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アークナイツ・冬穏帰路シーズン1視聴完了

えげつない完成度。
特に終盤2話の面白さが凄まじい。

これは憎しみの継承の物語。
アレックスとミーシャ、そしてスカルシュレッダーという象徴の物語。

龍面近衛局の指揮官チェンと、ロドスのアーミヤ。異なる理想を掲げつつも、戦場において二人にできることは究極的には殺人のみ。

アーミヤの理想は、もはや完璧に達成されることはない。苦しみながら、できる範囲で不殺を貫いていくしかない。全ての感染者に必要な治療を与え、不当な差別から解放するために感染者を殺戮せざるをえないという矛盾を抱えたまま、それでもアーミヤは迷わず、即座の決断を求められる。

アーミヤが身を置くのは戦場であり、仲間の命運を左右するリーダーという立場でもある。チェンはアーミヤと対の存在。チェンは迷わない。目的のために殺人を厭わない。その躊躇で仲間が死ぬことがわかっているから迷えない。

しかしアーミヤは迷ってしまう。ドクターとアレックスの命を天秤にかけ、無意識にアレックスを殺害したこととは裏腹に、ミーシャと自分の命とを天秤にかけ、自分の命を諦めてしまえる。

アーミヤにはどうも自己犠牲がすぎるきらいがある。アーミヤにとって自分の命はそこまで重いものではなく、ロドスのリーダーであるという責任感だけが彼女をギリギリ現世にとどまらせている。そんな危うさと儚さがある。

恐らくアーミヤは、ドクターのためならば迷いながらも千のレユニオンを殺すことができる。しかし、自分のためには人一人殺せない。

アーミヤにとってドクターの命は何よりも重い。ドクターの失われた記憶には鉱石病に関する本質的な情報があり、それのみが現状を打開すると何故か確信しているから。

アーミヤにはもう、ドクターの記憶以外に世界を抜本的に治療することは不可能だと感じているのかもしれない。ドクターに強く依存している。
ロドスに身を置き、対症療法的に戦闘し、救える範囲の感染者を救うことで自らの存在をギリギリ許容しているだけで、感染者と非感染者との溝を埋めることはドクターの記憶なしには成せないと考えていないだろうか。

かつてナルトは言いました。
「憎しみの連鎖を断ち切らなきゃなんねぇ。。。」

穢土転生で憎しみは綺麗さっぱり消え去りました。
僕が小学4年生、ナルト48巻での出来事です。
岸影の回答には、当時10歳の私でも違和感を覚えました。

それなんの回答にもなっていないってばよ!!
憎しみを断ち切るんじゃなくて、そもそも憎む理由がほとんど消えちまっただけだってばよ!!!!
憎しみを断ち切る葛藤の物語はどこに行ったんだってばよ!!!!!!!

僕がNARUTOで見ることのできなかった憎しみの連鎖を断ち切る物語。
アークナイツ 冬穏帰路シーズン2では、ぜひその葛藤が、アーミヤにとっての地獄が展開されることを期待しています。

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