証明型と習得型について思うこと
小さな界隈で、
“私は、証明型だから……”
“俺は、習得型なので……”
という話を目にしたが、私はどうもこれが納得いかない。
心理学の用語らしいが、この二つは対になる概念ではない気がしてモヤモヤする
証明型でも習得型でもない人間が居そうだし、
証明型でも習得型でもある人間がいそうな気がしてしまった
数多の引用元がないブログをサーフィンした結果、どうやら下記の本を読んだり、読んだ記録を読んだ人たちが広めてるらしいと思うようになった
日本語訳された本のことだから、どっかで誤訳が広まったんだろうと考えて整理してみた
“証明型”と訳された言葉は
sense of validation、judge ourselves according to whether or not we are successful
というに成功した・評価されたという感覚によく反応するらしい
反対に”習得型”は
get better、improve their skills
というように、より良くなった、技術を獲得したことによく反応するらしい
個人的には、定義型と進歩型という方がしっくりくるなと思って読み進めていたら、
なんと他の概念も本の中では紹介されているらしい
それはPromotion or Preventionという概念
何かを得ようとするか、何かを失いまいとするかという動機づけの傾向である
これは日本語では、獲得型・防御型と翻訳されているらしい
なるほど、ここで獲得という言葉を使ってしまったから、他の概念を説明するのに習得を使ってしまったのかと少し納得
でも防御ってちょっと大袈裟なので、保守とかでいいんじゃないかと思うと
政治でよくみる左翼(革新派)・右翼(保守派)なんて言葉が思い出される
やっとの思いで、邦訳が完成してもこうして無名の個人に”誤訳だ”と揶揄されるのだから、翻訳者というのは浮かばれない
これからも私はデータサイエンスの領域で、日々技術を習得・獲得して、翻訳者ではないという証明と防御を続けるのだろう
外国語の本を買うお金がないので、下記の英語の要約を参考にさせていただきました