことがわかる。
事故から10年が経過し、現在の日本はなし崩し的に原発の再稼働を推進しているが、事故の本質的な原因には対処できていない。事故後には厳格な安全規制が作られたが、基準さえ遵守すれば安全が確保されたとみなす運用慣行は変わらず、IAEAからも「些末な仕様、目に見える形を検査する文化を引きずっている」と指摘を受けている。また、重大事故が連続して発生し連鎖的に事態が悪化していく災害の研究は世界的に進んでおらず、原子炉が隣接する日本の原発特有のリスクはきちんと分析されていない。事故の全容解明に関しても、2016年の国際廃炉研究開発機構の発表によって、「3月23日まで1号機の原子炉に対して冷却に寄与する注水は、ほぼゼロだった」という新たな事実が明るみになっている。これまで吉田所長が上層部の指示を無視して1号機への注水を継続したことは英断として讃えられており、それ自体英断であることは間違いないが、実際には1号機を冷却できていなかったということになる。事実関係の確認すらままならず、本質的な安全の探究も怠り、ただ何となく原発を再開したのが日本の現状である。
この10年の「学び」は事故の「近因」を除去することには熱心だったが、その「遠因」を克服することには臆病であったと言える。その遠因とは、「安全神話」の基礎となる「宿題型」規制であり、今なお強い政治力を持つ電力業界の「ムラと空気のガバナンス」であり、「国策民営」がもたらす責任の曖昧さと東京電力の企業文化の惰性であり、リスク・コミュニケーションの欠如であり、世界とともに安全規制を構築する参画意識を欠いた「ガラパゴス化」心理であり、「究極の問いかけ」に正面から向かい合うことを忌避する「国民安全保障国家」の未熟さである。
一方で、我々の生活は電気なしには成り立たず、日本のあらゆる産業も電力の安定供給なしには成り立たない。そのような社会的ニーズを満たす手段として最適だからこそ、危険な原子力は発電に使われてきた。この現実を踏まえて、もし本当に国家にとって最適なエネルギー政策を立てようとするのであれば、絶対的な安全は存在しないという前提の上で、今後重大事故が発生する可能性とインパクトを定量的に算出し、核廃棄物の処理や廃炉に必要なコストも含めて原子力発電が本当に要するコストを客観的に見積もるべきである。そして、安全保障や脱炭素目標への影響や今後の技術発展も考慮した上で、いつまでどの発電所を動かしどのように代替策に投資していくのか戦略を立て、本当にそれが正しいのか国民全体で議論すべきだ。しかしプリンシプルのない政府にそのような様子は見られず、電力業界のロビイングによる癒着も継続している。2019年には関西電力の会長・社長・原子力事業本部長らが、高浜原発が立地する福井県高浜町の助役から総額3億円を個人的に受領していたことが明らかになった。このような環境では、物事の根本を問い、時間的奥行きを持って戦略を立て、問題を相対化してデータを基に合理的に議論することは難しいだろう。
このように振り返ると、日本社会の特性は何も変わっていないことがわかる。我々は得てして現在という時代がいつでも進歩の先頭を走っていると信じ込み、俯瞰的に時勢を疑う思考を無意識に捨ててしまうが、人間社会の本性は容易に変わるものではない。醒めた目で現在を眺め、謙虚に歴史から学ばなければ、我々は平気で過ちを繰り返してしまう存在なのだ。時代の空気にたちまち順応する日本人は、時間が悲惨を濾過し美化していったとき、再び大きな間違いを犯さないとも限らない。ましてや多くの人々の生活が窮する危機において、自国の問題の本質と向き合い、痛みを伴う改革を実行することは多くの困難を伴うだろう。本当に実現できるのかは誰にも分からない。ただ一つ言えることは、我々が自らの人間性に対する幻想を捨て、自らの弱みと向き合わない限り、日本の進歩はないということだ。
「これからは、こういう時代だ」「そのような考え方は古い」とする威勢のいい言説は、大概の場合、まずは疑って掛からなければならないのである。それが最先端であると得意げに語られて吐いても、時代の潮目がまた変われば、なかったかのように捨てられるか、「あのときはそうだったから」と無節操に翻される主張なのだ。そこに一片の真実が隠されているとしても、何が本質であるのかは、相当に用心深く、騙されないように、自らの耳目と理性で見極め、もし我々の内奥の常識的感覚にざらつく違和感があるならば、そちらをこそ大事にしなければならない。だが時勢は、それを疑う感性や理性をも、容赦無く根こそぎ、押し流してしまう力を持つ。
これで全ての議論が出揃った。日本の未来について、私の考えは以下の通りである。
日本が衰退している原因は、日本が変化に対応できていないことにある。「少子高齢化」「経済のグローバル化・デジタル化」という2つの時代のうねりが生んだ変化は、今までの日本の成功モデルを弱みに転じさせ、国家財政の圧迫と貧困化・低成長をもたらした。日本政府が抱える莫大な負債は国家のレジリエンスを著しく低下させており、負債が拡大したまま地震や戦争などの外的ショックが起こると、金利と物価が急激に上がって一般の人々が困窮する可能性がある。本来このような危機は避けるべきものと思われがちだが、むしろ今の日本には危機が必要である。危機が人々に生じさせる意識こそ、改革に必要なエネルギーとなるからだ。つまり、日本はまずいことになり、日本はまずいことになる必要がある。
日本に必要な改革は、社会保障を少子高齢化に対応させることと、日本経済・企業群を経済のグローバル化・デジタル化に対応させることだ。前者に関しては、年金と医療保険の支出を抑えて持続可能な状態を作り、子育てに必要なお金と時間を支援し社会規範を変えることで出生率を向上させる必要がある。後者に関しては、人と企業の流動性を高めて同質的な日本経営モデルを破壊し、冒険心を持つ知的に高度な人材を育て・集め・挑戦させることで革新的企業を創造する必要がある。これらの改革は他国との競争に勝つためではなく、自国の問題に負けないための改革であり、国民が自由に面白おかしく生きられる場を提供し続けることが最終目的である。また、日本が衰退を避けることでグローバルな課題に対処する余裕が生まれ、人類の存続に貢献できる可能性もある。
しかし、同時に危機における日本社会の特性にも注意を払わなければならない。アジア・太平洋戦争に至るまでの歴史を鑑みると、日本人の全体的な傾向として、①外面的な価値基準に基づいて行動するので、思考や行動にプリンシプルがなく、②今ここに集中し時間的奥行きのある思考ができないので、戦略が立てられず、③物事の相対化ができないので、二面性を持つ事象を合理的に比較できない、という三要素が見られる。その結果、日本的組織では空気による意思決定が多発し、危機においてしばしば致命的な弱点となる。このような日本社会の特性は、福島第一原発事故からも分かるように現在でも継続している普遍的なものである。今後日本が危機に直面する時、このような自分たちの弱みと向き合えなければ、改革を成し得ないどころか、再び破滅への道を歩んでしまうかもしれない。
終章:君たちはどう生きるのか
ここまで、日本の未来について書いてきた。要約すると「日本が衰退している原因は変化に対応できないためで、いつかは危機を迎える。その危機をエネルギーに改革を行えば乗り越えられるが、実際には危機における日本社会の特性が日本を破滅に導く可能性もある」ということだ。
もしも君が日本の未来をより良いものにしたいのであれば、君は闘わなければならない。日本を巻き込む時代のうねりと闘わなければならない。改革への抵抗と闘わなければならない。日本の失敗の歴史と闘わなければならない。
闘いとは否定だ。古いやり方を否定し、新しいやり方を発明することで、世の中は進歩していく。
クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心を打たれる人がいる。反対する人も、称賛する人もけなす人もいる。しかし、彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。
未来の日本には、反逆者が必要だ。誰もやらないことをやってみてほしい。誰も行かないところに行ってみてほしい。大いに学び、大いに旅し、違和感を表現してほしい。そして、議論して異なる意見をぶつけてほしい。どれだけ周りと衝突しても構わない。いつか、そんな君の力が必要になる日が必ず来る。自ら問い、自ら調べ、自ら考える。物事を異なる角度から見る。そして、世の中に対して「おかしい」と表現する。それが大切なことだ。
人は生まれた瞬間「何のために生まれて、何をして生きるのか」という問いを突き付けられる。その問いに答えるべく、人は誰かの意志を受け継ぎ、時代のうねりに乗っかって夢を見つける。その夢は人生を航海する羅針盤となり、新たな時代のうねりを作り出すと共に、その生き様を見た誰かが意志を受け継ぐ。そしてまた時代のうねりと受け継がれる意志が人の夢を生む。人々が自由に生きるその答えを求める限り、それらは決して止まることはない。
今日に至るまで、この日本で幾多の人々が生まれては死んでいった。その誰もが「君たちはどう生きるか」という問いと向き合ってきた。その答えとして、空海は唐に渡り、織田信長は天下布武を掲げ、吉田松陰は「狂え」と説いた。名もなき特攻隊員も、高度経済成長を支えたサラリーマンも、福島原発で事故を食い止めた作業員もそうだ。誰もが各々の人生を生き抜き、誰かがその意志を受け継いできた。
そして今、我々に出番が回ってきた。この文章で描いた時代のうねりは、君に何かしらのヒントを与えるはずだ。この世界で、君は誰の意志を受け継ぎ、どのような夢を持つのだろうか。その先に、どんな世界が待っているのだろうか。いずれにせよ、人は必ず死ぬ。今の世界を作れるのは、今を生きる人間だけだ。
“受け継がれる意志” “人の夢” “時代のうねり”
人が「自由」の答えを求める限り、それらは決して止まらない。
最後に、少しだけ自分の考えを話そうと思う。
私は原爆が投下された日付に生まれ、誕生日の朝はいつもテレビで追悼式が流れていた。いつしか私は戦争について調べるようになり、その時代に生きた人々の意志を少しばかり受け継いだ。同じ頃、リーマンショックや3.11が起こり、大企業が潰れたり原発が爆発したりする様をテレビ越しに眺めた。海の向こうではiPhoneが発売されていた。この時代のうねりは家族や自分の生活にも大きな影響を与えた。リーダーの違いが生む差を痛感し、なぜ日本はこうなったのか、これから日本はどうすればいいのかを真剣に考え始めた。
第2章に書いた改革は、現時点での私の答えだ。世界中から「日本で学んでみたい」と考える人がやってきて、肌や目の色が違う「新しい日本人」が活発に挑戦する国を創る。その先にあるのは、東西南北の文化が融合し花開く自由で豊かな社会だ。それはきっと、とても面白い社会だと思う。
これは、日本にとってのリベンジマッチでもある。日露戦争は世界中の植民地に希望と勇気を与え、日本には多くの留学生が到来した。しかし欧米列強に迎合した日本は彼らを追い返してしまった。アジアを解放すると嘯いた太平洋戦争も、実際にはアジアを支配してしまった。あれから80年が経つ。今の日本は「武」ではなく「文」で、人々を自由にすることができるはずだ。その時、本当の意味で、日本は歴史を乗り越え、自らの弱さに打ち勝つことができるのだと思う。だからこそ、この改革は他国との競争に勝つための改革ではなく、自国の問題に負けないための改革なのだ。武道は勝つためにはげむものではなく、おのれに負けぬためのものであるように。
オレはオレの思いどおりにするために…楽しみのために…敵を殺すために…そしてプライドのために戦ってきた…。だが…あいつはちがう…。勝つために戦うんじゃない。ぜったいに負けないために限界を極め続け戦うんだ…!
時には起業家として、時にはパートタイマーとして、時には学生として、なるべく多くの現場を見るようにしてきた。できるだけ自分の言葉で書くようにしたが、まだまだ理解が浅い部分もある。改革のインパクトは実際どの程度なのか、改革全体は収支が合うのか、合わないとしたら誰からどのように税を取るのが正しいのか、改革の犠牲になる人が致命的な境遇に陥らないのか、どれほどの時間軸で改革を行うべきなのか…考えなければならないことは多い。
ここに書いたことを日本中の人が面白いと思ってくれる時、もしかしたら私はソーリダイジンみたいなやつになっているのかもしれない。その時は精一杯頑張ろうと思う。だが、どれだけ私が大物になろうが、君の人生にとってはエキストラでしかない。いつか、君自身がどう生きたのかを聞かせてほしい。その時は私もチャーチルのように、任命前日にベッドで寝そべりながら考えたことを話そうと思う。
ついにこの文章も終わりだ。最後に、ここまで読んでくれた酔狂な君にクラーク博士の言葉を送りたい。北海道の広野を前に放ったあの有名な言葉には、実は素晴らしい続きがある。
Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame… Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
青年よ、大志を抱け!それは金銭や我欲のためにではなく、また人呼んで名声という空しいもののためでない。人としてそなえていなければならぬ、あらゆることを成し遂げるために、青年よ、大志を抱け。
日本の未来は、君が作っていくものだ。
読んでくれてありがとう。
<完>
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参考文献(とりわけ参考にしたものは太字)
各種政府資料/スライド
タキトゥス「年代記」
ウィンストン・チャーチル「第二次世界大戦回顧録」
羽生善治「決断力」
香取照幸「教養としての社会保障」
安宅和人「シン・ニホン」
リチャード・P・ルメルト「良い戦略、悪い戦略」
瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」
瀧本哲史「君に友達はいらない」
冨山和彦「コーポレート・トランスフォーメーション」
石井光太郎「会社という迷宮」
小黒一正「日本経済の再構築」
渡辺努「物価とは何か」
渡辺努「世界インフレの謎」
レイ・ダリオ「巨大債務危機を理解する」
齋藤誠「財政規律とマクロ経済」
山本謙三「異次元緩和の罪と罰」
ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン」
イアン・ブレマー「危機の地政学」
山口史郎「人口戦略法案」
サン・テグジュペリ「人間の大地」
加藤陽子「それでも日本人は「戦争」を選んだ」
半藤一利「あの戦争と日本人」
鴻上尚史「不死身の特攻兵」
井上寿一「戦争調査会」
猪瀬直樹「昭和十五年の敗戦」
戸部良一、他「失敗の本質」
ルース・ベネディクト「菊と刀」
山本七平「空気の研究」
丸山眞男「日本の思想」
白洲次郎「プリンシプルのない日本」
畑村洋太郎「未曾有と想定外」
NHKスペシャル取材班「福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」」
福島原発事故10年検証委員会「民間事故調最終報告書」
ウィリアム・シェイクスピア「ヴェニスの商人」
弓削達「ローマはなぜ滅んだか」
塩野七生「ローマから日本が見える」
塩野七生「ローマ人の物語」
岡本太郎「自分の中に毒を持て」
尾田栄一郎「ONE PIECE」
鳥山明「DRAGON BALL」