平城クオリティ
平城クオリティとは、奈良県立平城高等学校が掲げるスローガンであり、健全で健康で活動的な、要するに学校周辺住民と教師の軋轢を減らし、校のイメージを上げるべく掲揚されたプロパガンダの事です。
???平城高校ってどんな高校???
平城高校は偏差値65の半端な進学校だよー!
その偏差値が示すよう、頭は弱いけど勉強を頑張ってきた人がいっぱいいて、みんな教師に従順なんだー。主な進学先が関関同立であることからも馬鹿さが窺えるよね!
そんな平城高校にいた僕は、高校受験を機に頑張ることをやめたお勉強カースト最下層のプロール学生でした。そして当然平城クオリティが嫌いでした
嫌いだったのですが、今の今まで何故それが嫌いかが言語化できていませんでした。
そんな折に蛙亭のオールナイトニッポンiでイワクラ議員候補が理不尽な校則に怒り狂っている様を見て、僕の中の平城クオリティへの憎しみが再燃したのです。
消え去ったと思っていた平城クオリティへの憎悪は、僕の中にそっくり残っていました。そして今は、かろうじてその憎悪を文章に起こす程度の力を備えています
しかもなんとなんと、平城高校は廃校になるのです。
機は熟した!!ルビコン川は渡られたぞカエサル!!
僕は、個人が集団として判断されるコミュニティが大嫌いです。
例えばコンビニバイト。
「おまえの行動は全LAWS〇Nクルーへの評価に繋がる。だからしっかり働け!」
「はい!しっかり働かせていただきます!」
????
繋がるわけねーだろ馬鹿か
仮に繋がるとしても、繋げた奴が異常だよ
連座制で従業員を縛るな
人間の個性を否定し、個人を数の中に埋没させ均質化していく教育。言うことを聞く平均程度の知性を大量生産することを旨に教育がある癖に、社会的には多様性が謳われる矛盾。
心のノートをバイブルに協調性を強制され、人格を矯正される癲狂院育ちの僕は、しかしそんな教育になんの疑問も抱いていなかった。
なぜならその教育を相対化するような、別の教育像を持っていなかったから。構造的無知とでもいえるだろうか
そこでしか生きていないのに、その環境に疑問を持つことは不可能だ。
人は、自分の生きる世界の外側から自分の世界を見て初めて、その形や有り様の歪さを認識できる。
内側から形は見えない
つまり僕は、なんの疑問を持たずにスクスク育ち、協調性が重視されていることを理解した上で、それでもコンビニバイトで言われるこの手の説法にムカついていたのです。
それはなぜか。もちろん僕に協調の心がないからではない。僕はそこに疑問を持たない。
この説教がムカつくのは、本当はLAWS〇N従業員の印象なんてどうでもいいくせに、あたかもそうであるように振る舞う店長の存在だ。
雇う人間が自分の思うように動かないことにムカついてる癖に、それをあたかもLAWS〇Nの意思であるかのように安全圏から攻撃してくるからだ。
主語をすり替えて、自分の怒りをより大きな組織の意思として下達してくるそのやり口がキモすぎて、切なくてやるせなくて、そして真面目に働くのが単純に嫌で僕はバイトを適当にこなしてきた。
いわゆる本音と建前と言うやつだ
ムカついてる俺、を企業理念という建前に語らせる語法。マジで卑怯だし、その事に無自覚だろうことは切ないほどに見苦しい。
本音と建前は至る所に存在する。
例えば今日、ついさっきマクドナルドに行ったところ、店内2階のイートインスペースは“コロナ感染拡大防止”の理由で6時以降封鎖されていた。
僕はここに、イートインスペースに馬鹿が居座るのが不快だから。という本音を想像してしまう。我ながら嫌な視点だと思うし、本当にコロナの抑止のための行為かもしれないが、僕はそう見てしまうのだから仕方ない。
僕にせよ誰にせよ、見えてる世界しか見えないのだから仕方がない。
薄汚い本音に蓋をして、見栄えのいい建前で世界は埋め尽くされている。
そんな建前のコンテクストを類推して本音を感じ取る必要性のある消費者が、そこに意地の悪い意図を見出すことは当然だ。
そして話は平城クオリティに戻る。
平城クオリティの建前は、上記のよう健全健康云々であるが、本音は学校イメージの向上だ。
あえて極端な言い方をすると、学校は学生の為にある。学徒の育成の場である学校は、その本質たる学生に隷属するのが正しい形で、学生が学校のためにあるわけでは断じてない。
そんな学生に対して、学校のために動けと教師はいう。
学校のイメージ向上という本音を隠し、学生の“将来”や“イメージ”、“地域住民からの印象”とかいう曖昧模糊な概念を人質に。
当然そこから逸脱した学生は叱責され、平城クオリティの枠内に押し込められる。
僕たちのため、という僕たちが意図しない僕たちの利益のために。
あーーー!!!
女子高生と喋りてぇ!!!!