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ライター・イン・レジデンス前夜の「天国」

10年目のライター・イン・レジデンスを振り返る」からの続き。

2015年の初頭にライター・イン・レジデンスを初めて知ったきっかけは、「Amtrak Residency」と「Write A House」という、どちらもライターを一定期間滞在させて執筆してもらうという取組みをwebで見つけたことだった。

Amtrackはアメリカ合衆国を東西に横断する長距離鉄道なのだが、航空便の価格が下がってきたこともあり、乗客の減少が顕著だった。そこで、広く募って集めたライターを寝台列車に乗せ、2日間から5日間の乗車時間を鉄道旅行の魅力を発信するための執筆に充ててもらうというアイデアで集客を図ろうとしたのだ。
アメリカ、デトロイトで行われた「Write A House」。これは財政破綻したデトロイト市が、増えすぎてしまった空家に借り手を増やすために打った作戦で、内容はいたってシンプル。空家にライターをほぼ無料で住まわせ、町の情報を発信させることで地域を活性化させようというものだった。このプログラムにさらに驚かされたのは、ライターが2年間そこで成果を出すと、住まいとなっていた空家そのものがプレゼントされるということ。その発想の奇抜さも秀逸だが、地域外のライターによる当該地域の課題解決事例であることに感心した。

note「10年目のライター・イン・レジデンスを振り返る」磯木淳寛

ライター・イン・レジデンスに興味を惹かれたのは、そのときのぼくの状況がおおいに関係していた。
当時のぼくはライターとして7年目、独立して2年目の後半。その頃のぼくは房総半島で、とあるカフェ兼農園の運営に携わっていた。

カフェの前に田んぼが広がり、ヤギが昼寝し、子どもたちが走り回り、畑では旬の野菜が収穫されるこの農園には癒しを求めて足を運ぶお客さんも多く、都心での仕事や暮らしにひと呼吸置きたい人たちにとって格好の場所となっていた。

農園部門では以前よりWWOOF(ウーフ)と呼ばれる、宿泊と食事付き農作業支援の受け入れプログラムを取り入れていて、海外からの長期滞在者や、転職の合間などの社会人、そして長期休み中の学生たちが、カフェのお客さんたちとは別で年中たくさんの人が訪れて滞在していた。
※ぼくが携わった当時、「WWOOF(ウーフ)参加者の期間は2週間以上」というルールを設けていて、その作業の対価は宿泊と食事との交換であり、お金のやりとりもなかった。

日本中からも、海外からもWWOOFでやってくる人々それぞれには人生のストーリーがあり、楽しい交流のおかげで気の合う友人も多くできた。なかにはいまだにその時の友人関係が続いている人もいて、それはとてもうれしいことだ。

ところが、いくつかの事情が絡み、WWOOFプログラムを継続するにはなかなか困難な状況もあった。

というのも、WWOOFプログラム参加者は日中は基本的に農作業を行うのが日々の時間の使い方となっている。ところが、農作業をしたことがある人はわかるかもしれないが、農作業は必ずしも1年中毎日やることがあるわけではない。忙しい時期に作業が集中し、農閑期はその名の通りの農閑期だ。雨が続く梅雨時期なども手が空いてしまう。

WWOOF(ウーフ)参加者のなかには1ヶ月かそれ以上滞在する人もいて、農園で決めていた受け入れルールが「2週間以上の滞在」のみで、「いつまで」のルールが無かったこともあり、WWOOF(ウーフ)による滞在者の数は増えていく。やるべき作業量はそれに対して少ない。
彼らの日々のスケジュールを組む担当者はどうしたらよいかと日々頭を悩ませて疲弊していたし、WWOOF(ウーフ)による滞在者の数も多く、なかなかにカオスな状況になっていた。

なにしろ、人数制限すらしていなかったうえに連絡も緩かったので「え?明日からまたふたり来るの?」と直前になって知る事も普通にあり、もはやもうなるようにしかならないな…と、やぶれかぶれであった。

つい数か月前まで会社員として朝から晩まで働いていたときの気持ちがふと蘇ると、目の前に広がる、毎日平日の昼間からのどかに過ごす世界中から集まった自由人たち、駆け回る子供たち、思い思いに草を食んで昼寝するヤギたちの、天国のような世界に、「ここは日本か?」と笑えて来たりもした。

しかし、どんなに天国でもカオスな天国では、日々いろいろな事が起きる。おなかがよじれるほどに笑えることもあれば、そうでないこともあって、喜怒哀楽の振れ幅の大きさと頻発しすぎるハプニングに、濃密な喜怒哀楽は期間が決まっていれば楽しい思い出で終われるかもしれないが、受け入れ側としてエンドレスに続けるのは相当骨が折れる、と感じていた。

さすがにこの状況はなんとかしなくてはいけないと思い、また、「問題は人にあるのではなく仕組みにある」と考えて、来てくれる人、受け入れるスタッフ、運営側の持続可能性の三方のバランスをどのように取ったらよいかと思案した挙句、WWOOFのシステムを「有償の1週間体験プログラム」へと変えてみた。
これは、「いつでも無料で来て、いつまでもいていい」というものを、「こちらが募集した繁忙期のタイミングで、1週間だけ」にしたものだった。大きな変更だったので最初はどうなるか心配だったが、始めてみたところ、受け入れ側に余裕ができたのと同時に、定職に就いている社会人の方にも多く参加してもらえるようになった(それまでは「2週間以上の滞在」が必須だったので一般社会人はほぼいなかった)。募集枠も確実に埋まった。

種類は少し変わったが、子供たちは変わらずに駆け回り、ヤギたちは思い思いに草を食んで昼寝し、少人数で期間の定めのある1週間を濃密に楽しもうとする参加者たちとの交流もあり、それまでの天国が、持続可能な天国になった。

農園での「有償の1週間体験プログラム」は、その後も募集するごとに定員枠がすぐに埋まるようになり、しばらくは安らかな日々が訪れた。
初秋の風がハンモックに丸まるぼくの体を揺らし、鼻先をくすぐる。木漏れ日の中でまどろむ。気が付けば隣に寄り添ってきた猫の膨らんだりへこんだりするお腹を見ながら、その日、1週間体験を終えて帰っていった参加者のことを思い出して、楽しかったなあと思い出し笑いをする。

安らかな日々が続いて、少し刺激が欲しくなってきたのかもしれない。
やがて別の思いが芽生えてきた。

参加者は農園の作業を1週間おこない、それぞれ帰路に着く。つまり、ほぼ施設内から出ていない。それが少しもったいないように感じ始めたのだ。

外から来た人を農園の施設内だけに留めてしまうのではなく、外から来てくれる人を媒介にして、施設と地域との境界線を曖昧にしていけないだろうか?地域には面白い人や場所がもっとたくさんあるのに、と。

この思いが、ライター・イン・レジデンスに繋がっていくことになっていった。

余談だが、この天国はとても環境にやさしく、トイレには下水が繋がっておらず排泄物が床下にただ溜まっていた。放っておくと凸型になっていくのと、排泄物の分解を促すために振りかけたおが屑とよく混ぜるため、毎朝床下に届くようにかがんで、10人分以上のそれをT字型の棒でしっかり馴らすという作業があった。それと同時に液体排泄物は18リットルの灯油タンクにたっぷり溜まるので、持ち上げて運んで山に捨てる(飛び散り注意)こともしていた。この経験で徳を積んだことでその後の人生がとても生きやすくなった。それまで苦手だったトイレ掃除もできるようになった。

※天国の話で長くなってしまったので一旦切ります。次の投稿につづく。


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