フライドポテト
サイコーな瞬間って、結構ある。
例えば、一人でカフェに行って、ちょっとお高めなおいしいケーキを頼むとか、ずっと行ってみたかったところに、旅行に行くとか。他にも、新曲を追ってるバンドのライブに行くのもサイコーだし、仕事を何日か休んで趣味に没頭するのもいい。苦しい現実から離れて――とか言い出すと、すこし身の丈に合わない気もするけど、嫌なこと忘れて楽しむ時間が必要なんだと思う。
非日常。
大概のサイコーなことは、非日常の場で行われる。でも、不思議なことに、非日常でないのにサイコーなこともある。友達と会ってしゃべること。会話の八割は日常のことで、場によってはすべて愚痴ってこともある。でも、これが意外とサイコーなんだな。
このあいだ、飲みに行った。メンバーは大学時代の友人で、サークルが同じだった。そのサークルでは、そこそこの活動頻度だったし、そこそこのめり込んだ。大学三年生の時は、「幹部」とか大仰な役職名でサークルの運営もやっていた。それぞれサークルの卒業生イベントにも参加していたから、合うのは卒業以来というわけじゃなかった。でもちょっと久しぶり、という感じがしていた。
それぞれの得意分野があった。学生時代から続く得意分野だ。お互いその話をした。もちろん、仕事と、結婚と、健康と、その他一通りの話を済ませてからだ。みんな少しずつ何かクリエイティブな欲をうずかせていた。どこかのタイミングで、誰かが言い出した。
それぞれの得意分野を生かして何かをやりたいね。
その言葉が聞こえた瞬間、カチッとなにかがはまる音がした。みんなを見ると、全員同じ顔をしていた。顔が赤かった。酒には比較的強い全員が、顔を赤くしてキラキラした目をしているのを見た。
ふと、サークルの「幹部」をやっていたときのことを思い出した。時間があって、体力があって、行動力があって、お金だけがなかった。でも、何でもできた。やってみたら自分にもできるのかな、と思ったことは、何だって挑戦できた。学生時代って最強だったよね、と、卒業してから何回口にしただろう。何度同じ言葉を耳にしただろう。その憧れともノスタルジーともつかない羨望が、そのとき、自分に向けられるべきものであることを感じた。
あの頃は、自分にできるか分からないことを挑戦した。今はちがう。ひとりで培ってきた、いつかどこかで花開いたらいいと願いながら続けてきたこと。つまり、自分ができること。それが、互いに必要とされ、互いに差し出せる場が突如として現れた。
終電までしゃべり続けた。その異様なほどの熱は、言うなれば、ずっと見いだされることを願ってきた努力の熱だ。
話すことに夢中で、机の上では様々なおつまみの皿が放置されている。もうちょっと話すよねと、最後に頼んだ山盛りのポテトも、少し手をつけたまま冷え切ってしまった。
フライドポテトはいつも忘れ去られる。あの頃もそうだった。大学近くのファミレスで、ポテトがいつもかさかさに冷えていた。徹夜でサークルの企画を考えた、最強だったあの日々。
抱えるものがあの頃よりは少し多いが、あのころより最強で、サイコーのはじまり。
どこかへ行きたいような、ここにいたいような、移り変わる私たちの、日常と地続きなこれからの話。
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