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エンパワメント

<福田和子さん #なんでないの 。>

福田和子さんを知ったのはネットニュースでの記事だった。
彼女がスウェーデンで出会った女性主体の避妊の選択肢、スウェーデンでの性教育などについて書かれたレポートで、目からウロコが落ちるとはこのことか、と思うほどに日本との違いに驚いた。

『International Technical Guidance on Sexuality Education(2018)』という、国連機関の“性教育の世界基準”によれば、5~8歳で以下のようなことを伝える教育が始まる。
○「プライベートパーツ」がどこか分かる
○すべての人に体の権利(Body Rights)があると知る
○不快な触り方などをされた際どう対応すればいいか知る
(「NO」、「あっちに行って」と言う、信頼できる大人に話す、など)
○触られて感じた不快感を信頼できる大人にどう伝えれば良いか具体例を考える
(FRAU『女子大生が「日本では嫌はYesの意味でしょ?」と欧米人に聞かれた衝撃の体験』記事より参照)

私は今まで子どもを自立させたいと思うばかりに、子どもにとって困った(しかし大人にとってはさほどでもないように感じる)状況において、自分で考えなさいと突き放してきた。これが本当に正しいことだったのか。幼い頃は「そのくらいのこと我慢しなさい」「そのくらいのことでいちいち大人を呼ばないの」としても大きな問題にはならないかもしれない。
しかし、これが思春期を迎えたらどうだろう。いじめや性被害にあったとき、NOと言えなかった子どもに、大人は「なんで言わないの」と言えるのだろうか。あなたが我慢しろと教えてきたのではないか。


先日夫が娘の唐揚げをこっそり横取りした。娘は怒った。夫は「よそ見してるから悪いんだ」と言った。よくある家族の食事風景かもしれない。しかし、夫のこの理屈は、「短いスカート履いてるのが悪いんだ」という痴漢や「彼女酔っ払ってたから」と性的搾取をする輩と同じ理屈ではないか。私は夫に怒った。
今までの私はこのような状況を特に気にもとめてこなかった。
娘もおしゃべりに夢中だったし、怒らせるとあとが面倒くさいし、お父さんの言うことは聞いといてね。この通り、旧来型の母親そのものだった。
しかし、福田和子さんのおかげでその過ちに気がついた。
搾取されることを良しとしてはいけない。秘すれば花なり、などという時代は過去のことだ。
私が黙するということは、そのジレンマを次の世代に継承するということ。

「何もしないということは現状を変える必要がないと表示しているのと同じことです」
山本和奈さん(彼女のTwitterより)

若い女性たちが私に多くの勇気を与えてくれる。

まさにエンパワメントされる。

「個人的なことは政治的なこと」(ウーマンリブの標語)
「私の恨みつらみで闘って何が悪いの⁉」上野千鶴子さん
(「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください」上野千鶴子・田房永子より)

我が子達が、子どもを育てたいと思う社会を作りたい、これは私が保育士をこの歳で目指した理由の一つでもある。
変えるべきは我が子ではなく社会だ。

子どもたちのより良い未来を願って、
私はもう黙らない。