“君しか勝たん”をオタクの視点で読み直す
飛ぶ鳥を落としまくっている今一番熱いアイドルこと日向坂46の最新シングル、それが“君しか勝たん”です。
正直このタイトルを聞いた時、やっちまったな秋元康。ついに耄碌したか。おれにプロデュースさせろ。
そんなふうに思いました。
勝たんて(笑)
しかしまあ、聞いてみるといい歌だったので、どこらへんが良かったのか自分なりに考えていきたいと思います。
ということで、僕が日向坂46のオタク(以下おひさま)として、恋愛弱者ゆえの偏った視点から “君しか勝たん” を語ります
この歌は、素直に読めば「浮気か喧嘩か何やかやで、互いに愛するまま別れることになってしまった失恋ソング」です
しかし、戦術の通り僕は恋愛経験をほとんど持たない悲しき生き物なので、恋愛。セックス。結婚。その他異性との深い交流を全てフィクションだと信じ込んでいます。
文脈的には失恋ソングでも、僕にとっては恋愛を模したメタファーの物語になるのです。
ではどんな物語か
端的に言えばこの曲は、推し変。オタ卒。推しメンの卒業に対する歌です。
(ワンカット風映画は大嫌いなのですが、ワンカット風mvはアイドルの頑張っている姿が想像できて楽しいですね。)
(余談です。読み飛ばしてください)
そもそもルーツを辿ればワンカットから始まった映画は臨場感を増すためにカットつなぎ、モンタージュが発明され、ヌーヴェル・ヴァーグを経て現在の形に至ったのですが、なぜか昨今のワンカット風映画はワンカットゆえの臨場感を売りにしているものが大半な気がします。
ワンカットなんてものは変り種で、一発ギャグ的に企画されていると思うのですが、ワンカットだからのめり込める!みたいな宣伝が気に食わないです
さて、具体的にどこらへんが推し変。オタ卒。推しメンの卒業に対する歌なのか?
百聞は一見に如かず。ということで
推し変。オタ卒。推しメンの卒業に対する歌だと思って、以下の歌詞の全文を読んでみて下さい。
そんな切ない 切ない瞳で見ないで
表面張力 いっぱい 涙が溢(あふ)れそうさ
ごめんね ごめんね 全ては 僕がいけないんだ
君しか 君しか勝たん
(My love)
初恋から 何回恋をして来ただろう
(Memories)
終わるたびに僕は大人になった
(My heart)
どの恋の思い出も大切だけど
(Grow up)
輝いた日々を振り返るなんてしない
いつでも僕の前に未来があったし
誰かが待っていた
だけど これ以上 これ以上 夢中になれるかな
どんな彼女と出会って もし恋をしたとしても…
好きだよ 好きだよ 世界中の誰よりも そう
君しか 君しか勝たん
(Your love)
付き合うと当たり前になってしまう
(Selfish)
愛されるとはわがままの極限
どこまで許されるか 試してみたんだ
よそ見してみたりして…
だって一番 一番 大事な君だから
ちゃんともう一度友達に戻れるって そう思ってた
あんなに あんなに 心が熱くなった日々よ
君しか 君しか勝たん
Sunday
失った時に
Monday
やっと気付くんだ
Tuesday
心の片隅に
Wednesday
ぽっかり空いた穴
Thursday
これからどうすれば
Friday
埋められるのだろう
Saturday
今初めてこんなに愛してること わかった
そんな切ない 切ない瞳で見ないで
表面張力 いっぱい 涙が溢(あふ)れそうさ
ごめんね ごめんね 全ては 僕がいけないんだ
君しか 君しか勝たん
https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/hinatazaka46/kimi-shika-katan/
もうこれだけでわかっていただけたと思います。
以下、いちおう個人的な妄想を脚注として追記していきます
そんな切ない 切ない瞳で見ないで
表面張力 いっぱい 涙が溢(あふ)れそうさ
ごめんね ごめんね 全ては 僕がいけないんだ
君しか 君しか勝たん
まずは歌詞の導入です。
ここの君は、二人称の他者。すなわち主体である僕にとっての富田鈴花さんになっています
僕が推し変すること、あるいはオタ卒(僕がいけないんだ)を知った富田鈴花さんが涙を流すシーンの描写です。見当識チックですがそう解釈してください。
(My love)
初恋から 何回恋をして来ただろう
(Memories)
終わるたびに僕は大人になった
(My heart)
どの恋の思い出も大切だけど
(Grow up)
輝いた日々を振り返るなんてしない
幾度の恋を経て、目の前の彼女に真に向き合うことができるようになった強者としてのオタク像がここで提示されます。
これまでに推してきたアイドルとの比較ではなく、ただ彼女が自分にとってどういった存在であるか。現実においても、理想的な人間関係に至っています。
実存的な恋愛観、アイドルへ向き合う視点の獲得です。
いつでも僕の前に未来があったし
誰かが待っていた
“未来があったし” あった。すなわち過去の自分に対する歌詞です。
誰かが待っていた。とは、真に富田鈴花さんに向き合えるようになる前の、数多いるアイドルの誰でも推せる初期状態の僕を指します。
だけど これ以上 これ以上 夢中になれるかな
どんな彼女と出会って もし恋をしたとしても…
好きだよ 好きだよ 世界中の誰よりも そう
君しか 君しか勝たん
ここで時系列が現在に戻り、特定のアイドルに深く熱中している僕。に視点が戻ります。
僕(ファン)からの富田さんに対する愛が存分に語られるパートです。
ここまでが君しか勝たんの歌詞の一番で、関係が破綻する前の僕の自分語りが主な内容になっています。
深く熱中しているオタク活動において一番楽しい時期です。絶頂です。
(Your love)
付き合うと当たり前になってしまう
(Selfish)
愛されるとはわがままの極限
ここから二番の歌詞になります。
そして視点も(your love)つまり“君”の恋の物語にシフトします。
君=富田鈴花さんが、僕(を内包したおひさま)にむけた歌詞です。
どこまで許されるか 試してみたんだ
よそ見してみたりして…
富田さんの感情はいきなり不穏なものになります。
これは何らかのスキャンダル。あるいは活動の休止など、ファンと富田さんとの距離が開いてしまう何らかの要因を示すのでしょうか。
だって一番 一番 大事な君だから
ちゃんともう一度友達に戻れるって そう思ってた
あんなに あんなに 心が熱くなった日々よ
君しか 君しか勝たん
僕と富田鈴花さんの開いてしまった距離を示す歌詞です。
僕が富田さんに愛想をつかしてしまったのか、富田さんのやむにやまれぬグループからの卒業か。あるいはその両方なのか。
“君しか 君しか勝たん“ この歌詞も空しく響きます。
Sunday
失った時に
Monday
やっと気付くんだ
Tuesday
心の片隅に
Wednesday
ぽっかり空いた穴
Thursday
これからどうすれば
Friday
埋められるのだろう
Saturday
今初めてこんなに愛してること わかった
そしてここで、僕と富田さんの感情が一致したエモーショナルな歌詞になります。
僕にとっての富田鈴花さんは、一番の歌詞同様かけがえのない存在です。そんな僕が、富田さんを失ったとき、、、
富田さんにとっての僕も、アイドルという職業に宿命的に強制されるがゆえ、同じくかけがえの無い存在です。そんな富田さんがマスとしての僕(ファン)を失ったとき、、、
一番と二番で別々に紡がれてきた歌詞、感情が、別れをきっかけに一致していきます。
そんな切ない 切ない瞳で見ないで
表面張力 いっぱい 涙が溢(あふ)れそうさ
ごめんね ごめんね 全ては 僕がいけないんだ
君しか 君しか勝たん
一番の冒頭では、僕視点で富田さんだけが涙を流していましたが、ここでようやく二人が向かい合って泣いていたことが分かります。
不可逆なほどに関係が破綻しても、なお互いに思い続ける。
そんな最も深いアイドルとファンの関係性が分かれによって浮き彫りにされて、この歌は終わります。
君しか勝たんは、タイトルなど一見すると頭空っぽの恋愛ソングに思われがちかもしれませんが、その実アイドルとファンの関係性を描いたストーリー性のある別れの物語となっていました。
冒頭の歌詞の意味がラストで変わるのも映画的で面白いです。
今回は君しか勝たんの僕と君をファンとアイドルで描きましたが、僕がアイドルでファンが君。と入れ替えても全然成立するように歌詞が作られています。
日本一頭のいいコレステロールこと秋元康先生の作詞はやはり素晴らしいですね。
今回のブログ内容は、徹頭徹尾完全に全て妄想なんですが、MVを見た方は分かるように、このMVには印象的に鏡や舞台裏、照明カメラ音声などのメタなモチーフが配置されています。極めつけは撮影終了後の映像です。
僕はどうも歌詞を多面的に、メタに解釈してくださいねーといわれている気がして、今更こんなブログを書いてしまいました。
あとこういう悲しいブログを見てしまったので、そうじゃないよ。素敵な歌なんだよ。という意味でもあります。
いい歌なんだよ
あと違和感あったかもしれないんですが、最近のテレビでの活躍を拝見していると、どうにも富田鈴花“さん”呼びになってしまっています。
頑張れみーぱん